2009-01-04

商店街放浪記 01……小池 康生

新連載第1回
商店街放浪記 01 阿佐ヶ谷パール商店街 パートⅠ

小池 康生



東京から大阪に戻り、4ヶ月。
やっと大阪の空気に慣れつつある。

おかしな話である。大阪で生れ育ったのだから、慣れるも何もないはず。しかし、実際、慣れなかった。しばらくの間、違和感があり、大阪の街と自分の身体がなかなかチューニングできないような感じが続いた。

チューニングという言葉は、楽器の調律のほかに、受信機、受像機の周波数を同調させるという意味や、音響機器や自動車などの機械類の調整という意味もあるが、どの喩えもがぴたりとくるような4ヶ月だった。

東京がことのほか、お気に入りだったのかもしれない。

東京に行くまでは、ご他聞に漏れず、東京嫌いの大阪人で、たまに仕事で東京に行くとしっくりこなかったのも事実。しかし、東京に住み始めてみると、イメージがガラリと変わった。

「いいとこじゃん」
なんて言葉を口にするようになり、
「それは神奈川の言葉、東京の言葉じゃないよ」
と教えられたりした。

町と身体をチューニングさせることはとても大事なことで、それをスムーズにするのは、自然環境と商店街だと思うのだが、新宿からJR中央線で西へ12分ほどの町、阿佐ヶ谷にはそのどちらもがあったのだ。

阿佐ヶ谷には、青梅街道をさらにさらに南側に行くと、善福寺緑地という驚くほどの“大自然”と、JR「阿佐ヶ谷駅」から、縦横に伸びる商店街があり、そのどちらもが、すぐにわたしを和ませ、東京に親しくさせてくれた。善福寺緑地はまたの機会に書くとして、今回は商店街である。

縦横に伸びると書いたが、まさに縦横であり、駅から蛸足のようにいろいろな商店街が伸びていた。「ダイヤ街」「ゴールド街」「パール商店街」。ダイヤにゴールドにパールである。あぁ、粒ぞろい。さらには、「スターロード商店街」に、「川端通り」、「阿佐ヶ谷北口商店街」、「新進会商店街」、まさに蛸足、まだまだ続いているのかもしれないが、こちとらも覚えてられないほどの数なのだ。

なかでも、インパクトがあるのが、阿佐ヶ谷パール商店街。太刀魚のような商店街である。

俳句じゃないんだから、太刀魚のようなでは伝わらないか。

うねりつつ700mの長さを持つ商店街。結構な長さである。アーケードもあり、このアーケードというもの、誰がいつ発明したものかは知らないが、大発明ではなかろうか。アーケードのなかを歩くと、ことのほかその町と懇意になれた気になるから不思議だ。

ただ、アーケードだけなら、ほかにもある。
この商店街には、チカラが漲っているのだ。

多彩に店が揃い、どこかの店が潰れると、すぐさまそこに新しい店が生まれ、細胞の生成が耐えないという感じ。それを裏打ちするだけの人口があり、住民の流入流出も盛んなのだろう。

パール商店街には、ちょっとお高いスーパー、安いスーパー、かなり安いスーパー、その他のスーパー、それに、かの東京バナナの本店もあれば、古書店、焼き鳥屋、どじょうを売る店、詩人のねじめ正一経営の民芸雑貨の店もある。この商店街を往復するだけで飽きのこない散歩コースとなるのである。この商店街の「七夕祭り」は今や東京名物である。

阿佐ヶ谷に住んでほどなく、ここで、普段着の谷川俊太郎とすれ違った。
「あ、東京に来ている」
と感じ、ぞくぞくしたものだ。

そのあと、何度かお見かけしたが、若い頃に読み耽った詩人とすれ違うなど、これほどの僥倖があろうことか。

詩人といえば、同じく読み耽った寺山修司が息を引き取ったのも、この阿佐ヶ谷の河北病院であり、谷川俊太郎、寺山修司、大阪の青春時代にむさぼり読んだ世界と、中高年になってたまたまやって来た町が、驚くほど同調してしまい、語りたいことが溢れてくる。


  淡雪の消えてしまえば東京都 加藤楸邨


(この話、嗚呼、一週置いての次回へ続く)


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