2009-01-25

林田紀音夫全句集拾読 054 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
054




野口 裕





点滴に秒針移る日のきらめき

昭和五十六年、「海程」発表句。林田紀音夫がいつからパーキンソン病に罹ったのかは不明だが、それに関連しているかとも考えられる。いずれにしろ、点滴を受けているところを的確に描写した句。

点滴を受けているときは、日常の慌ただしい時間の流れとは異なる時間が流れる。ゆっくりと経過する時間なのだが、薬液のしたたり落ちるリズムに支配され、時間経過さえ忘れて一心にしたたりを眺めていたりする。点滴のリズムを秒針と書いたことで、「移る」が、点滴から時計へのイメージの移動と、時間を「意識の流れ」ととらえるような、二重の意味を持って迫ってくる。しかし、それは切迫し緊張したものではなく、「日のきらめき」の中の穏やかな場面と外観は映る。

余談だが、私は小学校時代の入院時によく点滴を受けた。それ以降ほぼ健康体だったが、ここ十年間で風邪をこじらせることがよくあり、何回か点滴を受けている。点滴を受けるたび、あるいは点滴を受けたことを思い出すたびに、これが句にならないかを考えるが、夏の季語である「滴り」に邪魔されてうまく言葉が出てこない。こうした句を読むと感心する。

筑紫磐井は「定型詩学の原理」において、ひとつの季語から見いだせる予定調和的な世界を構成する句群に対して、「本質的類型句」という言い方をしている。たとえば、

  滝の上に水現はれて落ちにけり(後藤夜半)

は類型句ではないが、後藤夜半が作らなくとも、「滝」という季語の持つ連想系(彼の本にはこの言葉はない。本に書いてある言葉の中でまとめるのが難しいのであえて造語を使っておく)の中でいつかは発見される句だとして、「本質的類型句」を説明している。

その伝で行くと、林田紀音夫のこの句は、「点滴」に対する「本質的類型句」ということになるだろう。もっとも、いつか誰かが発見する句だとしても、メンデルが遺伝の法則を発見してから再び遺伝の法則が発見されるまでに一世紀かかったような時間が必要かもしれないが。


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