2009-01-18

〔週俳12月の俳句を読む〕馬場龍吉 俳句で何が言えるだろうか

〔週俳12月の俳句を読む〕
馬場龍吉
俳句で何が言えるだろうか


もう去年のことになるが12月の週俳の俳句作品は「歳の市」のように賑わった。来年のことを言うと鬼が笑うと言うが、去年のことを言った場合は何が笑うのだろうか。

 


しづけさに烏飛び立つ聖夜かな   江渡華子

イルミネーションが灯りクリスマスソングの流れる喧噪の都会詠ではないだろう。静けさにいたたまれなくなって飛び立ってゆく夕暮れの烏。モノトーンの世界から極彩の灯りの点る聖夜への移行がいい。

 


数へ日や手を抜くことも芸のうち  仁平 勝

年用意の手の抜き方かと思えば「芸」と言うのだから、これは連作のことを言っているのだろう。俳句は文芸の一端にあるのだから、間違いのないことを言っている。たしかに肩を張った俳句はここにはない。俳句には根性や闘魂と言う言葉は似合わない。ゆったりとした気分で詠まれていなくては読者はしあわせな気分にはなれない。しかし、こういう句は全体にしっかりした作りのものが並んでいてこそ活きるものではないだろうか。それを今回見たかったと思うのはぼくだけではないだろう。

 


冬麗や二十世紀の千の椅子     榮 猿丸

正月近くなると年のスパンのことはもとより、世紀のスパンのことを考えることもある。千の椅子は埋まっていたのだろうか。それとも空席だったのだろうか。〈標本の虫喰ふ虫や冬ぬくき〉ものの見方が俳人的というのか俳句的であると思う。大景を詠むのもいいがこういうところに注目出来るのも作者の俳域の広さだ。

 


凍雲や休漁の船軋みをり      照井 翠

景色を詠んでいるのになぜか漁師の顔や漁村が見えてくるような作品である。〈海鼠食ふこのこめかみを愛しをり〉〈虎落笛あらゆる声となりにけり〉も好きだが、後半の作品は必要だったのだろうか。どうやらタイトルからして作者はそこが言いたかったようなのだが。

 


芒から人立ちあがりくるゆふべ   鴇田智哉

芒原でしゃがんでいた人が立ち上がった。それだけのことなのだろうが、ドラキュラが棺からムックリと起き上がったようなドッキリがある。鴇田氏の詠む作品には格別難易な単語は出てこないのだが、世界観が変わるような屈折がある。それは〈空風のあかるみに木のまぎれたる〉にも見られることだが氏独特な組み立ての工夫から来るものではないだろうか。

 


湖の地図に木の葉の匂ひあり    村田 篠

木の葉の匂いがしてくる。「湖の地図」これが出てくるだけで俳句に付き物のありきたりの「匂い」が俄然と活きてくる。これを上手さと言うのだろう。〈階段のはじまつてゐる枯野かな〉〈手のひらにきて綿虫になつてゐる〉この感じ方も好きだ。

 


あらためて手袋の手の色だらけ   上田信治

たしかに手袋は量産されているにも拘らず人の数だけ多種多様の手袋があるものだ。「色」に着目しているということは人に注目しているのだろう。この「あらためて」に作者の感慨があり、驚くことでもないがオドロキがある。〈石ごろごろ冬菜明るく雲明るく〉〈自動車を降りて焚火を作りける〉も佳句。

 

狼のふぐりに夜の来てゐたり    さいばら天気

狼と言えば〈絶滅のかの狼を連れ歩く 三橋敏雄〉が思い出される。その狼をさらに身近に引き付けた作品。犬のように寝転んでいる狼が見える。その狼のふぐりが見える。これが写真だったら絶滅前の狼の姿だが死んでいる。この俳句には実際にまだ生きている。夜が来て咆哮がはじまるだろう。〈健康はからだに悪し枯木山〉さいばら氏も愛煙家だが狼煙は上げていなかったような。ぼくも健康に悪いスポーツはしない。




江渡華子 雪 女 10句 ≫読む
大本義幸 月光のかけら 10句 ≫読む
仁平 勝 合 鍵 10句 ≫読む
榮 猿丸 何処まで行く 10句 ≫読む
生駒大祐 聖 10句 ≫読む
照井 翠  夜 鷹 10句 ≫ 読む
鴇田智哉  人 参 10句 ≫ 読む
村田 篠 冬の壁 7句 ≫読む
上田信治 週 末 7句 ≫読む
さいばら天気 贋 札 7句 ≫読む

 

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