連載第3回
商店街放浪記 03 新世界 じゃんじゃん横丁
小池康生
大阪に戻り、なにが驚いたといって、新世界の変貌である。
通天閣のお膝元、新世界の商店街が、カップルや家族連れに占領されているのだ。
界隈の、もっとも象徴的な存在である『じゃんじゃん横丁』までが、“女子供”で溢れている。串かつ店に、1時間2時間はかかろうかという行列。それがカップルと家族連れで編成されているのだ。
見たこともない光景である。
じゃんじゃん横丁に行列なんて・・・家族連れなんて・・・・。それも一組や二組ではなく、回転寿司の店先のように、家族連れ、カップル、家族連れ、家族連れである。
じゃんじゃん横丁のみならず、通天閣の足許にある串かつ屋がことごとく行列なのだ。世紀末である。言うなれば、男風呂に女性がどかどかと踏み込んできた感じ。
我が目を疑うというか、通天閣は聳えているけれど、新世界が失われたような気になる。比較的空いている店に潜り込み、わたしは、串かつを咥えた浦島太郎になる。ソースの二度漬け禁止は忘れてはいないが。
串かつでビールをやり、もう一度表をうろつくと、再び感情の乱高下が起こる。それは“女子供”に対してというより、この町に彼女たちを案内する男性陣に義憤を感じ出したのだ。
そうじゃないでしょう。そうじゃないでしょうが、と。
ところで、新世界は全国的には、どこまで知られているのだろうか。
ベーシックな情報をどこまでお伝えしたものかと迷う。 迷いに迷い、その結果、「面倒臭いからまぁいいや」ということになった。 わたしのなかで、いいやということになったのだ。そんなことはネットで調べていただこう。
わたしが、初めてこの町に来たのは、まったくの偶然で、迷いこんだのだった。
小学生のときだ、5年生か6年生の頃。セミドロップの自転車で大阪市内をうろうろし、徐々に行動半径を広げ、ささやかな冒険を繰り返していた頃のことだ。
その日は、難波に行ったのだと思う。そこで迷子になり、ふらふらへろへろ走っていた。方向も分からなくなり、ある路地から大きな通りにでた時、突如、異空間が広がり、身体が静止し、恐怖で鳥肌が立った。
なにがあったわけでもないし、なにをされたわけでもないが、その空間に入ったことだけで、強烈な違和を感じ、恐怖におののいたのである。
小学生が迷子でふらふらしているとき、突如、昭和の釜ヶ崎に出ると、それはそうなのである。
急ブレーキを踏んだ。そして、あたりを眺めていたのだ。
見たこともない映像をぶつけられた感覚だった。
そこにいるだけで、危険を感じる。空気が殺伐としていた。
広い道路、色のない町並み、道端で大人が倒れているのか寝ているのか、横たわっている。酒を飲みながら歩いている人、目つきの鋭い、体格のいい作業着の群れ。あちらこちらからアンモニアなのかなんなのか、違和感のある臭いが立ちのぼる。
不思議なことに、突然迷いこんだというのに、今でも、どの路地から迷いこんだかは覚えている。
今宮工業高校に通う学生になった時点で、それがどこかを確認し、まったく記憶どおりであった。
JR新今宮駅の東側、ガードを潜り抜け、片方が金網の路地。
路地から出たところは、釜ヶ崎のまさに職安の前。暴動がおこる中心地のようなところだ。難波でいえば、戎橋、グリコの看板に匹敵するほどの象徴的な場所である。
工業高校は、校区というものがなく、大阪府下のどこからでも来られる。
それだけ広範囲の大阪から集まっている同級生が、殆ど皆といっていいほど、新世界・釜ヶ崎界隈を知っており、すでに何らかのイメージを持っていた。
最初はビビりながら釜ヶ崎を知ったわたしだったが、高校生の頃には、すでに映画を安く見られる町として通いはじめていた。
前回登場した高校の同級生、高木君、矢内君が、ある日、鞄から詩の雑誌を取り出し、わたしに自慢を始めたことがあった。
「『銀河詩手帖』や。これを出してる釜ヶ崎の詩人、東淵修に会(お)うてきた」
と、のたまった。
わたしは、できるだけ平静を装い、心の中で、
『銀河詩手帖?……エライもん見つけてきよったなあ。詩人? 詩人とおうたんか。詩人にどんな挨拶すんねん?“こんにちは”でええんか。なにか劇的なことでも言うたんやないやろなぁ。詩人はどんなことをしゃべんねん。ちくしょう、行きたかったなぁ』
内心焦りつつ、
「ふーん」
と生返事で、詩人のサイン入りの銀河詩手帖を手にとり、東淵修の名前を胸に刻んだ。その人の詩集を古本屋で購入したのは、何年もあとのことだったが。
実は東淵修の名前は、すっかり忘れていて、この原稿を書きつつ、蘇ってきた名前だ。名前で検索してみるとホームページもある。そこで詩が読める。トップページのひらがなばかりの叙事詩、なんとも不思議な迫力。あー、思い出してよかった。
あら。
話がえらく逸れている。
基(もとい)。
わたしにとって、新世界は、3本立ての映画を安く見る場所であった。
新世界は、大阪の男にとって、重要な学校である。
ここからが、本題なのだが、また長い話になっている。
残りは次回に。じゃんじゃん横丁に戻らねば。
(一週置いての次回に続く)
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2009-02-08
商店街放浪記03新世界じゃんじゃん横丁 小池康生
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