2009-02-15

関 悦史 60億本の回転する曲がった棒


週刊俳句第95号 2009-2-15 関 悦史 60億本の回転する曲がった棒

クリックすると大きくなります
テキストはこちら
週刊俳句のトップページに戻る

3 コメント:

獅子鮟鱇 さんのコメント...

関悦史様

 玉作10句、大変興味深く拝読しました。

  表題:60億本の回転する曲がった棒

 60億は人類の60億でしょうか。その「回転する曲がった棒」は、われわれひとりひとりの記憶や夢、知覚と意識などの不規則な循環のありようであるのかと。あるいは、脳のニューロンなどを走る光の動きでしょうか。

  流れゆくツェランの靴の黒ゆたけし

 散文的に解釈すれば、第1句に「プラハ」とあるので、カレル橋に立ってヴルタヴァ川を眺めながら、1970年セーヌ川で遺体が発見された詩人ツェランを思う、という句ですね。
靴の黒には、ユダヤ人であったツェランへの思いがこめられているのでしょう。
 俳句の独立性を思えば、携句はプラハともカレル橋とも言っていません。そこで、ツェランの靴が流れるのは、どこの川でもよいのですが、読者としては、10句をひとまとめに読みます。そこで、ツェランの靴が流れるのは、ヴルタヴァ川と読み、史実としてセーヌ川で死んだツェランを思います。そして、1970年から今日に至るまで流れ続けている、そしてこれから先、玉作が読まれ続ける限り、セーヌやヴルタヴァが流れ続ける限りの長い時間、永遠を象徴するといってもよいその時間を流れていく「靴」が、頭に浮びます。そこで、「黒ゆたけし」が、なるほど、と思えます。

  グローバリズムなるゴーレムも春の土

 アメリカの金融を動かすユダヤ資本、それが生み出したグローバリズム、その姿は「ゴーレム」である、と読みました。そこで、聖書の時代から今日に至るまでのユダヤの文化に「ゴーレム」を見る関さんがいるし、「春の土」という、日本的な感慨を抱く関さんがいる、という句だと読みました。

さて、みなさま
 関さんの個個の句を私がどう面白く読ませていただいたかをめぐっては、このくらいに。俳句の一読者に過ぎない私が、関さんの句はこれこれがよい、といってみても、ああそうですか、であまり意味がない。
 しかし、関さんの10句の編み方が面白い、ということは、みなさんが俳句をどう作るかをめぐって、少しは意味があると思います。
 17字だけの句が並ぶ句集は読者には退屈である。しかし、17字にこだわらない関さんの句集(10句)は、俳句を読むリズムを助け、読者の負担を軽減している、そこで、関さんの俳句は、作者本位ではなく読者本位の作り方をしている、というのが概ねの趣旨です。
 関さんは、「皮膜」の場合もそうでしたが、10句の初句を17字よりも長い長句で初めています。ここで長句とは、いわゆる字余りを超えて、和文20数字以上の俳句です。そういう句を「俳句ではない、単なる短詩」という年寄り(だけではないでしょうね)はたくさんいますが、関さんの10句集は、長句を10句の頭に置く、また適宜長句を組み入れる、というの編み方をされています。そこが、(俳句のほぼ純粋な)読者である私には、面白い。純粋な読者とは、自分は作らないが、他作は読む読者です。そこで、読むものが俳句であろうと、短歌であろうと、詩であろうと、あるいは漢詩であろうと、読んでとにかく心浮き立つ思いがあればよい、という読者です。
 そういう読者である私も、子規の「発句→俳句」以来、句としての独立性が深く自覚され、俳句は、多くの場合、1個の独立した句として作られるようになったことは知っています。関さんの10句にしても、カフカあるいはユダヤの文化を句材として、それぞれが独立した句として詠まれている、と読んでいます。
 そういう俳句の独立性は、常識であるでしょう。しかし、俳句の発表である句集は、そういう常識に甘えていて、その独立性をくっきりと表現することはあまりありません。句集や10句集、50句集などという形をとることが多く、1句をもって1集とする例は、きっと皆無です。
 そこで、私のごとき読者は、それらの独立句を、それぞれに独立した形でゆっくりと鑑賞する機会はほとんどありません。10句であれば、少々じっくり拝読するにしても数分という読句環境のなかで、前の句の印象が落ち着かないうちに次の句を読む、ということを強いられます。そういう環境のもとでは、今読んでいる句とさっき読んだ句のリズムが融合し、五七五、五七五、と長歌のようなリズムで句を読むことになります。
 そして、句を多く読めば読むほど、読者は、本来はそれぞれ独立した一個の点であるはずの俳句作品を、直線や曲線で結び、関連付けようとします。点を線にします。これ、作者は、10句なり50句なりの句集によって、何を言おうとしているのかを、散文的に理解しようとする行為に他なりません。
 そして、その極端な例として、ひとかたまりの俳句作品を並べてその作家像を描く、あるいは俳句作品を史料とする伝記を書く、というようなことが行われています。これは、俳句をただ読むだけの読者というよりは、多くは俳人が、俳句を教えてくれた先人に対するお礼の言葉のようなものかも知れませんが・・・
 しかし、いずれにしても、作者にとっては独立した作品であるものが、読者にとっては、その作品群に連続性(必ずしも作家論だけではない)を見出す史料となるのです。
 これをどう見るか。

 私は一個の読者として、俳句が句集として提示される以上、そこに何らかの連続性を見つけたいとするのは、自然であり、誰もそれを止められない、と思っています。そこで、その連続性を見つけようとするのは、読者の自然権であるかもしれません。
 そして、その自然権のもっとも素朴な形として、10句連続して読むのだから、そのプロセスで退屈させないでくれ、という読者の本能めいた叫びがあります。その本能あるいは自然権の行使として、ツマラン、と思ったら読み続けることをやめる、ということがあります。

 読者のそういう自然権、複数の俳句を連続して読むことに照らし、関さんの長句は、とてもよく応えてくれています。
 五七五は、なるほど1句だけならそれほどの苦痛を伴わずに読むことができます。しかしそればかりが並んでいる10句、はまだしも、30句、50句となると、五七五の単調なリズムが続くばかりです。個個の句は、それぞれ独立して、それだけを読むのであれば読めますが、五七五ばかりの緑の葉が静かな森のなかでは、時には動きのある黄蝶でも飛んでこないと、退屈します。
 この読者の退屈に俳句が応えていくためには、前衛vs伝統がもはや無意味となった今日であるのであれば、作者vs読者、あるいは1句vs句集、という眼で、句作りと句集の編み方を考えていくことが、これからの俳句に求められているように思えます。
 それに俳句が答えることができなければ、俳句は、俳句の読者は俳人ばかり、という鎖国文化になってしまうでしょう。

 しかし、関さんの長句は、そういう閉鎖社会に俳句が陥ることを防いでいます。もちろん、関さんの長句が、読者が退屈することを考慮したもの、とばかりはいえないでしょう。また、関さんの10句集が読んでいて楽しいのは、句想そのものが立体的である、とかの要素も大いにあるでしょう。しかし、長句が適宜におりこまれることにより、関さんの句集は豊かになっています。この効果、俳人のみなさんは、もっと意識してもよいだろう、と私は思います。
 また、もっと大事なこととしては、そういう長句を詠むことが、関さん自身の句想をいっそう豊かにしている、ということがあるだろうと、愚考します。
 1句を1句集として世に問うことは現実的でなく、そうでなければ読者は、数句、数十句、数百句を、読書の時間という連続性のなかで読んでいき、読むという退屈と向き合います。それを俳句の句作のなかでどう考えるのか。私見ですが、芭蕉もそのあたりのことに気が付いていたから、『奥のほそみち』を発句だけの句集にはしなかった、と愚考しています。

 長句の活用につき断片:
 五七五句集でとりわけ退屈なものに、海外旅行詠がありますね。
 そういう10句集であれば、

  プラハにカフカの何からなにまでを知りし笑ひ

 は、たとえば、

  にっこりとカフカに逢へりプラハ春 (獅子鮟鱇)

 でしょうか。これ、読んだ人、いま、笑ったでしょう。あまりにもばかばかしい。でもこの類いの旅行詠、くだらないくらいにたくさんあります。
 海外あるいは外国の文物を俳句で読もうとするときに、拙見では十七字では短すぎます。季語を用いればなおさら――季語では日本の風景しか読めませんから。しかし、日本人が海外・外国で詠む句材は、日本の景ではなく、その国の歴史であり、その国の文物を避けてはありえないでしょう。
 そういうものを十七字の小さな胃に詰め込むと、消化不良になります。

関悦史 さんのコメント...

獅子鮟鱇様

 はじめまして。
 反応があると予想していなかったもので少々驚きましたが、丁寧なというか、気迫のこもったご感想ありがとうございました。

 「読者本位」はありがたい受け取り方ですが、これは私が俳句を作り始めた経緯がやや一般的ではないことによるのだろうと思います。
 私が俳句を読み始めたのは(「詠み始めた」ではなく)、詩人吉岡実のエッセイを通して永田耕衣、富澤赤黄男、高柳重信らの作品を知り驚いてからで、以後何年間かは現代詩や文芸批評などと横並びで単に娯楽の対象として現代俳句を読んでいたわけですが、こういう作らずに読んでばかりいる“純粋読者”の期間がある程度あったというのが、他の俳人たちに聞いてみるとかなり珍しいケースらしいのですね。
 時事・社会的な素材にせよ連作的な方法にせよ、俳壇史的には過去のある時期に試みられ今は廃れたものといった雰囲気があるので、作る方からすんなり俳句に入った人たちの方がどちらかというとこの辺は手を出しにくい気がします。

 字余りの長い句に関しては、じつは当人はさほど意識していませんでした。長いといっても自由律ではなく、あくまでも五七五が土台にある変拍子のようなものなのでシラブル数は多くても一応定型の枠内の字余り句と認識していますが、10句並べたときには確かに結果的に単調化を免れる効果も持つのかもしれませんね。

獅子鮟鱇 さんのコメント...

関悦史様

 拙文にお答えいただきありがとうございます。
 関さんの作句の背景について理解が深まりました。これからも、玉作、何をされようとしているのか十分に注意して、読ませていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 以下、余分なおしゃべりと聞き流してください。

 私は、「てにをは」の斡旋や動詞などの活用があまり得意ではなく、それらは詩の本質とはあまり関係がないと開き直って漢詩を書いています。しかし、漢詩は(とりわけ短いものは)詩想の面でかったるくなってしまうところがあり、そのあたりを俳句から学ぼうとみなさんの作を読ませていただいております。そこで、ほぼ純粋な俳句読者であるにしても、完全に純粋な読者ではありません。
 ただ、最初から俳句に取り組んでいるみなさんの多くは、575を韻律とするなどの定型俳句観を抱きがちだ、と思っています。そして、え?それはどうして?という思いがあります。私が書く漢語の定型詩体は300を超えています。しかし、575の定型俳句観をお持ちの俳人は、きっちりと575に作らなければ、と思われているようです――それが、え?どうして?
 私は575を否定するものではありません。ただ、句集を編むのであれば、純正575だけの句を並べるのはいかがなものか、と思います。俳句は詩であると多くの俳人の方が言います。しかし、俳人が詩人であるためには何が必要か、ということを説く方は、あまりいません。だから、俳人が575計17字よりも長い俳句は、あまり作りませんが、日本語の詩の句読は、5と7とだけに限られるほどには貧乏ではないと思います。その豊かさが、もっと究明されてもよい、と思います、俳句が詩であるのならば、ですが・・・。
 わたしは漢詩人として、短いものは10字、長いものは、240字までの300体以上の定型詩体で漢語の詩を書いていますが、なぜ俳人のみなさんは、17字だけなのか。17字で作らない場合に、それを短歌だといってみたり、現代詩だといってみたりするのか。

 さて、玉作に戻りますが、575とあまり離れていない字余り、とのことで読めば、

  プラハにカフカの/何からなにまでを/知りし笑ひ

 と句読するのですね。しかし、私は、

  プラハに/カフカの/何からなにまでを知りし/笑ひ

 と句読しておりました。そして、唐の時代の白居易や宋の陸游などにも作例のある『長相思』のリズムを、思っていました。

   橋如虹/水如空/一葉飄然・煙雨中/天教・称放翁

 上掲は陸游の作の前片です。337(4・3)5(2・3)音。『長相思』は、3375/3375と前片後片を作って、一編とします。
 3375。33を5にすれば、575――これは、1980年に作られた漢俳の句読です。中国は、唐の時代からおよそ1200年の歳月かけて、3375から575を生み出しました。もっとも中国は、漢俳を生み出すまでに、1000とも2000とも言われる定型詩体を生み出していますが・・・
 日本の俳句が575から別の定型詩体を生み出すには、あと1000年、なのでしょうか?
それとも、和歌に始まる日本の定型詩(=句読のルール化)にとっては、575が、唯一の到達点となっていくのでしょうか。