さくらどき 久保山敦子
春暁や粒立つてゐる明太子
ひかげればむらさきがちに犬ふぐり
鶴見一行おほかたは独りもの
あたたかや松のまはりの松ぼくり
母のもの少し片づけさくらどき
今はたたんでしまったが、歩いて五分くらいのところに野鳥の会の事務所があったので、月に一回支部報の発送を手伝っていた。今月の支部報には「ウソ」と「ニュウナイスズメ」の情報への呼びかけがある。
サクラの蕾を食べ散らかすので嫌われてしまうこともある「ウソ」は、天神様の「鷽替」でおなじみ。オスは黒い頭に喉と頬の紅がとてもきれい。「フィーフィー」と口笛のように鳴く。「ニュウナイスズメ」は咲いたサクラそのものを食べるそうだ。スズメのように頬に黒斑がない、人家の屋根にとまらない、などの違いがあるが、スズメの群に混じっていることもあるので、なんだスズメか、と思わずに、ほっぺたにご注目。
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おたま 菊田一平
白梅や鯛のかたちの醤油差し
手まり麩に走るさみどり雪の果
飛梅の幹の上手に曲がりをり
可口可楽飲んで蛙の目借時
あそび女のやうにおたまのひるがへる
勤続十年ごとに二週間のリフレッシュ休暇が取れる。これまで旅行に当てていたそれを三十年目の今年は田舎に帰ることにした。田舎にはまだ百三歳の祖母がいて、父と母がそれを介護している。今朝も、「おはよう」「お・は・よ・う」「おはようさん」と、一語一語区切ったり、「おはよう」に「さん」をつけたりの、鳥に挨拶を教えるような言葉で目が覚めた。一瞬、「?」と眠い頭で考えた。が、すぐにイサダ漁の船のエンジンの音と鴎の声がそれにかぶさる。「おはよう」は、母が祖母を起こしている声なのだった。おぼろげながらも半年前まで現実と繋がっていた祖母の意識も今はもうない。全くの寝たきりになってしまった。藪鶯がしきりに鳴いている。
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育児書 小野裕三
朝曇妊婦は家のまんなかに
しんしんと長子の匂う冬至かな
春眠の上の小さな帽子かな
育児書の頁に折り目日脚伸ぶ
抱き上げる吾子に太陽青き踏む
週刊俳句が100号を迎えたということで、まずは心よりお祝い申し上げたい。創刊以前、メールをいただいた時に、「週刊俳句」というネーミングが秀逸だと思った。こういうネーミングは早い者勝ちというところもある。言葉がシンプルでインパクトもあるし、コンセプトも端的に表現できている。
創刊一号の巻頭記事を書かせていただき、「俳句ツーリズム」というシリーズを続けていたのだが、そのうちに我が家にも長男が産まれ、旅行に行く機会も、そして原稿を書くための時間と精力も、大幅に割かれることになってしまった。その代わりというわけでもないが、最近はたくさんの吾子俳句を作っている。意図してというより、出来てしまう。並べてみると、なんだかドキュメンタリーのようだ。記念写真のようにこれからも吾子俳句が増えていくのだろう。生活の記録としての俳句という機能も僕は重要だと思っている。
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ロビンソンてふ唄も 青山茂根
浴槽の捨てられてゐる海市かな
春光や渚より船遠のきぬ
棚らしきもの花冷の洞窟に
耕によささうな枝探しけり
苗札を置く絶海の孤島にも
三面記事ネタで申し訳ないが、一月に、ブラジル人のモデルが緑膿菌感染症に罹り両手両足切断の上亡くなる、というニュースがあった。これってもしかして『細雪』のこいさんの恋人の死因と同じ?と思ったら、フィッツジェラルドの『カットグラスの鉢』という短編にもどうやらこれと同じ症状が。以前の結社での知人も似た症状で亡くなった。話替わって、イケメン率高いガンダーラ仏には通常の眼と半眼のものが存在するか、何時頃、どのような経緯で半眼のガンダーラ仏が現れるに至ったのか、アフガニスタンにはまだ未発見の破壊されていない像があるのだろう、いつか見たい、などとどうでもいいことにばかり心が流れる春。
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2009-03-22
五句テキスト05
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