商店街放浪記 06石切参道商店街
小池康生
大阪の海には夕日が沈む。
東京に出て、最初に違和感を覚えたことは、大阪と同じ太平洋側の街なのに海に夕日が沈まないことであった。
遥か山間部に夕日が沈み、東京の黄昏はいつも遠くにあった。
日本海側の新潟も、夕日の街として有名である。
夕日の俳句を募集していることもよく知られている。
大阪と新潟が、夕日の街で、東京の海に夕日が沈まない。
方向音痴には、おやおやおや、な問題である。
しかし、大阪湾は街の西側に開け、東京湾は街の東側に開けているのだから当然のことなのだが、なんだが不思議な感じがする。
大阪が夕日の街だということを他府県の人たちはどれだけ知っているのだろうか。大阪はどこからでも夕日が見られる。海のある西側はもちろんのこと、その正反対の東の山側からも、大きな大きな夕日が味わえるのである。
西に大阪湾、東に生駒山なのである。
大阪平野は狭い。
大阪湾と生駒山は、高速道路を使えば30分程で結ばれる。
その生駒山の中腹に石切参道商店街がある。
この商店街は、東京で言えば、巣鴨地蔵通り商店街。
巣鴨と違うところは、急峻な坂道の商店街で、石切さん(大阪人は擬人化して、こう呼び、親しむ)にお参りして元気なるのは、神様のおかげもあるだろうが、坂道の登り下りも相当健康に貢献しているかと類推する。
昔、この商店街を賑わせたおばあちゃんは、相当な年齢になっている。
新しくおばあちゃんになる人たちは、この商店街を訪れるのだろうか。
おばあちゃんの街にも、新旧おばあちゃんの世代交代が行われる時代なのだ。
久しぶりの参道商店街は、昔の賑わいではなかった。
それは仕方のないこと、これから“新おばあちゃん”を集められるかどうかだ。
石切参道商店街の最も大きな変化は、商店街のスタート地点が、占いの店だらけになっていることだった。大袈裟に言えば、占い団地の様相。それは、商店街にとって末期的な症状に見える。占いというものは面白いし、占い師は商店街に似合う。しかし、占い師の過剰な人数は、違和感を覚えるし、それは商店街の人気コンテンツの不足を現しているのだ。
都心の商業ビルなどでも入居店舗が少なくなると、ワンフロアに、どばっと占いブースが並ぶ。こういうアイデアを最初に生み出した人は知恵者だと思うが、あくまで苦肉の策。商業地域としては、末期的な症状だ。
基(もとい)。
石切神社。
長い商店街、神社の近くまで来ると昔通りの商店が並んでいてほっとする。
そして、石切神社の境内に入ると、熱心にお百度参りをする人がいる。
これが石切神社である。
年がら年中お百度を踏んでいるのである。
真夏も真冬も。早朝も真夜中も。
商店街は、夕方4時に閉店する。
しかし、お百度を踏む人は夕方も夜もない。
真夜の1時でもお百度を踏んでいる。
近づき難い熱心さで踏んでいる。
何故、わたしがそんなことを知っているのか。
昔、わたしはこの街に住んでいて、何度も目撃したのだ。真夜にお百度を踏む人の姿を。それは鬼気迫り、邪魔をしてはいけない熱心さがある。
石切神社は、正式名を<石切剣箭神社(いしきりつるぎや・じんじゃ)>と言い、通称<デンボの神様(かみさん)>。剣で、デンボ(吹き出物)を切りとると言われ、今では解釈が広がり、癌を切り取るとされ、より真剣な祈りとなっているのである。
もしも、東京の俳句仲間に大阪を案内してくれといわれれば、迷いなくこの石切の街をコースに入れる。石切神社を見せたいし、石切参道商店街を見せたい。神社の右奥には、神馬を飼う馬場があり、白馬が三頭いて、一頭は、あのカツラノハイセイコの子供である。ああ、見せたい。
商店街では、明石焼きか、たこ焼か、よもぎうどんを食べさせ、そのあと、上の宮神社を案内したい。
上の宮神社には修行滝もあり、静謐さもある。
生駒山の中腹であるから大阪平野が一望できる。大阪湾、淡路島までが見え、そこに沈む大きな夕日が見られる。
大阪人は、夕暮れを迎えるたびに大きな夕日を見てきた。
古代から、周辺に住んだ人の精神形成には、この夕日が影響していると思う。
大阪は、いつからかコテコテなんておかしな形容をされる街になったが、それは、ここ十年、二十年のコテコテ人間の言い草である。
本来の大阪は、コテコテではない。
大阪人の特徴を訊かれれば、わたしは迷いなくこう答える。
「大阪人とは、夕日を見て育ってきた人達です」と。
大阪はそうなのだ。
その心根に、占いのブースが並ぶ。
似合わないよなぁ。
朝日にも夕日にも山笑ひけり 岩淵喜代子
(一週おいての次回に続く)
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2009-03-29
商店街放浪記 06石切参道商店街 小池康生
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