〔追悼阿部完市〕
いちにちきれいに白い完市
三宅やよい
亡くなったという報を聞いて少し驚いた。
数か月前明治大学リバティホールで行われた朗読会で俳句を朗読している元気な姿を見たからだ。一時は容体がよくなかったのが回復したのだろう、とばかり思っていた。その日の朗読は淡々としていて俳句は面白かった。
アベカンの俳句は聞くだけでアベカンの俳句とわかる文体と言葉づかいを持っていて独自なのだけど、私はあまり好きになれなかった。なんだか、むかしむかし、ひゅひゅーと、いちにち晴れている、とかひらがなの多い表記の俳句を読むと素手で脳みそをつかまれているようで気色悪いのだ。被膜のようなその世界は眺めるというよりべろんと包まれる感じて足の突っ込みようがなかった。
『國文学』2008年12月号で江里昭彦が「平成俳壇の行方」―「ちょっと加工して発信」の魅力について、という一文を出しているが、その中で平成俳壇の要素の一つとして「俳句ブームの時期に顕著になったのは「ちょっと加工して発信」する魅力が大衆を捉えたことである」と興味ある文章を書いている。
「ちょっと加工して発信」できる魅力に惹かれた人々に支えられることでブームとなり、そうした人々が参入することで、俳句の他の側面・可能性は後退し、「ちょっと加工して発信」の相貌のみが極度に肥大化したのである。刻印されたこの性格を、俳句が今後もひきずることは間違いない。
そうした問題点を指摘したあと結論部分で次のように述べている。
俳句を「ちょっと加工して発信」する詩型と考えない表現者は、どうすればよいのか、である。この少数者が担う役割は、<典型>をつくりだすということである。なぜなら、加工という操作は、加工される対象を必要とする。その対象の大半を占めるのが<典型>だからである
その意味からいえば、アベカンの俳句ももちろん<典型>なのだけど、「ちょっと加工して発信」するには使いづらい代物である。
虚子は「写生」という方法と花鳥諷詠という路線のもとあまねく弟子を集めた。方法論がわかりやすくて初心者から上級者まで誰もが試せること。<典型>のバリエーションが多種多様であること。が、結社最盛の旗印になのかもしれない。その点からいえばアベカンの俳句はあの独特は形容動詞や形容詞や平仮名表記の擬態語などを多発すればだれが見てもアベカン調になってしまい始末に負えない。
アベカンが同人誌時代の「海程」に所属したまま自分の結社はおろか衣鉢を継ぐ弟子も見当たらないのは、独立独歩すぎて模倣しにくいという面もあるのかもしれない。アベカンはかくも偉大である。
葉月をとおるたとえば日本騎兵隊
の句の「たとえば」
少年来る無心に充分に刺すために
の「ために」
すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる
の「そこは」
といった言葉づかいや言葉の入れ込みはその後も「ちょっと加工して」の文体に多々採り入れられたかもしれないが、
木にのぼりあざやかあざやかアフリカなど
風をみるきれいな合図ぶらさげて
ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん
豊旗雲の上に出てよりすろうりい
などはこの人にしか作れない説明を拒絶するすきとおった句。この句へ至る手がかりをつかもうと試みても、ぬうっと存在する言葉につるつる滑り徒労に終わってしまう。きっと彼は半端な知識とか知性とかを信じておらず言葉で原初的な感覚をつかむことをいつまでも夢見ていたのかもしれない。そんな世界を作ったアベカンは生前からぬらりひょんのような風貌だったし、今は本物の妖怪になって天国を徘徊しているかもしれない。
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2009-03-08
〔追悼阿部完市〕いちにちきれいに白い完市 三宅やよい
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2 comments:
阿部完市と、「ぬらりひょん」ですか。言い得て妙、という印象です。ちなみに、「ぬらりひょん」て、妖怪の総大将だそうですね。
>コメントありがとうございます。
水木しげるによると、ぬらりひょんはどこから来てどこへ帰るかはまったく分かっていないが、どんなところへも自分の家のように入ってくるから逆に人は気付かないとか。総大将らしく動きはゆったり静かで大人の趣があるそうです。
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