2009-03-29

俳枕6 水無瀬と田中裕明 広渡敬雄

俳枕6 水無瀬と田中裕明      広渡敬雄


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水無瀬は、京都府乙訓郡大山崎の天王山と接する大阪府三島郡島本の地域で、後鳥羽上皇の「見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ」の名歌で知られる離宮跡。

承久の変で隠岐に流されその地で没し、遺言により建てられた上皇の霊を祭る御影堂が、水無瀬神宮の起こりとなっている。「離宮の銘水」また、宗祇の「水無瀬三吟」でも名高い。

木津川、宇治川、桂川が合流した淀川べりは、谷崎潤一郎の「蘆刈」の舞台でもあり、対岸には、エヂソンの白熱電球のフィラメント材料に珍重された竹林の石清水八幡宮がある。

水無瀬なる小さき雛を納めけり    田中裕明
小田べりの水無瀬の紅葉水鏡     阿波野青畝
遂に空風花ふらす水無瀬宮      能村登四郎
春や水無瀬ゆるりと雪の舞ひをれば  川嶋一美
 
田中裕明は、昭和34年大阪市生まれ。府立北野高校時代から、短詩形全般を手掛け、波多野爽波「青」に入会。京都大学進学後の第一句集「山信」で「二十歳の自分とは、勝負あった」と師爽波を脱帽させ、二十二歳で史上最年少の「角川俳句賞」を受賞。岸本尚毅とともに、「青」の若手双璧と言われた。

俳人森賀まりと結婚三年目の平成2年に当地(島本町若山台)に転居。師爽波死後の同4年には、「ゆう」の母体「水無瀬野」を創刊主宰し、平成12年「ゆう」創刊。
「写生と季語の本意を基本に詩情を大切にする」をテーマに満田春日、対中いずみ等を育てた。

同14年、十年間の集大成たる第三句集「先生からの手紙」を上梓。茫然としてつかみ所がなく、擬古典派のやや難解な句風から、三女にも恵まれ、家族への暖かなまなざしの句も多い。

水遊びする子に先生から手紙
をさなくて昼寝の国の人となる
麦笛を吹けぬ子ずつとついてくる

この頃から、骨髄性白血病等のため、入退院を繰り返し、平成17年1月の第四句集「夜の客人」の刊行直前の16年12月30日、逝去。享年45歳。その後、有志の尽力で「田中裕明全句集」が刊行され、我々は「田中裕明」の全容を知ることが出来る。

「伝統俳句に納まらず、伝統とは、何かを問いただす存在としての裕明俳句は耳で聞く詩歌として似つかわしい」 (小川軽舟『くびきから放たれた俳人たち』より)


大學も葵祭のきのふけふ
雪舟は多くのこらず秋蛍
一生の手紙の嵩や秋つばめ
みづうみのみなとのなつのみじかけれ
けがの子を励ましてゐる櫻かな
エヂソンの竹なる竹を伐りにけり

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