2009-03-08

〔阿部完市の一句〕五十嵐秀彦

〔阿部完市の一句〕 少年来る無心に充分に刺すために
五十嵐秀彦



俳句を始めたころ、あこがれの作品というものがあった。
いや、あこがれの俳句があったから、自分でも作ってみようと思ったのかもしれない。

いくつか書き出すと次のような作品がそれだ。

 目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹     寺山修司

 「月光」旅館
 開けても開けてもドアがある        高柳重信

 夢の世に葱を作りて寂しさよ        永田耕衣

 南国に死して御恩のみなみかぜ      攝津幸彦

 水枕ガバリと寒い海がある         西東三鬼

 かもめ来よ天金の書をひらくたび      三橋敏雄

こうして見ると、実にパターンだなぁ、と思う。
とは思うが、この一句一句に「偶然」出会ったという事実が面白い。
初心のころも今も、特に研究したい作家でもなければ、個人句集にはそれほど興味を持っていない。
風の中に吹かれてきたものに偶然触れるような出会いのほうが、俳句らしいと思っている。
だから、基本的にアンソロジーが好きだ。
そしてアンソロジーの中から、「偶然」を装った風が吹きつけてきた。
阿部完市の掲句も、そんな出会いの句だったはずだ。

特に難解な句ではないが、ではどう解釈するかと問われると、答えにくい。
初心の頃に好きになった句の大半がそんな句だった。
今でも私は俳句の意味など、どうでもいいと思っている。
たぶんこれからもそうだろう。
よく分かる俳句を書くぐらいなら、なにも俳句でなくてもよいし、エッセイでも小説でも意味伝達を重視した形式を選べばよい。
阿部完市の句は、意味性を無視しているので、私にはとてもなじみやすかった。
それなりの年数を俳句に親しんでくると、やがて立派なスレッカラシになって、写生句を楽しく読んだり、それっぽい句を作ったりするのだが、大方の意見と異なり写生句にはあまり俳句を感じないのである。
やはりなにごと初心というものが肝心で、それが創作の原郷のようになる。

私にとって阿部完市の存在は、やすらぎでもあった。
ときどきふと心に浮ぶその言葉の響きを楽しんできた。
今後、阿部完市論など書く可能性はかけらもないが、好きな俳人、俳句であることはこれからも変わらないだろう。
有名な掲句も、有名であろうとなかろうと、私の背中を俳句に向って押してくれた恩ある一句である。
ほかに好きな句も多いが、一句挙げろと言われれば、この句を迷わず挙げる。

そこがふるさとだからである。

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