〔阿部完市の一句〕 栃木にいろいろ雨のたましいもいたり
大畑 等
呪詞のようだ。音が先行して触手をのばし、ことばを呼んでいる。
トチギ(イ)ニ(イ)(イ)ロ(イ)ロアメノタマシ(イ)モ(イ)タリ(イ)
「イ」の音でことばがことばを呼んでいる。そして、「たましい」というものは「いたり」するものなのであろうか、いや、そのように表記するものなのであろうか?この曖昧さもまた、この句を面白くしているようだ。近代の言語学が言葉の差別化—分類・構成・限定に向かうのに対して、阿部完市の句は、言葉の溶化を企んでいるようだ。意識で切り刻む以前のことば。これは、ことばの発生の問題でもあるのだが、ことばは、ただ今、まさに、発生しているのだから、発生の問題は現在の問題でもあるのだ。
言葉と言葉の境界が曖昧になると時間もまた溶化する。阿部完市の句に、直線的な時間ではなく円環的な時間を感じるのもそのためであろう。阿倍完市は言葉(日本語)に対してきわめてラジカルなのだ。句そのものがウロボロスの蛇!
掲句は『にもつは絵馬』(1974)所収。
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2009-03-08
〔阿部完市の一句〕大畑 等
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