2009-03-08

〔追悼阿部完市〕爽波と完市 島田牙城

〔阿部完市追悼〕
爽波と完市

島田牙城


ミスマッチに思へるものの中に、案外その中心を貫く本質が隠されてゐたりもする。

波多野爽波率ゐる「青」の吟行会が近江高島で持たれた一九七七年三月のお彼岸のこと。その句座に四十九歳の阿部完市の姿があつた。

その後、一九七九年の九月、「青」は三〇〇号を迎へ、その記念号で「波多野爽波小論」を特集、阿部さんも論者の一人として「波多野爽波小感」といふ一文を寄せてゐる。

この中で阿部さんは、簡潔端的に俳句についての自らの思ひ一通りを語つてゐる。例へば、

私は「言葉」がその指示機能から私の心の、気分の、感情の機能 ── への移行がはじまり、それが決定するとき一句が成る、と今は思っている……

といふふうに。ただ、近江高島に赴いたころは、まだ「体験的に私に理解し得なかった」時期だつたのだといふ。

阿部さんは、自分の俳句を爽波に見せるために、わざわざ近江まで足を運んだのではなかつた。盟友・飯島晴子から聞かされる爽波の作句現場、「その多作とその速度」「ひどく心惹かれ、そして高島へ行った」のだと書く。自らの俳句観と爽波の句作りに一脈通づるものを直感し、何らかのヒントをその作句方法から得ようとしたのだといふことだらう。

そして阿部さんの爽波体験は、爽波の作句姿勢と自らの作句姿勢に、俳句生成の本質としての一致点を見出ださしめることとなる。

一句生成は所詮「偶然」がその主役を作す。しかし、この「偶然」は、作者の一念につねに連結している。いなければ「偶然が主役」にはなり得ず、求める一瞬はついに来ない。

大切な単語は二つ。「一念」と「偶然」。先の引用箇所に照らし合はせると、「一念」によつて「移行」が始まり、「偶然」によつて「決定」がなされるのだといふことになる。このことにおいて、阿部さんは爽波の大いなる理解者であつた。

阿部さんは俳句論をよく書いた。また、現代俳句協会青年部のシンポジウムなどにも積極的に顔を出し、若い者たちの発言をじつくりと聞いた後に、会場からの意見を求める段になると必ず手を挙げ、アドバイスを惜しまなかつた。

纏められた俳論のうちの一冊『絶対本質の俳句論』は僕が作つた。大仰な題を考へたのも僕だけれど、しかし僕には、論客・阿部完市といふ厳ついイメージは不思議とない。論理を積み上げる人といふよりも、「一念」のうちに「偶然」言葉の塊として湧いてくる思ひを大切にされる人だといふ印象が強いからだらう。「瓢箪から駒」の図柄を装丁に使つたのも、そんな思ひからである。阿部さんは苦笑ひしながら僕の意匠を受け入れて下さつた。

この本の中で、
  鶏頭の十四五本もありぬべし   正岡子規
について何度も繰り返し面白がつてをられる。この句が席題「鶏頭」でつくられた九句中のラストの句であつたことがよほど気に入つたらしい。そしてかう書く。

奇妙な言い方であるが、正岡子規の「鶏頭の十四五本も」一句は、ひょっこり生れ出た一句であると思う。ひょっこりというのは「無意識のうちに、下意識裡に、思いもかけず、意図せずに」という意味合いである。

今また巷には意味による了解を求める俳句が氾濫し始めてゐる。俳句鑑賞も意味一辺倒だ。韻文とは、意味から抜けた心地よさや、意味を殺ぎ落とした戦慄をもたらしてくれるものではなかつたか。意味から飛んだところに生まれる「一念」による「偶然」を、もう一度僕たちは考へたはうがよい。そのきつかけとなる「言葉」の数々を残してくれた阿部完市さん、有難うございました。

  はるかへかえる小さい沼をくるくるまわし 完市

    阿部完市さんを悼む
  水固ければきさらぎにでこぼこを     牙城


こんな句が出来て微苦笑してゐる。阿部さんが作らせてくれたものだらうか。      合掌

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