2009-03-08

〔追悼阿部完市〕 橋本 直 若き日の阿部完市について

〔追悼阿部完市〕
若き日の阿部完市について       

橋本 直
 

のっけから実証に入って恐縮だが、現代俳句協会のHPにある第9回現代俳句大賞受賞を知らせるページの、故阿部完市氏のプロフィールには不正確な点がある。

「昭和25年より俳句を始め、昭和26年日野草城の「青玄」、同27年、西村白雲郷、 稲葉直の『未完現実』に入会。」
http://www.gendaihaiku.gr.jp/news.cgi?a=view&id=2009020501より引用)。

この「未完現実」は、根源俳句の提唱者の一人である西村白雲郷の「未完」が、彼の死を以て昭和33年5月1日発行の通巻第101号で終刊し、その後継として稲葉直の手によって起ち上げられたものであり、上記略歴はその経緯について記述が粗い。

さて、その「未完」の終刊号がいま私の手元にあるのだが、シンプルな表紙は、司馬遼太郎「街道をゆく」で旅の同行をし、挿絵を担当したことで知られる須田剋太によるものであり、追悼記事の執筆者を見ると、永田耕衣の弔事をはじめ、その耕衣や、平畑静塔、金子兜太、赤尾兜子、榎本冬一郎、波止影夫、楠本憲吉、東川紀志男、桂信子、田川飛旅子らの追悼文が並び、やはり西の有力俳人であった白雲郷、あるいは稲葉直の交友関係が垣間見えている。

ここで阿部は、追悼文とともに白雲郷研究「『瓦礫』鑑賞」を寄せている。前者は短文だが「いいオヂイサン」白雲郷の印象を語る一見微笑ましげな話題のなか、その印象をもつ我とそれを見据える精神科医の我、結局両方で自己を語らないではいられないようであり面白い。後者では、若き日の、和歌山塩津の診療所にいたまだ俳句をはじめて半年の阿部が、稲葉直から白雲郷の〈霊棚の芋殻の梯子笑うべからず〉を見せられた時の驚きを語っている。

「私にとつてこの一句はまさにおどろきであつた。それはこの一句が何よりも慧智の詩であつたことである。哲学の詩であつたことである。私にとつてこの『笑うべからず』は絶対の境地であつた」(阿部完市「『瓦礫』鑑賞」)

いわゆる虚子派的「花鳥諷詠」の句境を厭う感性をもって俳句に出会いつつ、村の診療医として連日どっぷりと俗な現実に浸っていた阿部にとって、この句は格別の「贈り物」であったようである。

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