2009-03-08

〔阿部完市の一句〕小野裕三

〔阿部完市の一句〕どこにいても陸橋にいても難解

小野裕三

初めてお会いした時に、「ああこの人が○○さんか……」という感慨を抱いた俳人は何人かいる。阿部完市さんは僕にとってそのような俳人の一人だった。正直に告白すると、初対面で一番「ときめいた」のは阿部さんだったかも知れない。ときめいたというとなんだか妙な風に聞こえるかもしれないが、僕が俳句を始めた時、その作風がもっとも魅力的に見えた同時代を生きる俳人が彼だった。

阿部さんのような俳句が世の中に存在することすらも知らずに俳句を始めた僕は、やがていろんな句集などを手にするうちに阿部さんの句に出会った。こんな俳句があるのか、というのが当時の僕には新鮮な衝撃だったのだ。

初めて阿部さんご本人にお会いしたのはおそらく八年ほど前。僕の所属する「海程」の全国大会が東京で開催され、その際に現れた一人の落ち着いた紳士が阿部さんだった。大した会話ができた記憶もない。こちらも緊張していた。その後も残念ながらあまりお話する機会もなかった。機会をいただいて、『現代の俳人101』(新書館)という本の中で阿部完市さんについての解説を担当したこともある。それをご本人がどう思われたのか気になっていたのだが、ついにその感想を聞くことはできなかった。結局のところ、一種の片思いみたいなものだったのかも知れない。

『海程』誌では「共鳴二十句」というコーナーがあって、阿部さんもその選者を務められていたが、僕の句がそこに取り上げられることもなかった。ただ、一度だけ、僕の句が載っていたことがある。

 バス降りて簡単な滝ありにけり  小野裕三

正統派の句と言える。有季定型で客観写生でもある。だが、この句を阿部さんが取ってくれたことは僕にとってどこか納得のできることだった。客観写生の向こうに何か不思議な世界が見えてくるような、前衛だとか伝統だとかそんな垣根が意味をなくしてしまうような、そんな句を作りたいと思い始めた僕にとって、この句はまさにそんな方向の取っ掛かりであった。そして、その句を阿部さんが取ってくれたことは嬉しかった。片思いも、ほんの少しだが脈が通じたのかも知れない。

当然ながら阿部さんの句には、好きな句が多い。それを挙げだすときりがないので、ここでは『海程』誌で発表された最近の句から引く。

 どこにいても陸橋にいても難解  阿部完市

阿部さんの俳句は、最後までこの調子だった。難解の場所から一歩も動かず、難解の場所を追究し続けた。俳人によっては、生涯の中で作風を変える人もいる。どちらがいいとか悪いとかいう話でもない。ただ、阿部さんはいつまで経ってもやっぱり阿部さんだった。その一貫性を、なぜか嬉しく思う。

いずれにせよ、自分の憧れた偉大な先輩がまた一人逝ってしまった。心よりご冥福をお祈りしたい。

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