2009-04-12

商店街放浪記 07天保山・港商店街 小池康生

商店街放浪記 07 天保山・港商店街 その1

小池康生


つい先日、4月9日のこと、おとこ三人で大阪港に行った。
待ち合わせは、JR大阪駅のプラットホーム。
日の暮れたばかりのホームで、ペーパークラフト作家と俳人二人が集合。
『路地裏荒縄会』のメンバーである。

『路地裏荒縄会』・・・・なんとも怪しくイケナイ感じの名前だが、残念ながら深い意味はない。2ヶ月前、同じメンバーで大阪市内某所をうろつき、大いに飲み、大いに街の歴史を語っているうちに、定期的に大阪の街をうろつこうということになり、会が発足。

会の名前をどうしようかというとき、<路地裏探検隊>では退屈。
<路地裏>に意外な言葉の組み合わせが欲しい。そう思った時、テーブルにあったポストカードに目が止まった。写真展の案内だったが、そのカードには、目隠しをされ、後ろ手に縛りあげられたうつくしい女性の写真が使われていた。

この写真と<路地裏>を取り合わせ、<路地裏荒縄会>となった次第で、名前だけがアヤシイのである。
路地裏荒縄会の中高年三人は、JR『西九条』で乗り換え、USJのある『桜島』で下車。そこから散策がはじまる。

倉庫街の味気ない町並み。何故、ここを歩いているのだ。今回の旅の、いや散策のコーディネートは、ペーパークラフト作家、通称ペーパーさん(今思いついたでまかせの呼び名。でもいい感じ)にお任せ。大阪港に行くなら、地下鉄中央線が一番便利なのに、なぜにJRで桜島なのだ。
味気ない路地に酒屋が見えてくる。ペーパーさんが言う(それにしてもなんちゅう省略。怒らんといてや)。
「あそこでとりあえず、ビールを一本ずつ買いましょう」
いきなり自販機の缶ビール。満月は嬉しい。潮の香も嬉しい。しかし、街として、目ぼしきものはない。どうするのだ。

缶ビールを後生大事に持って歩くと、すぐに堤防が見えてくる。そこを上ると、大阪港が開ける。ちょうど安治川が大阪港に合流する地点なのだ。
堤防を上り、下ると、天保山渡し船の待合所。
ここから対岸への船が出るのだ。

船と言っても無料。道路扱いの渡し船。船が来るまで時間、ここでビールを飲みながら語らう。大阪にはこんな渡し船が何箇所かある。

おとこ三人が漆黒の安治川に向き合い缶ビール。
対岸に天保山。ライトアップされた大観覧車が見えるし、海遊館も、ハーバービレッジも見える。あそこから対岸のこちらを見たことはあるが、こちらからあちらを見るのは初めて。これが最初のサプライズ。ペーパーさんの演出だ。
 
ペーパーさん、やるなあ。
さすがに歩きこんでいる。
歌好きが、<歌いこむ>ように、ペーパーさんは、<歩きこんでいる>。
一度や二度この界隈をうろついた程度ではこの演出はできまい。

ペーパーさんは、ペーパークラフト作家で、建物のパターンを作るのだ。
大阪の(大阪に限るのかどうかは知らないが)古き良き建築物を見つけては、そのビルの設計図まで辿り、建物を紙で再現する。
<紙で建物の模型を作る人>というのが分かりよいかも。
それを型紙にして、誰にでも作れる商品を仕立て上げる。谷折・山折・切り取り線の工作物で、紙の建築士になれるのだ。
 
街を歩き、建物を見つけ、建物の設計図を手に入れ、紙で再現する。
だから相当に歩きこんでいる。建物を発見することは、街を発見することである。

この天保山で、どんな建物をみつけたのやら。
おとこ三人は、缶ビールを飲みながら、この街への思いとこの街の知識をそれぞれに語りだす。

要約――――。
この安治川は、生駒山からの砂が流れ込み、すぐに浅くなる。そこで、川を深くし、大きな船が通れるようにするため、川を浚い、掬い揚げた砂が山となったのが、天保山である。かつては、20mほどの高さがあり、目標山(めじるしやま)とも呼ばれ、幕末以降は砲台も設置されていた。

文明開化の頃には、この川を遡ったところに、<川口居留地>があった。
東京で言えば日本橋、いや、聖路加のある明石町あたりに相当するだろうか。
大阪の文明化の街である。ここから西洋文明がひろがった。

つまり、神戸と同じように、大阪の川口という街にも外国人居留地があったのだ。
しかし・・・・。
今や、川口居留地の存在を知る人すら少ない。
それは、先ほど書いた生駒の砂に問題がある。
大型の船を入港させるため、何度も川を浚った。
しかし。すぐまた砂がたまり浅くなる。
掻き出し掻き出し、溜まり溜まり、その繰り返しの果て、大阪人は根負けし、浚うことを諦めたのである。

結果、神戸が国際港となり、外国人も神戸に流れた。
外国人が神戸に流れた別の説としては――、居留地に来る人たちは、特別裕福な外国人で、彼らは、海も楽しむが、狩りなどで山も楽しむ。そういう人たちにとって、海と山の近い神戸の方がよかったという説もあるらしい。

いずれにしろ、大阪は、神戸のような洒落た街になる可能性を失ったのである。返す返すも口惜しいと、缶ビール片手に路地裏荒縄会は、語りあったである。

そうこうしている内に、渡し船が来た。
いつの間にか、地元の人たちの自転車の行列。船の横っ腹が開き、自転車ごと乗り込んで行く。わたしたちは缶ビールを飲み干し、あとに続く。

船が出る。ペーパーさんが言う。
「向こうで、特別ゲストと合流します」
まるで、テレビ番組のような構成演出ではないか。
対岸は天保山、そこには、ふたつの商店街が待っていたのだ。
 
貝寄風に乗りて帰郷の船迅し 草田男

                 (一週おいての次回へ続く)

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