2009-04-26

商店街放浪記08 天保山・港商店街 その2

商店街放浪記 08 天保山・港商店街 その2

小池康生



市営の渡し船は、ユニバーサルジャパンのある此花区桜島から、安治川を横切り、港区天保山へ向かう。
ペーパークラフト作家と俳句を愛する二人の中高年は、平日の夜、大阪港散策を楽しもうとしている。

天保山の渡しは河口なので、川だけでなく大阪港の空気も楽しめる。
短いクルージングだが、船で天保山に到着するのはオツなもので、しかも無料とは、大阪市さんありがとう。

対岸の港区側に到着すると、先ほどとは反対側の横腹が開き、自転車は向きを変えることなく出て行き、いつまでも船内をうろうろしているわたしたちは、係りの人たちに急き立てられ下船する。

ここは、大阪港の北岸。船を降り、待合室をまわりこむように進むと、天保山公園の桜が見えてくる。
夜目にも満開。灯りの入っていないぼんぼりが木々を縫い付ける。その向こうに大観覧車。天保山ハーバービレッジの東隣りだ。

他府県の方もご存知の海遊館、それに隣り合うハーバービレッジは、1990年の開業。その隣の大観覧車は、1997年の開業。その南に隣接する天保山は、天宝時代、1831年にできた山。160年以上の時代差のあるものが隣接して、今の大阪港の景観となっているのである。

一番高いときで20メートルもあったという天保山、川を浚った土砂でできた築山だから時代時代で高さも変わり、現在は、4.53メートル。日本で一番低い山である。大阪人はしゃれが利いていて、この“山”の頂きに、標高を示す三角点を設けている。わたしたちは、山頂を踏みしめ、いよいよ商店街へ向かう。


界隈へのアクセスといえば、地下鉄『大阪港』駅が至便である。
駅より北側に、海遊館などの新興の観光地があるが、それだけではなく、昔からの天保山商店街がある。有名な洋食店『BEE HIVE(ビーハイブ)』などは、1951年、昭和26年の開業、力道山がデビューし、忌野清志郎の生まれた年から存在するのだ。

この商店街には、強烈な印象のお店がある。
船員バーである。久しぶりなので、どの辺りか思い出せない。しかも今、どこへ向かっているのか分からない。どうも、ペーパークラフト作家は、ゲストとの合流地点に向かっているらしい。わたしは、界隈の地図を頭のなかに再現するが、長い東京暮らしで、あたまの中の地図はばらばらである。 

駅から天保山に至る商店街のどこかではあるのだが、どこなのだろう。あの玄関口、扉のインパクトは忘れられない。いかにも港町という風情、しかし大阪のイメージではない。横浜横須賀あたりの感じ。石井隆の劇画、名美シリーズ、『天使のはらわた赤い教室』のワンシーンに使われそうなお店であった。

初めて入るには相当な勇気が必要で、二度目からは結構優越感に浸りながらドアを開けられるお店であった。ドギツイ色彩、戦後な趣き、映画のセットの様なドラマチックな雰囲気。カウンターには、お店の装飾に負けないママがいた。

わたしがお邪魔したのは、二十年ほど前のこと。
棚には、各国のお酒が並んでいた。怖いお兄さんが出てきてもおかしくなさそうなそのお店には、特別な時間が流れていた。
現代でありながら、現代でないような、現実でなさそうで現実である不思議な雰囲気を漂わせていた。

ビールを飲んだのだと思う。どこのビールだったろう。
棚にある珍しい酒瓶を眺めていると、ママから、
「世界中からお客さんがくるからねえ」
と声を掛けられた。
珍しい酒は、たいてい海外からの船員さんの残していったものだという。
「うちは365日営業してる」
とも言う。
海外の船員が来るバーで、彼らはいつ来るか分からない。年に一度かもしれない。その時、店を訪ねて休みだったら悪いから、一日も休まないという。

昔、海外からの貨物船、港湾労働者で賑わい、この船員バーにも女の子がたくさんいて、二階のボックスでは色々な盛り上り方があつたという話だ。うろ覚えだが。戦後の復興、高度成長期を支えてきた港の面影が残るバーなのだ。

1990年、海遊館ができて、観光客が来るようになったが、それまでは、港の仕事に関連する人たちの町だった。

今は、ママひとり。客もまばら。365日の営業。店のケバイ外装、内装。清川虹子に似たルックスのママの化粧の下にヒューマンな大阪ハートが秘められていたのである。
あのお店はどこだったろうか。意外に分かりやすいところにあったのだが・・・。

わたしが船員バーのことを考えている間に、一行は、海岸通り1丁目角のレトロなビルの前に来ていた。
商船三井築港ビル(旧大阪商船ビル)。
『あー、海のそばのビルって感じだなぁ』
昔かっこよくて、今もかっこいいビルだ。海遊館に車で来るとき、必ずこの角を曲がっていた。誰でも知らずに通過していたところだ。
 
ペーパークラフト作家がビルに入っていく。わたしたちも続く。
このビルに事務所を構えるデザイナーさんふたりが今夜のゲストであるらしい。事務所の入り口に煉瓦作りの建物を紹介する本『赤レンガ近代建築』や、アクセサリー、ポストカード、それにペーパークラフト作家の『PEPER MODEL商船三井築港ビル』の型紙も販売されている。歴史的建造物の中で、そのビルの型紙が売られているのだ。

むさくるしい中年男三人と女性デザイナーさん二人で、次の商店街に向かう。

今までわたしは、駅の北側にしか商店街がないと思っていたが、南側に案内された。そこは、港商店街。立ち飲み屋が5軒もあるという。
最も海に近い店に近づいて行く。大声が聞こえてくる、思わず全員の足が止まる。すわっ、喧嘩か。違う。笑い声も交っている。店の中の会話のようだ。女性の胴間声。かなりのボリュームである。

のれんをくぐる。立ち飲みとはいえ、椅子もある。こちらの人数をかぞえ、カウンターの別の席からも、カウンターのなかからも椅子がでてくる。
コの字型のカウンターの真ん中の一辺が長く、そこにわたしたちが陣取る。

ビールを注文し、目の前にめし屋のように並ぶ惣菜を選ぶ。オーダーで造られる料理もあり、豚足とおでんを頼む。

ここからは、わいのわいのの雑談。大阪港の話、界隈の商店街の話、俳句の話などなど、右横の席では、店の表まで聞こえる大声を発していた女性らの一団。
精悍な男性を囲み、女性がふたり。かなりの密着度で呑んで騒いでいる。
どういう三人だろう。スナックの女性と店外デートという感じだが、それにしては、時間が早い。この時間ならスナックのお姉ちゃんはスナックにいるだろう。胸を触ったり、唇を突き出しあったり、かなりのものである。しかも大声。なんだかとっても港町である。まぁ、氏素性なんてどうでもいい。向こうもこちらの5人が何者か分からないだろうし。

気が付くとわたしの横の俳人が、カウンターのティッシュペーパーに手を伸ばしている。鼻でも噛むのかとおもったら、鞄から筆ペンを取り出し、ティッシュペーパーに俳句を書き出すではないか。
本日の吟行句である。渡し船を題材に作っている。負けてられない。わたしもティッシュペーパーも引っこ抜く。

筆ペンを借りて書き出す。おっ、書きやすい。ティッシュペーパーに筆ペンが合う。

殊更に桜を揺らす渡し船  康生

即席はこんなもんだ。熟考の時もこんなもんだが。
横では、筋肉質のおじさんが、胴間声のおねえちゃんのおっぱいを揉んでいる。このおねえちゃん、結構、綺麗。ハーフのようにも見える。港湾な感じが醸し出され、わたしはこの雰囲気がいやではない。

ペーパークラフト作家は、A4の型紙の美学を説きながら、珍しく俳句も作っている。わたしの左隣にいるデザイナーさんも俳句を作りだした。変な夜だ。

ビールや冷酒を飲み、すっかりできあがったわたしたちは、河岸を変えることにする。会計は5人で5000円。ひとり1000円。立ち飲みの醍醐味である。

次もまた同じ通りにある立ち飲み屋へ。
今度の店は広い。家庭のリビングにあるようなテーブルが幾つも並んでいる。きっとどこかの家で使われたことのあるテーブルだろう。
入り口の惣菜の冷蔵庫から好きなものを取り、テーブルに運ぶ。蛸の造りや漬物など。二十歳までに幽霊を見ないとその後ずっと見ないで済むなど斬新な説を聞き、いい気分で酔っ払う。この店の会計は5人で3000円。
 
わたしは酔っ払いながら、船員バーのことを思い出し、今日うろついた二つの商店街のことを考えていた。
ここには、昨今はやりのショッピングモールとは別のテイストがある。
俳句に、「季語が動きます」という評価があるが、次つぎと生まれるショッピングモールに開店する店の多くは、この<動く季語>に似ている。
それに対し、今夜うろついている立ち飲み屋や、かつて行った船員バーは、一句にぴたりと嵌り、ぐらつかない季語のようにその街に存在している。

商店街とはそういうものである。それが何屋であろうと、動かない季語のように街に嵌って欲しい。歴史のある店も、新興の店も、その町の空気にぴたりと嵌ればいいのだ。

胴間声のおばちゃんが何者かは知らないが、嵌っている。
逆に他人のテリトリーに侵入したわたしたちが、彼らの空気を壊してしないかと心配である。あの胴間声の全身からの笑いは、ショッピングモールの居酒屋では叶わない笑い声である。

帰り道、この街を惜しいと感じた。
いい雰囲気が残っている。でも寂れているのも事実。なにかのきっかけで、この街はもっともっと面白くなる可能性があると思う。

大阪には、大きく三つの港町がある。
北港、大阪港、南港。大阪府知事が府庁を移そうとしたのは、南港である。
 海岸通りから地下に潜る道路で、大阪港と南港は繋がっている。府庁が移転すればこの界隈も栄えたかもしれない。しかし、府庁がここに来るのは相当違和感がある。

よほど、現在の大阪の中心的な商業行為と、大阪港が緊密なつながりがあるならともかく、大阪の商業地域や文化的なゾーンと現在の港は離れすぎている。
観光地だけを持ってくるのではなく、<商業と生活>が、この港と密接な関係を持たないと、なかなかこれ以上の発展は難しいだろうし、府庁が来るなんてことも意味を持たない。

しかし、この街には、味わいがある。そして、何より、自然がある。
海は大自然である。大阪にある大自然を生かさぬ手はない。大阪の海に似合う商店街。歴史的建造物。ぞくぞくする。人間には二種類しかいない。大阪港で句会をやった奴と、やらない奴である。あー酔った。
  
翌日、例の船員バーが気になり、大阪港へまた行った。
昼飯時、商店街をうろうろし、この辺りと思う場所を思い出した。
一箇所は、真新しくお洒落なワンルームマンション。もう一箇所は、更地になっていた。 
 
呼ぶ声を空は返さず花ぐもり  遠山陽子


                   (一週おいての次回に続く)

3 コメント:

A.M. さんのコメント...

いつも楽しく読ませていただいています。

今回の港町は、自分の中のイメージとして在った大阪とはおもむきが違い、また格別です。

小池康生 さんのコメント...

A.M.様

コメント、ありがとうございます。
未知の読者の存在を知ることはとても励みになります。

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
船員バーのことが気になって、ネットで情報を探していたところ、こちらにお邪魔いたしました。
私も20年前くらいによくお店に伺いました。
その当時はママさんともうお一方女性がいらっしゃいました。
ママさんがとてもいい方で、私の誕生日に皆でお店に行くと、ママさん手作り料理でお誕生会をしてくださったり、鶴橋の焼肉に連れて行ってもらったりしました。
その後、私が転職をしたりしてなかなか伺うことができずに、今は北海道住みになっています。
本当に楽しかった思い出がたくさんで、最近年をとってくると気になって仕方なくなっています。
ママさんはどうされておられるのでしょうか?