〔週俳第100号の俳句を読む〕
久保山敦子
それでこそ「満点」
還暦や山は満点大笑 雪我狂流
ここ数日「山は満点…」と口ずさんでいる自分がいます。なにかのキャッチフレーズのように取り付かれてしまいました。
この作者、ご自分の人生だけでなく、周りの人達も「大笑」させてくれる人のようです。それでこそ「満点」。幸せな句。
鳥帰る絵本の空をたたみけり 山田露結
「おしまい」と言って閉じる絵本。それでも子供はしばらくのあいだ、絵本の中に遊んでいます。それとも夢の中? 絵本の中に空があって、本を閉じると空も消える。それを「絵本の空をたたみけり」といいました。鳥のはばたきを想像します。そして「鳥帰る」の季語によって、さらに重層的な句になりました。
這うてでも春満月の夜に逢はむ 谷口智行
万葉時代の恋のようですね。街灯や乗り物は似合いません。もちろん携帯電話も。「春満月」の効果が絶大。
スランプの一本桜並木かな 仲 寒蝉
どうしたのかな?と思えるような桜の木があります。となりの木の勢いに押されてしまったのか、すこしいじけたようにも見えます。咲きたくなったら咲けばいいさ、また来年もあることだし。桜だって、並んで植えられるより、一本で立っていたいかもしれないし。
スイッチを切り春雪の窓になる 村田 篠
スイッチというのだから電気器具でしょう。電灯か、テレビか、部屋を暗くして窓に近づくと、白いものが降りしきっています。春の雪だから、積もるとまではいかないかもしれませんが、時ならぬ雪景色にしばらく窓に佇んだことでしょう。
春昼の卵のなかの無重力 さいばら天気
自分が卵の黄味になって浮遊しているような感じがします。羊水に浮ぶ胎児のように。この感覚はやはり「寒卵」ではないなぁ、と思うのです。
≫ 週刊俳句 第100号
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2009-04-12
〔週俳第100号の俳句を読む〕久保山敦子 それでこそ「満点」
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