〔週俳第100号の俳句を読む〕
山崎志夏生
春の無意味な散歩
啓蟄や達磨たくさんある食堂 雪我狂流
下町の高くてもカツ丼どまりの食堂。そこに置かれたたくさんの達磨。実際には絶対なさそうな店だけどそんな異空間に射す達磨の朱には癒されそうだ。そこに集うオヤジたちは啓蟄の這い出した・・・
春なれや波の音する洗濯機 山田露結
この比喩は美しい。春なれやという呼びかけが効果的におもう。波音と春は近い感じもするが、洗濯機というしょぼい無機質を媒介して詩を獲得している。踊りだす洗濯機を買い換えなかったばっかり妻に去られちゃった男を思い出すなあ。
きんつばをおもう椿の道すがら 堀本 吟
安井句のたたみかけるインパクトは無いが、濃密な椿の質感は薄皮で覆われた四角いあんこと微妙にひびく。ぶらぶら歩くときにこんなものを思うとは何とも春の無意味な散歩だ。滝田ゆうの漫画のふきだしに描くとしたらきんつばの絵はどうやって描くのだろう。きっと伝わらない絵なんだろうなあ。
石いつも受身なりけり春の風 神野紗希
フォーク世代の僕は、石という言葉でつい小室等の「おはようの朝」という歌を思い出してしまう。作詞は谷川俊太郎、しかし俳人としては許せないタイトルの曲だな。田宮二郎主演の「高原へいらっしゃい」という山田太一ドラマの主題歌となり、小室等という地味なシンガーのなかでは有名な部類の曲となった。その内容もかなり受身な青年の甘いモノローグを歌詞としたものだが、この句ではよくある「石は受身だ」というウィットが「春の風」によってここち良いカタルシスとなっている。この風によってきっとおはようの朝がくるのだな。
可口可楽飲んで蛙の目借時 菊田一平
伝統的な季語にコカコーラを漢字にして取り合わせるなんぞなんて技巧的なんだろう。いやんなっちゃうなあ、と褒めてしまおう。字面からくるリズム感が春らしいポップさとともに何処かカナシイ。空いた壜の薄緑が美しい。
四月馬鹿缶に残れるシリカゲル 上田信治
少し無理があることは承知だが、本名が「シゲル」なのでなんか他人とは思えない乾燥剤である。なにか哲学的な響きでさえあるモノだ。何十年間も進歩のない物質でもありそうだ。ほかのいいかたぢゃなく「四月馬鹿」なのはこの本体を消費してしまったあとの無用途な存在と等値になっているからか。このあとのシリカゲルの運命が気にかかる。
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2009-04-12
〔週俳第100号の俳句を読む〕 山崎志夏生 春の無意味な散歩
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