2009-04-26

『俳句』2009年5月号を読む 上田信治

〔俳誌を読む〕
『俳句』2009年5月号を読む

上田信治


なんか『俳句』ちょっと、変わりましたよ。

俳句作品のラインナップを見てみましょう。

前半
特別作品50句……小澤 實
特別作品21句……櫂 未知子・岸本尚毅
16句……星野 椿・友岡子郷
8句……眞鍋呉夫・磯貝碧蹄館・坊城中子・黛執・竹本健司・廣瀬町子
扉5句……大嶽青児

後半
12句……鳥居三朗・水田むつみ・ふけとしこ・大井恒行・西宮舞・水野真由美
俊英7句……6人
俳人スポットライト……6人

小澤 實、櫂未知子、岸本尚毅、といえば、本来、だれが巻頭50句でもおかしくない。新作に対する期待感が、自分の体感としてはもっとも高い(個人的には、ご三方ともBEST5に入るような)作家です。この3人の並びは、編集部、渾身のラインナップといえるのではないでしょうか。

それに続く人たちについて言えば、いつも通りベテラン、中堅とりまぜて。

欲を言えば、ここに、有力若手、あるいは生きのいい結社中堅(見慣れてない人)の名前がほしいところ。

若手枠「17字の冒険者」が、「俊英7句」になりました。これも、若い「だけ」っていうのではなく、ということでしょう。

やすらかに黴餅となるみどりあを  小澤實
エレベーターガールの欲しき春の暮 櫂未知子
釈迦白し涅槃図のやや上の方    岸本尚毅
春暁や乳呑児のごと熱き肌     真鍋呉夫
霾や公園といふ忘れもの      川嶋葵
蕗の薹群れて閉鎖のゴルフ場    篠崎央子


●大特集「句会で作句力を磨く」p.61-

座談会「句会の可能性」(高橋睦郎・中原道夫・片山由美子)が、なかなか。

高橋 現在の句会の元になっているのは、子規庵の句会だと思うのです。子規庵の句会のもとは、彼が否定したけれど幕末から明治に入ってまでの月並句会立ったと思う。その月並み句会のもとは蕉門の句合(くあわせ)で、そのもとはもちろん歌合(うたあわせ)です。さらにそのもとは饗宴でしょう。饗宴の場で歌を作るということがあった、それはすぐれて古代的なもので、どんな民族でもそうだったと思うんですけれど、日本の場合だけは、その古代的なものがみごとに今も残っている(…)。

これ以降も、高橋陸郎さんの発言は、ほとんど全部が「論」になっていて、あざやかです。

中原道夫の語る「沖」句会の思い出(能村登四郎、独特のお人柄)。片山「句会って否定される場でしょう」、高橋「(作者のためではなく)俳句のための句会というのがあっていいと思う」他、含蓄のある場面、多々。


●小特集「いま、高柳重信を読む」p.114-

池田澄子、澤好摩、鳥居真里子、藤原龍一郎、小西昭夫、岡田耕治、冨田拓也、佐藤文香、と並ぶ、重信論集。

「恥ずかしげに女々しく、嘆きを甘美に囁くのである。陳腐は承知の上で〈いのち賭けても〉の俗を敢えて引き寄せてささやく」(池田「重信なげき節」。引用は〈さても未熟な/独楽廻し/いのち賭けても/倒れる独楽〉)

「本物の「さよなら」だったのかーー彼が書き切った作品を読んだ後の、引き剥がされるような淋しさは」(佐藤「さよなら高柳重信」。高柳による「その頃の僕の俳句は、多分明日は不在となるだろう僕から、いっそう明日は生々と存在しているにちがいない人たちへの、それとない惜別の合図であった」という言葉を受けて)


名句合わせ鏡「比喩の世界」岸本尚毅 p.138-

珍しや、岸本尚毅さんが、阿部青鞋を中心に、比喩について書いています。「凡そ青鞋の句においては読者は極めて自由です。不安なまでに自由です。不安がる読者を青鞋は無責任に眺めています」


表紙も変わって、新しくなった『俳句』。あ、表紙の、ゴチックの抜けた感じは何とかしたほうがいいと思います。(ほんとは、書体はあまり数使わず、できれば写植がいいんですけどねえ)。


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