2009-04-05

死んだのか死んでいないのかを語ることの意味について 田島健一

現俳協シンポジウム「前衛俳句」は死んだのか
死んだのか死んでいないのかを語ることの意味について


現代俳句協会青年部委員
田島健一


平成21年3月7日(土)第21回現代俳句協会青年部シンポジウム『「前衛俳句」は死んだのか』が催されました。

現代俳句協会青年部では、たびたびこのようなシンポジウムを開催してまして、そこでどのようなことが話されているのか、については、本来ならばご来場いただいた方だけが味わうことのできる特権なのですが、Webを探せばいろいろと詳しい情報が見つかるようなので(編註*)、参加されなかった方はどうぞそちらをご参照ください。

第一部は金子兜太さんの講演「前衛俳句を語る」でした。これがまた、恒例のオモシロ話でして、この話を聞くのが目的だった方も多いはず。金子さんの話は、ちょっとオモシロ過ぎて、本質的な問題がカスんでしまうんですね。ほんと、困ったものです。僕ら青年部の人間から見ると金子さんは大叔父さんのような存在で、もう好きに話してもらうっきゃないか、というほどスキがないわけです。金子さんの「オモシロさ」には、もう苦笑するしかなく、ま、しもじものものは屈折せざるを得ない、というのが、きっと痛快な人には痛快に違いないんだろうな。

で、第二部のシンポジウムはと言えば、これがまた金子さんの話とはまた違った次元でオモシロかったわけです。このオモシロさは、金子さんの話が名人による「落語」の面白さだとすれば、シンポジウムはまるで三谷幸喜のシチュエーションコメディのようなオモシロさだったと言ってもいいんじゃないでしょうか。

特に僕は実行委員の一員だったので、その準備期間から、シンポジウムの後の二次会、三次会(結局、翌朝の六次会まで流れていったのですが)なども含めて、まさに今、「前衛俳句は死んだのか」というテーマについて語られることにどういう意味があるのか、を肌で感じたのでした。

そう「前衛俳句」というのは、俳句の世界においてひとつのシチュエーションとして働いていたし、今でも働いているわけです。

そもそも意外だったのは、シンポジウムの後、各方面から「で、結局、前衛俳句は死んだの?死んでないの?」というコメントが多く聞かれたことでした。意外。でも、改めてシンポジウムのタイトルを見直してみると「前衛俳句は死んだのか」。「死んだのか」って問いかけてる以上、「死んだのか、死んでないのか、シロクロつけてよ」という感想は、ごもっともなわけです。

でも、考えてみると不思議です。なんで、みんなそんなに「前衛俳句」が「死んだのか、死んでないのか、シロクロつけ」たいんだろう。

そもそも、よく言われるように「前衛俳句」というものが何を指し示すのかを定義することは、とても困難だと言わざるを得ません。これは、別に「前衛俳句」に関わった人たちの怠慢でもなければ、どこかの「俳句辞典」の出版元の落ち度でもなければ、今回のシンポジウムの主催者やパネリストの不手際からくるものではないのです。おそらく、誰もはっきり言ってくれないけれども、実は「前衛俳句」ということばの向こう側には「何もない」ということなのではないでしょうか。それは、いまも何もないし、高柳重信や堀葦男、赤尾兜子などといった人たちが活躍した頃も、「前衛俳句」ということばは「何も意味していなかった」のではなかったでしょうか。

誤解されがちなのは、ある傾向の作風をもった作品群(例えばそれは、俳句の定型を壊すものや、無季の俳句など)を「前衛俳句」と分類してしまいがちなところです。つまり「前衛俳句っぽい俳句」が「前衛俳句」だと考えられていることです。そのような「ある傾向」によって「前衛俳句」が基礎付けられているのであれば、重信も兜子も苦労はしなかったでしょう。ましてや、それについてシンポジウムを開くこともなかったろうし、僕が御茶ノ水駅近辺で朝まで飲み明かすこともなかったことでしょう。

だから「前衛俳句とは何か」というかたちで、「前衛俳句」ということばが指示しているものを明らかにする、というように「前衛俳句」を捉えることは不可能なのです。これは、歴史的な意味における「前衛俳句」も、ある俳句的態度を示す「前衛俳句」も同様です。今回のシンポジウムでも、この「前衛俳句とは何か」という不可能なテーゼにがっぷりよつで取り組んでしまったために、一見、とりとめのない、結論のはっきりしない結果になったように見えてしまったようです。

「前衛俳句は、結局、死んだのか、死んでないのか」という問いは、この「前衛俳句」というものが実体をもつ「何ものか」であり、そのエタイの知れない「何ものか」が、私たちの知らない俳句の「ある部分」を支配している、という幻想の上で成立する問いなのではないでしょうか。今回のシンポジウムのテーマ「前衛俳句は死んだのか」というものが、あたかも「前衛俳句」という死ぬことが可能な主体があるような表現となっていることも、この幻想に拍車をかけたのかも知れません。

おそらく「前衛俳句は死んだのか」というテーゼが呼び起こすもの。それは、「前衛俳句」を殺したい、という欲望なのかも知れません。だから、誰かに言って欲しい「前衛俳句は、死んだ」と。そして、そういう言説が現れるたびに、「前衛俳句」は蘇るのです。「前衛俳句」が死んだことを言うためには、「前衛俳句」ということばを召喚するしかないのです。

印象的だったのは、このシンポジウムの実行委員として準備にあたった宇井十間さん、橋本直さんら青年部委員のみなさん(僕も含めていただいて…)、また、シンポジウムのパネラーとしてご協力いただいた、荻原裕幸さん、城戸朱理さん、田中亜美さん、そして、シンポジウムの後、いろいろと叱咤激励をいただいた各方面の方々、みなさんが非常に真面目に「前衛俳句」というものについて語っているという事実です。

この意味をもたない「前衛俳句」ということばは、そのような真摯で真面目な人々によって、深く「意味づけられ」て、いま僕たちの目の前にある、ということでしょう。

そのことが、僕たちになにか教訓的なものを与えてくれるとすれば、俳句も短歌も現代詩も逃れることのできない「ことば」というものが、何かを意味する、という仕組みについてのヒントなのではないでしょうか。

おそらく高柳重信ら、かつての「前衛」俳人たちが「前衛俳句」を追求することで求めたものも、実はそのようなところにあったのではないか、と、僕は思うのです。


(編註*)
●関 悦史 極私的『第21回現代俳句協会青年部シンポジウム「前衛俳句」は死んだのか』レポート
前編 ≫後篇
●リンクまとめ記事 ≫「前衛俳句」は死んだのか・その後


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