2009-05-10

01夏井いつき 俳句はエンターテイメントだ!

組長提言
俳句はエンターテイメントだ!


俳句集団「いつき組」 夏井いつき



今回の『週刊俳句』まるごと「いつき組」プロデュース号のテーマをひとまず叫んでみる。

  俳句はエンターテイメントだ!

そもそも「エンターテイメント」とは何か? 英語能力が貧困ため「娯楽、余興、遊興」ぐらいの訳語しか思いつかない。試みに叫んでみる。

  俳句は遊興だ!

これまた「遊興」という言葉に対する偏った先入観のため、パチンコ屋や雀荘に屯するおっちゃんたちの煙草臭い「遊興費」みたいなイメージが先行してしまう…いいのか、このテーマ!?

そんな私の目にいきなり飛び込んできたのが「エンターテイメント小説」という言葉。なんだこれは? と、そのサイトを開いてみる。

第17回と数えられているのは活字文化推進会議主催、読売新聞主管、角川書店・宝島社・東京創元社協賛の「新!読書生活」というブックレビュー対談。

「エンターテインメント小説の水平線」と銘打たれたその対談は、どちらも大好きな作家、海堂尊さん(作家・医師)と筒井康隆さん(作家・俳優)によるものだ。

対談の冒頭にはこういう形で「エンターテイメント」という言葉が使われている。

海堂 (略)まず「エンターテインメント小説」とは、どういう輪郭だとお考えですか。 筒井 今、一般にエンターテインメント小説と純文学の境界線がなくなっていると言われています。ただ、エンターテインメントが文学の中核をなすものであるということは言えると思います。エンターテインメントがいま、一番元気ですね。

「エンターテイメント」という語を新聞にも発見した。

朝日新聞「三谷幸喜のありふれた生活」は愛読の記事。2009年5月2日付けのコラムは、香港で行われた「アジア・フィルム・アワード」の授賞式のことが書いてある。その最後のあたりの、こんな一節。

壇上に立つ人々が、受賞者からプレゼンターに至るまで、皆さん、エンターテイメントとは何かということをちゃんと理解していたからだろう。それぞれのスピーチも面白かったし、感動もあった。だからその一端を担えたことがとても誇りに感じた『アジア・フィルム・アワード』

ふーむ…これらの記事を読む限り、どこをふっても「エンターテイメント」という語にはオヤジの遊興費っぽい臭いはしない。三谷幸喜さんの語る「エンターテイメントとは何かということをちゃんと理解して」こその、今回の特集。さて、「エンターテイメント」とは何であるのか。

大辞林には「娯楽。(気晴らしになる)演芸。(気楽に楽しめる)小説。」との記述。

ウィキペディア(Wikipedia)には「多くの人々を楽しませることをその主題とする、文化的な活動の一つ。娯楽。催し物や余興のことも指す。」とあり、その定義として「人工的且つ合法的で全年齢または特定の年齢層の人々の感情に働きかけ、何らかの感動を起こさせ「楽しむこと」を目的にした行為や催し物などのことである」とも記してある。

となれば、ひとまず今回の「俳句はエンターテイメントだ!」というテーマを、

「俳句」という舞台の上で「作り手と受け手が共有し得る楽しみ」を追求してみようじゃないか!

というふうに言い換えてみよう。

その「俳句」の舞台は、句会であったり句集であったり評論だったり検証作業であったり共同研究であったり。そこで、作り手は作り手として楽しみ、読み手は読み手として楽しみ、企画者は企画者として楽しみ、参加者は参加者として楽しむ。

そして、その結果として生まれてくる、作品や句集や評論や研究はあくまでも質の良いものでありたい。本物でありたい。全てが本物を志向していかないと、そこに生まれるものは誰の心も楽しませることはできない。私たちは、そう考える。

さて、今回の特集。どこまでその理想に近づくことが可能なのか?!

それにしても、六時間耐久兼題句会なんて、誰が企画しやがったんだッ?!…なんてブツブツ文句いいつつも、組員一同その日を心待ちに楽しむのも、まさに「エンターテイメント」を知っている人たちならではの大人の楽しみ方。

そして、一人一人が一人一人を楽しませることを知っていてこその、共同で作り上げる「俳句」という名の大舞台。さてさて、どうなりますことやら。

1 コメント:

民也 さんのコメント...

小気味よき、組長提言な~り~


自分がある時期、「俳句」とは何か、ということを突き詰めて考え抜いた挙句の結論は、「コミュニケーション・エンターテイメントのまず『挨拶』こそが俳句」ということ。

いつき組はそんなことは、ずうっと前から実践しているんですね。


我が句もしかり、大道芸な~り~