2009-05-31

水夫清 靴なしの淑女 その1

靴なしの淑女 第1回

水夫 清


●1日目

サンフランシスコで入国したあとがよくなかった。国内線に乗り換えてロスに向かうため、持ち物検査を再度受けなければならない。清田堅治が機内でのアナウンスに従って移動した場所は検査を待つ人の行列がすでにできていた。清田が振り返ると、後ろにも国内各地に向う人々が大勢並んでいる。清田は腕時計に目をやって、ロス行き便の時刻を思い出しながら時間を確認した。間に合うだろうか。検査の場所を取り仕切っている係員は、乗客の都合など意に介さない対応振りだ。女性の検査係が一人、清田の数人前に立ちはだかり、ここまで、というようなことを言った。そして、ここからの人は私といっしょに来てください、と彼女は大声で言った。混雑を解消するためどうやら空いている検査場所に案内しようというわけだ。清田は素直に指示にしたがい、乗客の群れといっしょに移動を始めた。

広いロビーをしばらく歩く。途中に何ヶ所か検査場所があったがいっこうに止まる気配がない。そのうち先導の女の姿が見えなくなった。どこまで歩けばいいのか。カメラバッグの重さが負担になってきた。清田はいっしょに歩いていた人たちと不安な顔を見合わせながらさらに歩いた。そして、とうとうロビーの突き当たりまできた。そこには確かに検査場所があったが、行列の長さは最初の場所と大差はない。いかなる理由でここまで誘導したのか。その訳がさっぱりわからないまま羊の群れのように無言で歩かされたことが腹立たしかったが、怒りを向けるところがない。女はどこにも見当たらないのだ。歩いている間に適当な検査場所の列に加われということだったのだろうか。まったく不親切な先導だ、と清田は独り言のように言い捨てた。

「同感ですね。この国のサービスはどんどんいい加減になる」
後ろの男性が相槌を打った。清田が振り返ると小太りの日本人が立っていた。旅行馴れしているのか長袖の色物シャツをチノパンツから出し、ジョギングシューズを履いている。清田と歳は同じくらいで四十代の後半に見えたが、のちに五十八歳だと分かったときには驚いた。男性でこんなに若く見える人は珍しい。
「私は久しぶりの米国ですが、検査も随分厳しくなったようですね」
清田は男性の顔を改めて見ながら言った。丸い顔に大きな二重の目が印象的だ。
「いや、まったくね。ナイン・イレブン以降、この国はヒステリー状態だ。このごろではペットボトルはおろか、歯磨きまで没収される。十数時間も飛行機に乗ったあと家に帰りつくまでは歯磨きさえできない」
「こちらにお住まいなんですか?」
「ええ、この国に住みだしてもう二十数年になります。最初に来たころはこの国はもっと大らかだった。ベトナム戦争以降、しだいに余裕がなくなってきて、一連のテロでそれに拍車がかかった、ということでしょうかね」

清田の前の女性が検査のためにバッグをトレーに載せた。それから上品なコートを脱ぎ、さらにハイヒールを脱いで別のトレーに載せた。コートはまだしも靴まで脱がすとは。ストッキングだけで検問をくぐっていく女性を眺めながらため息をついた。靴なしのレディはさまにならんな、気の毒に。人間の尊厳より安全を優先するというわけか。さらにだ。誰かが靴を載せたトレーに他の人はコートを載せる。潔癖症の人には耐え難い試練だろう。清潔にはうとい清田でさえ多少ためらわれる。清田の番になった。バッグ、コート、靴、ベルト、鍵などをトレーに載せ検問をくぐった。
ビーッ!
警笛が鳴った。もう一度くぐったが、また鳴った。おかしい、何が引っかかったのか。清田は列の外に誘導され、そこで待たされた。探知棒を持った男の検査係がやってきて清田の体を調べた。ズボンのお尻のところで反応があった。そうか、財布にコインが入っていたんだ。清田は財布を出し、検査係に預けた。その財布だけもう一度レントゲンの箱をくぐった。

検査からやっと開放されて清田はロス便の搭乗口に向かった。搭乗時間までまだ四十分ほどあったのでホッとした。むしょうにタバコが吸いたい。途中のレストランで喫煙ができるか尋ねると、どこもノーだった。以前はバーの一角で喫煙できたのに。しかたがないのでコーヒーを買い、搭乗口付近のベンチに腰をかけた。ペーパーカップのコーヒーをすすりながら周りを行きかう旅行者をぼんやりと眺めた。目の前を自分と同じカップを持った女性が通り過ぎた。どうしたわけか、ふいに清田の目はその女性ではなく彼女の持つカップに吸い寄せられた。その視線が他の人が持つカップに移る。次から次へと。コーヒーを持ち歩くなど、あたりまえの光景だが、その時はその行為が不思議なことのように思えた。

 Floating here and there
 at the airport,
 paper cups; large and small

 『空港に浮遊する大小ペーパーカップ』

清田は胸ポケットからちいさなメモ帳を出して、そう書き込んだ。以前から何か気になることやものに出会うと、俳句とも川柳ともいえないような言葉の欠片が頭に浮かぶ。それを目的なく書き留める癖がついていた。液体があちこちに浮いている。そう感じたのでこんな言葉になった。日本人の自分たちは元々、水をペットボトルで持ち歩くことはなかった。コーヒーだってそうだ。そんな習慣は欧米からやってきて、あっという間に自分たちもまねをするようになった。飲み物を持ち歩く行為、それが改めて不思議に感じられたのだ。不思議に感じられたからどうなのだと、問われると答えようがない。とにかくその時は不思議なものを見るように清田は視線を泳がせたのだった。

「どうしたんですか、目がうつろですよ。機内で寝られなかったようですね」
気がつくと先ほどの小太り氏が側に立っていた。彼もコーヒーカップを持っていた。清田はそのカップに目をやり視線をゆっくり上げて小太り氏の顔を見た。
「これはどうも。貴方もロスへ?」
「大阪に用があったので関空から乗ったのですが、関空からはロスへの直行便がなくなってしまってね。直行便は成田からのみです。不便ですよね。時間も余計にかかるし。私は三、四ヶ月に一度は大阪に行くので、面倒なことになりました」
「私と同じ便だったのですね。私は出発直前まで忙しく、便のことは事務所まかせだったのです。関空でチェックインする時に始めてサンフランシスコ経由だと知りました」
小太りの男は清田の横に腰をかけ、コーヒーをすすった。

「コーヒーを飲んで少ししゃんとしましたか? もっとも時差ぼけにはあまり効果はないけれど」
清田は、機内ではいくらか眠ることができたこと、いまボーッとしていたのはペーパーカップに不思議な思いをもったことを話した。気が変な男だと思われるかと案じたが、小太りの男は、意外に興味を持って清田の話に耳を傾けた。
「おもしろいことをおっしゃる。当たり前の光景が突然特別なものに見える、という経験は私にもありますよ。先日日本に出かける時でしたか、待ち時間に空港のレストランで食事をしました。タコスのプレートを注文したのですが、出て来た皿を見た時不思議な感じがしたのです。皿の半分はタコスが二個、あと半分はポテトチップスが山のように添えられてあった。こんな盛り方はこの国ではごく当たり前のことなのに、その時私も不思議な思いをもったのです。どんな客でもチップスはほとんど手をつけない。それなのに皿の半分に大盛りで出て来る。改めて考えてみると、なんだか変ですよね。その光景が色々なことを象徴しているような気がしたのですが、それがはっきりと言葉にならない。でもとにかく気になったのですよ」
話を聞いていて清田は情景を想像してみた。そしてまた、言葉が浮かんだ。

 A half the plate is
 potato chips you know
 you won’t touch

 『皿の半分は残すと分かっているポテトチップス』

後でメモしておこうと頭の角に保存した。この人の言おうとしていることは分かる。清田の体験も含めてなんだか変な光景の話なのだ。それに二人ともふっと気が付いたということだ。
「まだ、名前を言っていなかったですね。私は川形と言います。人からは画家と呼ばれますが、私は、感性で捕えたものを夢中で形にする人なのです。クリエーターと思っていただいたほうがいいかな」
川形が慣れたしぐさで握手を求めたので、清田も手を差し出しながら自己紹介をした。清田は、写真で飯を食っていること、ロスには広告の仕事で行くことを伝えた。そしてあることを思い出して言った。
「何か変ということでは、もう一つ体験したんですよ。さっきの検査場所でのことです」
清田は靴を脱がされソックスのまま検問をくぐっていった女性の話をした。
「身なりのいい女性でした。それが靴なしでなんとも哀れで。何か気になる光景でした」

 Detection gate -
 a lady without shoes
 waits for her turn

 『靴なしの淑女順番を待つ関所』

「なるほど。私はあまり日常的なので気に留めませんでしたが、言われてみれば不思議な光景だ。清田さんも私も目で仕事をする人間だから、そういうことに気が付くんでしょうね」
そう言ってから川形はもう一度コーヒーを飲んだ。ペーパーカップを両手で持ってしばらく考え事をしているようだった。
「どうでしょう、清田さん、ロスに着いたら私とうろうろしませんか。その『ちょっと変なモノ』を探して廻りませんか。もちろん取材の邪魔にならない程度に」
「これは、興味あるご提案をありがとうござます。実は私も仕事以外に独自の撮影をしてみようか、と考えていたところなのです。テーマに『ちょっと変なモノ』というのはおもしろそうだ。ぜひご一緒させてください」
「フイルムの無駄になるかもしれませんよ」
「それは大丈夫です。カメラはデジタルですから画像データを保存さえすればほぼ無限に写真はとれます」と言いながら清田は側に置いたバックを軽く叩いた。そこに搭乗のアナウンスが流れた。川形が先に立った。ビジネスクラスの客なのだ。
「ロスの空港に私の車を置いていまから、それでホテルまで送りましょう。それでは、またのちほど」
川形は会釈はせず、片手を軽く上げて別れのしぐさをし、搭乗口に歩いていった。手荷物はペーパーカップだけだった。

清田の席は後方だった。周囲には東洋系の家族が座っている。清田の前の三人がけのシートにその家族の一人である女の子が離れて座っていた。窓側の席にいたその子が立ち上がって他の兄弟に話しかけている。どうも国籍が分からない。女の子の横には白人の老夫婦が座っていた。その老夫婦が二人とも立ち上がって通路に立った。女の子は席を立ち二人の横をすり抜けて行った。トイレにでもいったのだろうか。通路に立ったままの老夫婦は表情一つ変えず辛抱強く少女の帰りを待っている。主人は缶ジュースを片手で持ち、もう一方の手でシートの肩を握っている。さりげなく様子を伺っていた清田の目を老夫婦は捕え、微かに笑みを浮かべた。

スチュワーデスが歩いてきたので、二人は立ったまま通路の片側に体を寄せて彼女を通らせた。もう十分近く経過している。飛行機が少し揺れた。老夫婦も揺れたが、なんとかバランスを保った。二人は後方のトイレに顔を向けたままなのでなんども清田と目が合う事になった。まだ、表情に変わりはない。清田は自分を老夫婦の立場に置いて考えてみた。いまごろはじりじりして表情が険しくなっているに違いない。この二人は今どんな気持ちなのだろうか。自分のようにイライラしているのだろうか。しかし、表情は一向に変わらない。感情を押さえているのか、それならばいつか切れるかもしれない。そう考え始めると清田もなんとなく居心地が悪く感じられた。いい加減に座って待ったらどうなんだろう。
さらに五分ほど経過してやっと少女は席に戻ってきたが、特に悪びれる様子はない。老夫婦も何もなかったように席に着いた。

本当に何もなかったのか。自分だけが緊張感を募らせていたのか。とにかくその緊張感がほどけて清田はほっとした。それにしてもあの辛抱強さはなんだ。年寄りの特徴なのか。いや、そうじゃないだろう。きっと、多民族国家に住むということはこういうことなのだろう。相手の態度にいちいち腹を立てていたら身が持たない。待つ必要性があれば、ただじっと待つ。感情的になればストレスのもとになるだけ。自分の害になるだけだ。ひたすら忍耐と寛容の精神を保つことがこの国に暮らすために必要な知恵なのかもしれない。人種間の争いが絶えなかったこの国の歴史を教訓に、国民が学んだ穏やかに暮らすためのすべなのだろう。しかし、と清田はさらに考えた。その精神を貫こうとしてもやはり人間だ。どこかで『バッキャロー』と叫びたくなる感情を押し込んでいるのではないか。それがすこしずつ溜まり、ある時、あることをきっかけに堰が切れることにならかいか。

 Numerous kinds and colors,
 can they melt well
 in a single pot?

 『多種多色うまく煮えるか一つ鍋』

「鍋を食いにいきませんか」
飛行場で荷物を拾ってから駐車場に向う途中で川形が誘った。清田は肩にカメラバック、片手にスーツケースの取手を握り、もう片手でほぼ一日ぶりのタバコをふかしながら慌てて川形の後に追いついたときだった。現地時間では午後二時ごろになる。機内食を食べて以来、サンフランシスコでコーヒーを飲んだだけだったので空腹感はある。
「清田さんのホテルはリトル・東京の近くでしたね。近所にしゃぶしゃぶを食わすレストランがあります。行列の出来る店ですよ。お近づきの印に私の奢りとしましょう。といってもあそこの値段は格安だ。一人分が十ドルほどですから」
長旅の疲れはあるが明日からの取材で動き回ることを考えると、しゃぶしゃぶはいい選択かもしれない、と清田は思った。
「肉を食らって明日に備える。いいですね。それではお言葉に甘えて参りますか」

川形はチェロキーのハンドルを器用に動かし立体駐車場を出て、フリーウェーに乗り入れた。十車線の広い道だ。明るい青空の下にロスの町並みが延々と続く。
「しかし、いい天気だ。清田さんはラッキーですよ。この頃は、こんな澄んだ青空はめったにおめにかかれなくなった」
「この調子で数日続いてくれたら大助かりなんですが、天気予報はどうなっているんでしょう…」
清田の言葉が途切れたのは、真横に赤い巨大なトラックが迫ってきたからだ。運転席の後ろあたりからクロームメッキした排気管が垂直に立ち上っている。そのメッキ部分に南カルフォルニアの太陽が反射し、背景の青空、車体の赤と相まって力強い絵を作っている。清田は予備に持って来たコンパクトデジカメでそのシーンをすばやく切り取った。青空の背景というのはどんなものをも引き立てる。動植物や自然の景色、そして今目の前を通過していった人工物をも。

「さっそく撮影ですか。仕事熱心ですね」
「そういう訳ではないんですが、これはという光景に出くわしたらすぐにシャッターを押すのが習性になっているんでしょうね。興味が湧く対象は瞬間であることが多いのです。瞬間の光景は時間と同じですから戻ってはきません。光線が制御されたスタジオと同じようにはいきません」
「スタジオでも撮る対象によりますよ。私は以前、煙の写真に凝ったことがありました。スタジオに黒の背景を作って撮ったんですが、変幻自在の煙ですから思った絵がなかなか撮れない。百枚ぐらいに一枚の率で気に入った写真が撮れた。そんな経験がありますから清田さんのおっしゃることはよく分かります。煙の写真は看板のように大きく引き延ばして個展をしました。おもしろい作品になりましたよ」
「川形さんは写真にも手を染めているんですか」
「染めるほどには勉強していません。さっきも言ったでしょ。私は、感性が興味を持ったものを形にする人だって。あの時は煙の動きに興味があり、それを形にしようと夢中になっていたら結果的に写真になった、ということですよ。写真を撮っているからイーコール写真家というわけではないでしょう。写真、イラスト、絵画、彫刻、音楽、文学、すべて手段ですよ。作家に表現したい何かがまずあり、それを他の人々が分かる形にするのにどの手段を選ぶのか、それだけの問題だと私は思っています。今は光を使った空間創りに興味があります。光の偏光作用にレーザー光線を交えた作品です」

なんだか次々に変化する人だな、周りの人々はその変化についていけているのだろうか、しかしそれで飯が食えているようだし、自分が心配することではない、と清田は納得して窓の外を見た。遠くに見えていたダウンタウンの高層ビルが段々近づいてきていて、やがて車はフリーウェーを降りた。ホテルでのチェックインは食後にすることにし、清田たちはそのレストランに直行した。

リトル東京の一角に瓦屋根の店が並んでいる。レストランはその一つで小振りな店だ。昼食の時間はとっくに終わっているのにその店の前にはまだ数人の客が待っていた。食事どきには客で溢れ、一時間待ちする客もいるそうだ。その時は、五分ほどして清田たちは席に着く事ができた。
「この店は入れ替え制なんです。店内に二十数人のカウンター席しかなく、一斉に食べて一斉に入れ替える。店のおやじが変わり者でゆっくり食べる客は追い出すこともあるそうです」
清田が席に着くと目の前には一人用の鍋が据えてあり、すでにお湯が湧いていた。座るやいなや野菜と肉が差し出された。肉の皿は大きめで薄切り肉が十枚くらい載せてある。清田はさっそく食べ始めた。
「一斉に入れ替えですがそんなに急がなくても時間はありますよ。シカゴから取り寄せた特上の牛肉です。味わって食べてください。タレも中毒になるほど美味だ」
川形は肉を一切れ胡麻ダレに漬けながら清田にそう言った。
客には様々な人種がいる。みんなうれしそうに鍋をつついている。カロリーが気になるが肉は食べたいという人にとっては、熱湯で脂肪分を抜いた肉を野菜といっしょに食べるこの料理は理想の食事といえるだろう。

 Little Tokyo,
 a throng of people lines up
 for fallen leaf like meat

 『落ち葉のごとき肉に行列の人』

ご飯と食後のアイスコーヒーがついて一食十ドル余り。これなら日本でも行列が出来るだろう。
「チェーン店にしないか、と頻繁に投資の申し出があるが、すべて断っているそうだ。目の届く範囲で商いをしたいという主人のこだわりだね」
店にはメキシコ人が数名てきぱきと働いている。主人のしつけか。
「連中はよく働くだろう。主人の方針で、しっかり働く者には家が買えるように賃金を払っているらしい。あの肉を切っているおじさんはすでに家を購入したそうだ。儲けはみんなで分けるというのが主人の方針だ。欲のない男だよ」

その主人が川形の前にヌーっと現れた。
「しばらく顔を見せなかったね。三日と置かずにきていたのに」
「日本に行っていたんだよ。この人は空港で知り合ったカメラマンの清田さん」
清田が軽く会釈すると、主人がカウンター越しに手をだして清田に握手を求めた。
「清田さんは近くのホテルに滞在するから、また食べにくるかもしれないよ。その時はよろしく、といってもどんな客も同じ扱いだから関係ないか。それにしても相変わらずよく流行っているね。私にとってもここのしゃぶしゃぶは、創作活動には欠かせない栄養源になってしまったよ」
飲食店の人というよりは背広が似合いそうな主人は意外と温厚そうな顔立ちだった。川形の話をうれしそうに聞いている。その主人が清田に顔を向けて尋ねた。
「何かの取材でロスへ?」
「そうです。広告関係の取材と、それから『ちょっと変なモノ』を撮るために」
「ちょっと変なモノ」については川形が手短かに説明した。
「なるほどね。ずっとここに住んでいると気が付かないが、実は変なことというのはあるもんですな。でもここだけじゃないですよ。日本でも同じだ。私は、日本からの送られてくるテレビ放送をよく見てるんですけどね、このごろのニュースといえば、えらいさんが頭を下げて謝っている姿ばかりじゃないですか。これって、変な光景ですよ。こっちに住んでいる者には奇妙な儀式に見えますから。日本じゃ悪い事して頭を下げたらそれでいい、そんなふうに思われるんじゃないですか。えらいさんというのは、えらいさんであるための目配りや心配りを普段からしておかないといけない。それをいい加減にしているから全国ニュースで頭をさげなくちゃならない。変な人がえらいさんの中にも目立つようになってきた」
そう言われればそうですね、と清田は笑いながら答えた。

「変な人はあなたの隣にもいますよ」といって主人は川形の方に目配せした
川形は慌てて応戦に出た。
「変なのはご主人、あんたの方だよ。ゆっくりし過ぎる客は追い出すそうじゃないか」
「ああ、あのこと。あれは当然のことですよ。プリンシプルの問題です。あの客は一回目のグループで席についたまま三回目のグループまでちんたら食べていたんですよ。待っている客に迷惑がかかるから言ってやったんです。そんなにゆっくり食べたいのなら近くに他のしゃぶしゃぶ屋があるからそっちに行きなさいとね。一斉に入れ替えるのがうちのやり方なんで、それが嫌ならもう来なくてもけっこう、と言ったんです。その客は慌てて帰っていきましたよ。でもね、数日後には又やってきて、今度は皆ときちんと歩調を合わせて食べていきましたよ」
主人は当たり前のことのように淡々と説明し、さらに続けた。
「変なのはやっぱり川形さんですよ。この人はこの店のしゃぶしゃぶが食べたくて飛行機に乗り遅れたんだから、ね、そうだったですよね、川形さん」
「そ、そう言えばそんなことがあったかな。そうそう、あの晩は随分込んでいた。確か一時間以上待ったよ。どうしても食べたくて何が何でも食べていかねばと思っているうちに飛行機の時間を忘れてしまった。それってやっぱり変かね。それほど、ここのしゃぶしゃぶに惚れ込んでいるんだから褒めてもらって当然じゃないの。変人扱いはもってのほかだよ、まったく」
口を少し尖らせて川形は反論したが、目は笑っている。変人たちの会話の勢いに乗って清田も発言した。
「ちょっと待ってください。今回のテーマは変人探しじゃないんですよ。変なモノ探しなんです。ニュアンスがちょっと違うんですよね」
「そう、そういうこと。でも、考えてみたら変なモノを探す我々もちょっと変だな」
川形は食後のアイスコーヒーをジューと音を立てて飲み干した。
「お腹がいっぱいになったところで旅の疲れが出てきましたね。清田さん、そろそろ出ましょうか」
川形は支払いを済ませ、出口で主人に振り向いて声をかけた。
「しばらくはロスにいるから、またいつものペースでここに通うよ、それじゃ」

 Having crawled out
 of marsh of paints,
 artist enjoys hot meal

 『絵具の沼を這い出で鍋食う画家』

店を出ると夕闇が迫っていた。二月末のロスはけっこう冷える。清田はジャケットの襟を立てて両腕を組んだ。風が少し出ていた。
「ごちそうさまでした。仰るとおりの味で、とても満足しました」
「喜んでいただいて何よりです。ところで明日からの予定は?」
「二日ほどは好天が続きそうなので、その間に取材撮影をしておこうと思います。川形さんとうろうろするのはその後でいいですか?」
「もちろんです。これが私の携帯番号です。普段からうろうろしているのでご都合がよくなったらここに連絡してください。明日はサンディエゴまで行ってきます。友人の医師が私の光の作品を精神治療に活用できないか、と相談を受けているんですよ」
「サンディエゴですか、遠くまで行かれるんですね」
「いえ、車でほんの二時間余りですよ。運転中は大好きなジャズを目いっぱい楽しめますから苦にはなりません。普段からもカリフォルニア州内に友人が多いのであちこち走り回っています」

川形は清田をホテルに送り届け、車の窓から片手だけを出し、それを軽く振りながらあっという間に姿を消していった。創作意欲が大勢なだけでなく精気溢れる人だ、と車を見送りながら清田は思った。
清田はホテルの部屋に入ってベッドに腰をかけ、そのまま上体をベッドに横たえた。疲れがどっと出てきてそのまま眠ってしまいそうだった。せめてシャワーをあびてから、と思い直して再び起き上がった。着ているものを全部剥ぎ取ってベットの上に投げた。暑いシャワーを浴びた。体を洗ってからもシャワーだけをしばらく浴びた。強くて熱い水滴を顔に当て、頭の天辺に当て、首筋に当てた。体の中から生気が再び湧き上がってきたような気がした。

気がつくとシャワールームが湯気で視界不能状態にまでなっていた。体をさっと拭いてバスタオルを腰に巻き、その湯気を絡ませたまま部屋に出た。いよいよ明日から仕事だ。窓の外にはロス市街の夜景が遠くまで続いている。何か音がほしくなってテレビをつけた。バラエティーショーのようなものをやっているチャンネルを選んだ。にぎやかでいい。スーツケースの中身をチェックしながらなんとなしにテレビの声を聞いていたが、どうも英語ではないようだ。そうか、スペイン語だ。この町にはメキシコから流れ込んできた人々が大勢暮らしている。それでスペイン語の専門チャンネルまであるのだろう。しかしせっかく米国に来たのだから英語の放送が見たい。そう思って清田はベッドに座り、チャンネルを操作した。変えても、変えてもスペイン語だ。五回目ぐらいボタンを押してやっと英語チャンネルになったが、暗い雰囲気の映画をやっていたのでさらにチャンネルを変えた。またスペイン語になった。さらにボタンを押し続けてやっと次の英語チャンネルが現れた。ニュース番組だ。にぎやかとはいかないが英語は英語だと納得してそのチャンネルに留めた。

 TV shows in the city of immigrants,
 good old English fades away

 『移民の町のテレビに英語という福音薄れ』

(つづく)

4 コメント:

岩淵喜代子 さんのコメント...

清水さんの「俳句のできる現場」ですね。
いつも俳句に添える絵を描いているせいか。
俳句(メモ?)もかなり絵画的ですね。

さんのコメント...

やっぱり絵画的になりますね。早朝からコメントありがとうございます。「変なもの」はまだまだ出てきます。So, stay tuned.

imagon さんのコメント...

おはようございます。
こちらで清水さんの文章を読ませていただく・・・とても嬉しいです。時々haikuを書きたい、と思うことがあります(笑)。でも、国家・文化・民族の接点としての場(国内でもよいが)に居合わせないと、自分が敢て非母国語を使う意味が見えてこないというジレンマ・・・これから色々な場が出てくるのですね。楽しみにしております。

kuni_san さんのコメント...

俳句をハイク、つまり英語に置き換えておくと、その他の言語、特にラテン系の言語への翻訳が容易になります。ネットの自動翻訳でも英語からだとかなり正確に訳せます。インターネットのいい点はいろんな方との交流ができるという点です。もちろん国内での交流にも威力を発揮しますが海外との交流が一番のメリットです。その共通語は英語なのです。