2009-08-02

『俳句界』2009年8月号を読む さいばら天気

〔俳誌を読む〕
『俳句界』2009年8月号を読む

さいばら天気


魅惑の俳人たち20・長谷川素逝 p93-

8月の特集として当然のなりゆきのように、戦争句集として知られる素逝第一句集『砲車』をフィーチャー、以降の句作に「一貫した甘美な句風」(酒井弘司・記事タイトル)は、背景へと引かせた構成。

五十嵐秀彦「句集『砲車』鑑賞Ⅰ・返らない月」(註1)高柳克弘「句集『砲車』鑑賞Ⅱ・非情のまなざし」は、それぞれ焦点がよく絞られ、かつ根源的テーマへと腕を伸ばす論考。

『砲車』の句が、「あとがき」に素逝自ら書いたように「何かに表現しないではをれない衝撃に、いつもいつも駆られたものである」という表現欲求のギリギリの発露であったがゆえに、素逝は戦争と文芸とに深く悩み傷ついていたのに違いない。素逝は、彼が愛した俳句の最も似合う平和な生活を希求していたのだろう。(五十嵐秀彦・前掲)
(「雪の上にうつぶす敵屍銅貨散り」の句を掲げ)(…)貨幣が、本来の存在意義を失い、死者のそばに散らばっているというこの句の情景が、衝撃を持つのである。それは一種、非情なまざざしと言っていいだろう。この非情さゆえに、この句はリアリティを獲得しているのだ。/〝非情のまなざしを持つ〟とは何も、敵意や悪意を持って世を眺めるといことではない。ただ、倫理や常識に与しない、ということ。(…)誂えられた思想や価値観、共感しやすい情緒、そうしたものの助力のない荒野を行く覚悟のほどを、素逝の句は私たちに問いかけている。(高柳克弘・前掲)
一方、もっぱら『砲車』以降の句作に触れたのが、豊田都峰「素逝断章」八田木枯「素逝晧晧」は、戦地から帰還後の素逝を、親交のエピソードとともに描く(註2)

さらに酒井弘司「一貫した甘美な句風~異質な句集『砲車』」高野ムツオ「長谷川素逝の痛恨」は、戦争俳句とそれ以外の句作を対照させ、それぞれ興味深い。

これらの記事を読み、少なくとも私は、長谷川素逝の俳句をもっと読みたくなった。ということは良い特集ということですね。


(註1)五十嵐秀彦はブログ記事「素逝」で次のように補足している。

素 逝の『砲車』を戦争協力の俳句と見たり、その中に厭戦的な作品を見つけ戦争協力ではなかったと言ってみたりするのでは、どちらも素逝その人に迫るものとは ならないだろう。/素逝は、戦場にかりたてられた他の日本人と同じように、「大義」を信じ出征し、残酷な戦場の現実に絶望したのである。/そして、俳人で あった素逝は、生死の実相をなんとか句にしようとすることで、戦場で正気を保とうとしたのかもしれない。

(註2)せっかくだから、他誌に掲載された八田木枯の一文も引いておく。素逝との初めての出会いを記したものだ。

私 にとって心に残る俳句会は昭和十八年十月二十四日、戦がいよいよ酣(たけなわ)になってきた頃、秋も深まった奥伊勢の幽谷、八知というところへ吟行。空ふ かく澄み快晴であった。松阪駅より名松線の汽車に数人の俳人が乗りこんだ。戦中のことであり、服装はいたって簡素、野暮な国民服を着て、昼飯は日の丸弁当 を持参した。昼前に八知に到着、駅に長谷川素逝と前夜から泊まりこんでいた数人が出迎えてくれた。私は素逝と文通していたが、会うのはこの日がはじめて で、先生の前で深々と頭を下げた。先生は中国戦線から病を得て内地に帰還した昭和十三年、戦争句集の『砲車』を上木された。目の前にいる先生は偉丈夫で私 は圧倒された。素逝この時、三十七歳、私は十八歳であった。 八田木枯「戦時中の吟行会」in『俳句生活・句会の楽しみ』(別冊俳句/角川学芸出版/2008年10月)



特集敗戦忌~戦後、詩歌はどのような道を歩んできたか? p29-

論考、エッセイ、コラムと3種に振り分けられた記事3本およびアンケート「世代を超えて伝えたい戦中戦後俳句・全40名」(それぞれ3句を挙げ、数行の短文が付される)より成る。

こちらも8月にありがちな企画だが、なんとも中途半端。というか貧しい内容。副題にある「戦後、詩歌はどのような道を歩んできたか?」という散漫に拡大されたテーマ設定に無理があったのか。広汎な脈絡に「敗戦」を置くことはそれなりに有意義なことだろうが、それを支えるだけの論考が集まらなかったようだ。俳句に出現する「60年」という語をとっかかりに論述する阿部宗一郎「もはや戦後ではない……のか?」はまだしも、江森國友「詩は民族の心にたゆたうもの」は、なぜいまこの特集の一角を占めねばならないのかが皆目不明の〝個人的雑感〟。

アンケート記事は「スペシャル」のフリをした「埋め草」と言ってしまうと、真摯に回答を寄せた40名の俳人諸氏に、また依頼・回収とそれなりの手間をかけた編集諸氏に礼を欠くかもしれないが、正直なところ、「世代を超えて伝えたい戦中戦後俳句」といった茫洋とした問いと回答からは、何が見えてくるわけでもない(アンケート記事全般が陥りやすい温度の低い誌面)。

雑木林を示して「ほら、これが木というものです」という伝え方よりも、むしろ数本の木を根から幹から葉から花から綿密に提示するほうが、「木というものの全体」がわかったりします。

 

今回の特集「敗戦忌」の物足りなさを、すこし別の角度から考えてみると、「敗戦忌」の語(季語)にまつわる腰の引け方、誰がというのではない集合的・集団的な、また戦争の経験・非経験で区別するのでもない、いま生きている私たち全体に覚悟が欠如していること。それが背景としてあるようにも思える。もちろん、この特集、実際には年輩(いわゆる先の戦争を知っている世代)の書き手で構成されたと思しいが、世代限定でそのように捉えるよりも、問題やテーマがなにやら居心地の悪いままにずっとこのかた8月という季節に横たわっていると理解するほうがよい。経験者に「世代を超えて伝える」責務があるとすれば、非・経験者には、そのメッセージなりなんなりを受け取る/受け止める責務があろう。その意味で、世代特定ではなく、「私たち全体」。

8月といえばあの戦争、といった具合にまるで「お約束」のように話題・テーマとすること自体は悪いことではないが、腰を引いて、では、成果はない。むやみに主情的・感傷的な扱いも害あって利はなさそうだ。

きちんと語れないことについては、語れるようになるまで口をつぐむ。きちんと語れないなら、なにかお茶を濁すように語ろうとするのではなく、沈黙する。そのほうが、「敗戦」に対して「戦争」に対して、さらには特定の死者に対して、特定の大きな悲しみに対して、よほど誠実なような気がする。語ることで責務を果たすこともある一方、黙することで責任を貫くという選択も、また存在するはずだ。

つまり、簡単にいえば、ハンパなもん書くくらいなら、書かないほうがずっといい、というケースがある。「敗戦忌」にまつわることなどは、その最たるものでしょう。



 

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