2009-08-02

『俳句』2009年8月号を読む 山口優夢

〔俳誌を読む〕
『俳句』2009年8月号を読む

山口優夢


特集「秀句をつかむコツを伝授!多作多捨で自句を鍛える」 p61-

辻田克己・大木あまり・辻桃子・大島雄作・新海あぐり・今橋眞理子・仲寒蝉の七氏各々が「多作多捨」論を見開き2ページにわたって掲載している。

仕方がないことなのかもしれないが、七つの記事ほとんどが

「たくさん作ることでおもしろい句ができる可能性がある」
→「多作するにはこんな方法を試してみればよい」
→「多作というのはハードルが高いように見えるがそうでもなくて、多捨の方がむしろ難しい」
→「選句眼を磨かなくちゃね」

…という図式のバリエーションの範囲内でしか話をしていないのは、なんだかつまらなく感じた。七つの記事を通読した場合、七通りの言い方で同じことを言われていることになるのだ。これはもう、どこかで飽きてしまうのが道理であろう。

これは、書く人の技量の問題というよりは、問題設定の仕方の問題なのかもしれない。「多作多捨」という方法論を初心者に薦めようと思った場合、上の図式のような形で話をするのが一般的であろうし、逆に上の図式以上に話が深まるということも想像しづらい。多作多捨というところから話を広げるには、むしろその方法論を人に薦めるという立場を捨てなければいけないのかもしれない。寡作をもって自認している人の書く多作多捨論なんてものも読んでみたいものだが、「多作多捨で自句を鍛える」というテーマでは、そのような原稿依頼はしないであろう。

そんな中、辻田克己氏の記事中、「どうしたらいい句が作れるかなど、えげつないようだが、知ったことではない」という特集の企画意図にいきなり背中を向けるような物言いには、むしろ感銘を覚えた。辻田氏の論は、基本的な構造としては上記の図式通りではあるのだが、他の記事との一番の違いは、多作多捨を方法論として見ているのではない、というところだ。「多作多捨は理想でも方便でもない。哀しいが多くの俳人を現実として取巻いている結果的事実に過ぎぬ。」これは辻田氏の、個人的だが切実な嘆きのように思えて、納得した次第。

また、今橋眞理子氏の書いている内容は、多作多捨と言うよりも、推敲のことなのではないだろうか。同じ句材で、言葉の順序や言い回しを変えた句を書きつけてゆくというのは、僕の抱いている多作多捨のイメージとは異なるのだが。ホトトギスではそれを多作多捨と呼ぶのだろうか。ご本人の意図とは異なるかもしれないが、多作多捨の定義について考えさせられた。

それから、これは今回の特集に限らず、いつもいつも疑問に思うことなのだが、なぜ角川俳句では、このように俳句上達のためのノウハウが「論」として毎回書かれるのか、僕には正直よくわからないところがある。折角ノウハウについて特集するならば、

・いろんな俳人のところに「多作多捨について教えてください」とインタビューしに行き、それで得られたノウハウに従って俳句初心者が句を作ってみる
・結社伝来の多作ノウハウを比較してみる
・多作多捨していた歴史上の俳人がどの句を捨ててどの句を取ったのか検証してみる
・多作多捨反対派で座談会を開く

…と、言ったようにいくらでもやり方はあるだろうに(これらが面白いかどうかは分からないが)、どうしていつも何人かの論者が「論」を書くのだろう。どうせ俳句論ではなくて俳句ノウハウを特集するなら、もっと巷に出回っている週刊誌のようなスタイリッシュな雑誌を目指せば良いのに、と、いつも思ってしまう。余計なお世話には、違いないのだが。


特別寄稿 新資料紹介 新興俳句の新星 礒邉幹介 稿本句集『春の樹』 川名大 p210-

昭和十五年、二十六歳で夭逝した「広場」(旧「句と評論」)の礒邉幹介の未完句集「春の樹」のゲラ刷りを筆写した稿本が掲載されている。

可哀想に、靴屋になつて死んだのか
ひとの母の黄いろい乳房電車はしり
女体欲りすなはちねむりこけたりき

これらの句は、よきにしろそうでないにしろ、少なくとも今の俳句シーンの発想からは生まれないものと思った。二十六で夭逝した彼とわれわれとの間の隔絶を思う。

俳句がこれからどこへ向かってゆくか。それは分からないけれども、これからの俳句はこれから人の向う方向にしかないのは確かだ。数十年前の俳句にはもう戻れない。ただ我々はそういう昔の俳句の輝きを持て余すだけだ。


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