2009-09-13

成分表31 カレー 上田信治

成分表31 カレー

上田信治


初出:『里』2008年4月号

ダイコンはカレーに合わない。

(と、書いたところ、ダイコンカレーを推奨する意見を複数いただいたのだが、とりあえず続ける。)

ダイコンの味を分解すると、レモンピールの苦みと米の甘みに分けられる。同じレモンピールの苦みをもつ食べ物に、フキがあり、やはりカレーに合わない。フキは、レモンピールと青竹に分けられ、出汁で煮るものとして、ダイコンと交換可能である。

ダイコンとフキは、またレモンとも合わない。ニンジンやジャガイモの、レモンとの相性の良さを考えると、その不協和は考察に値する。合わせて考えるにレモンと合わない食べ物は、カレーとも合わないことが多いのではないか(レモンはカレーに必須である)。たとえば豆腐はレモンNG、カレーNGであり、おそらく問題はある種の苦みなのだろう。

(豆腐とカレーの相性についても意見のあることが予想されるが、続ける。)

たとえば、レモンと出会わせることでダイコンの苦みが、ダイコンと出会わせることでカレーの中の苦みを許さない要素が、それはスパイスの持つ別種の苦みを強調するのだと思うが、見えてくる。

  若狭には佛多くて蒸鰈     森 澄雄

要素AとBを「取り合せ」ることの効果は、AによってBが(またはその逆が)生かされることに求められることが多いが、もう一つ、AでもBでもない第三項がそこに生じることを見逃してはならない。そして、そのプロセスには、ABそれぞれの隠れた感覚的要素が前面へ現れることが含まれる。

なるほど、その地方には寺が多く海産物が名物なのだが、そういった事実の記述にとどまらないものがここにあるとすれば、それは「佛」と「蒸鰈」のあわいにホログラムのように現れる第三項である。

おそらく「佛」たちは座像ではなく立姿であり、そのプロポーションは頭が小さく体にボリュームがあるだろう。佛の個々の顔は、鰈の裏に似てはっきりしない。そして白くて柔らかで美味しい。つまり「蒸鰈」と照らし合う位置に置かれた「佛」は「女」であり、その反照として「蒸鰈」もまた物としてエロさをあらわにする。

さらに言えば「佛」が「女」の喩になりきってしまうことを引き止めているのは、われわれが「蒸鰈」に感じる「食べ物をオモチャにしてはいけません」的な神聖さである。結果そこには、エロさと聖性と美味しさのブレンドであるような何かが現れている。

「若狭」とは? 歴史性に拠りつつも、その詩的体験が、一回限りの個的な経験の上に再現されたものだということを、示すものだろう。その時そこへ行った、他ならぬ自分が、体験したそれなのだ、ということを言っているのが「若狭」という地名だ。

季語と地名の結びつきとは、そういうもので、その強さは、カレーににたとえる必要すらない。

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