2009-09-13

俳枕7 奥日光と藤田湘子   広渡敬雄

俳枕7 
奥日光と藤田湘子

 
広渡敬雄

初出 「青垣8号」










日光国立公園のうち、華厳滝、中禅寺湖の北西部を奥日光と言い、男体山、戦場ヶ原、湯元温泉が名高い。男体山は、黒髪山とも呼ばれ、延暦元年(782)、勝道上人開山の二荒神社があり、那智山、出羽三山等とともに山岳信仰の聖地。戦場ヶ原は男体山の西に広がる広大な高層湿原で、奥白根山は、その西方奥にあり、関東以北の最高峰でもある。

剃捨て黒髪山に衣更         河合 曾良
秋風の戦場ヶ原行くべしや     野村 泊月
榊にて下天を祓ふ山開        平畑 静塔
引鴨に一夜の雪や前白根       藤田 湘子

藤田湘子は、大正15年小田原生れ。正則中学時代より、「馬酔木」に投句し、水原秋櫻子に師事。21歳で初巻頭、22歳で馬酔木賞受賞。翌年同人となり、若くして俳壇にデビューし、31歳で名門「馬酔木」の編集長となった。

昭和39年「鷹」を創刊し、代表同人。その後秋櫻子から忌避され、昭和43年、馬酔木同人を辞退、「鷹」主宰となる。有名な「愛されずして沖遠く泳ぐなり」はその頃の心境を詠ったものと言われる。瑞々しい叙情句が身上であり、一時、波郷の影響で「境涯俳句」に傾いたこともあるが、「俳句は詩」「韻文の調べ」の意識を強め実践した。

50歳過ぎから、「この37年間、想いを煮詰め、ギリギリの一点を狙って精進してきたが、ギリギリでない所にもっと大きな宝石が匿され、俳句を豊かにするのではないか」(愚味論ノート)と確信。虚子の「あるがまま」の作風に魅かれ、「一日十句」を昭和58年から三年間、「鷹」誌上で実践し耳目を集めた。延べ1096日、11107句。

爾来、従来の潔く言い切る句柄に加え、自身で言う「おもしろい句」(俳味)にも句風を拡げ、現代の俳壇を代表する指導的存在の一人となった。

掲句は、昭和30年、29歳の処女句集「途上」の奥日光五句の初句。前白根山は奥白根山の前衛峰。中禅寺湖で春迄すごした鴨が北に帰る前夜、前白根山にはなごり雪がしきる。引鴨へのせつせつたる慈愛が胸を打つ佳句となった。

平成17年4月15日、79歳で逝去。「鷹」は小川軽舟が継承。最近上梓した第二句集『手帖』の「かもしかの睫毛冰れり空木岳」は師の掲句を意識し、その目指す所が、深く繫がっている句と読みうる。

雁ゆきてまた夕空をしたたらす
揚羽より速し吉野の女学生
うすらひは深山へかへる花の如
ひぐらしの方へ行かうといつも思ふ
あめんぼと雨とあめんぼと雨と
春夕好きな言葉を呼びあつめ

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