用もなく 山田露結
かなかなや差し出されたる赤ん坊
桃にほふことには触れず帰りけり
エレベーター昇り詰めたる秋の声
赤蜻蛉ひとさし指で増やしけり
新涼やプラネタリウム出て夜空
水澄みて時計の音を近くせり
振り向けば過去の広がる鰯雲
こめかみのあたりにひらく曼珠沙華
人里にひとの声なき薄紅葉
鈴虫が鳴かなくなつて広き部屋
晩秋の大きな箱を担ぎ来る
秋の灯の消ゆる音して消えにけり
セーターの裏返しなるピカソ展
冬晴や海へ向く窓海へ開け
手袋を手紙のごとく受け取りぬ
抱き合ひてコートの厚みありにけり
冬波のあるいは巌を押し戻し
十年ののちの十年返り花
冬蝶を得て掌を失へり
金属は炎を上げず日短か
見るつもりなき冬蛇の眼かな
落書の天使目つむる十二月
数え日や音楽の鳴る部屋を出て
雪催ファックスのまづ届きたる
飛行機の体温をもて寒の月
きさらぎの鯉の眼に鯉映りたる
レジスター開きて遠き雪崩かな
初蝶やピアノのあれば指を置き
用もなく人に生まれて春の風邪
スリッパの脱ぎ捨ててあるかひやぐら
恋猫の一度潰れて立ち上がる
手をつなぐことなくなりし桜かな
朧夜や少し鳴きたるコルク栓
遠くまで海見えてゐる葱坊主
春星に近づく二段ベッドかな
つばくろや腕に冷たき腕時計
ポケットを失ひてより夏に入る
息止めてシャッターを切る揚羽かな
あめんぼの水輪や空を広げたる
おとうとの生まるるといふ螢籠
紫陽花の高さに乳房ひとつふたつ
ライターのオイルにほへる山女かな
万緑や都市とふ森に人の住み
煙草火の集まつてゐる露台かな
日傘して水に浮かんでゐるごとし
待合室西日束ねてありにけり
閉店の裏口灯る金魚玉
泉にて洗へば別の顔となり
百歳に辿り着きたる顔涼し
生まれ変はる途中に端居してゐたり
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2009-10-25
テキスト版 2009落選展 山田露結 用もなく
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5 comments:
レジスター開きて遠き雪崩かな
どこがどういいのか説明ができない句がある。まちがいなく「いい」と感じる、思う。けれども、その「いい」を説明できない。けれども、こんなところに説明責任などない。
そりゃ、説明でいたほうがいいのだろうけど。
卑近な話題で恐縮ですが、句会で、「説明できないから採らない」といった、貧しい態度は、やはり避けたい。すこしでも豊かに、句を経験したい読者としては。
レジスターが開く。チンと鳴ったりして、指も見える。いわゆる寄りに寄った映像のなかの、ごくふつうの働き手の日常的な挙措。チンという音も日常的。にんげんの手の近くにある音。
一方、雪崩は、いわゆる引いた映像。音とか聞こえないけれど、にんげん存在からは遠い音。ごぉーとか? 凄い音。あるいは荘厳な無音。
このふたつが同じところに並ぶ。これは、ぐっと来ます。
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このあたりで(例えば句会とかでも)、作者が、レジスターと雪崩の「関係」について、種明かしを始めたりすると、読者である私は、「ああ、やめて! 私の快感を壊さないで!」あるいは「あーあ、興醒めだー」、あるいは「うるさいなあ、もう。せっかく気持ちよかったのに」。
自句自解は、いろんなものを抹殺します。
読者は、自分の妄想で、句を好きに曲解していいとは、ぜんぜん思わないけれど(ここ大事)、句は、書かれたとたんに、作者を離れ、読者を巻き込んで共有されるということも事実です。
自作離れのいい作者にならないといけませんね、俳句をつくる人は。
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で、ここで、作者の山田露結さんが、「じつは、この句…」とコメントしかけたりしてくれると、「だから、言ってるでしょうが!」とツッコんで、とても素敵な漫才が成立するのですが、そこまでサービスしなくていいですw
>自句自解は、いろんなものを抹殺します。
なるほど、です。
じつは、この句…。
レジで並んでるときに出来ました。
それ以上は言いマセン(笑)。
いや、だからぁ(笑
>レジで並んでるときに
雪崩に遭ったとき、じゃなかったんですね。なーんだ、ふつうじゃん、
となるでしょ?
野暮と引き替えにしてまでサービスしなくていいです。
猪越金銭登録機がチーンと仏壇の鉦のように鳴る余韻の音のような自句自壊を絵に描いた漫才でしたね。笑えました。
久しぶりに週間俳句をひらきました。
露結氏の句の中から、とくに印象の深い句を選びました。
かなかなや差し出されたる赤ん坊
雪催ファックスのまづ届きたる
初蝶やピアノのあれば指を置き
日傘して水に浮かんでゐるごとし
生まれ変はる途中に端居してゐたり
どきっとする句ですが嘘っぽくないのがいいです。(ど素人の感想です。)
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