2009-10-18

商店街放浪記20 京都宇治 黄檗新生市場 小池康生

商店街放浪記20 京都宇治 黄檗新生市場

小池康生


廃墟のような商店街が京都にあるという。
「黄檗」というところにあるらしい。
俳人なら、草冠を付けてしまいそうな駅名である。

京阪宇治線。
JRなら奈良線。
わたしは、京阪線で向かう。

大阪の淀屋橋と京の三条や四条を結ぶのが京阪本線。
カップルや観光客的なきらびやかさを漂わせる人たちが多い。

その京阪本線から、<中書島>駅で京阪宇治線に乗り換える。
途端にローカルな趣きになり、各駅停車に揺られる。
4輌か5輌編成であった。
地元の人たちの生活電車という感じがする。
終点に「宇治」駅があり、そこには御存知、世界遺産の「平等院」があるから観光客もそこそこいてもおかしくはないのだが、台風18号が関西を暴風圏に巻き込んだばかりの日に観光する人も少ないだろう。

わたしだって、観光ではない。
歴とした商店街放浪なのだ。なにが“れっき”だろうか。
生活臭漂うところ、日常の垣間見えるところの観光みたいなもんじゃないか。

黄檗駅を降りた途端、とりとめのない気分になる。
どうしてだ。駅前商店街がないからだ。
駅前に商店街がないと、取り付く島がないようで困る。
受付けのない会社のようでもある。ヘンな譬えだが。
 
駅前商店街は外部の者にとっては町の導入部であり、それがないと唐突に街に放り出されるようで、困る。

どちらに向かっていいか分からない。
 改札に戻るが、駅員もいないし、インタフォンもガムテープで塞がれている。
まわりをきょろきょろし、花屋を見つけ、そこで尋ねる。
「黄檗市場って、どっちの方でしょうか?」
「黄檗山へ行きはるの?」
「ひなびた市場が、この辺にあるはずなんですが」
「市場は、その通りを渡ったら、すぐ」

“ひなびた市場”はアカンやろ、言い過ぎやろうと自分を責めつつ、教えられた方向に進むと、道を尋ねたことが恥ずかしくなるほどすぐのところに目的地が見えた。

黄檗新生市場。
入口の傍らに石碑が見え、そこには、『黄檗山 すぐ一丁』と記されている。
一丁、60間、およそ109m先に黄檗山があるというのだ。近い。

それはさておき、<市場>は<商店街>なのかと御意見を持たれる方もおられることだろう。
この際、当連載における商店街の定義をはっきりさせるべきであろう。

商店街とは―――、
わたしが、『あっ、ここ、商店街だ』と思ったところが、商店街なのである。

その商店街である黄檗新生市場に踏み込む。

一直線に奥まで見通せるが、昼なお昏く、地下ではないのに、地下道のようにくらい。明かり取りの窓が小さいこともあるが、それよりも店が少なく、明かりを灯している店が限られるのだ。

花屋、薬屋、ケーキ屋。乾物屋。荒物屋。以上。
100メートルほどのアーケードの下、その他はシャッターが降り、シャッターには蜘蛛の巣がはり、商店街の奥では黴の匂いがする。

凄まじいほどの景である。
女性なら、一人では歩けないかもしれない。

商店街の上部には、各店の看板が残っている。
それを数えると、三十七。
今、店を開いているのが、五店舗。
わたしが商店街をうろうろしている間に、飲み屋さんが準備を始めた。
あそこは夕方から開くのだろう。六店舗に変更。
そのほか、営業しているのかどうか、たこ焼きバーもある。

入口の花屋は、鉢を広く並べ、店内で忙しそうにしている。
薬屋も結構なスペースだ。
ケーキ屋は、広いスペースではないが、厨房もある。
乾物屋は、整然として、品数が多い。
金物屋は、奥のスペースを死守しているような感じ。
奥で開いている店が少ないのだ。
奥の端っこは、土塀が傾いている。
そこに、筆で記した文字が貼られている。
『網戸張替え致します』
『合鍵お作り致します』

書道のお手本のような文字。
最も荒涼としたスペースに、美しく健康的な書体という組み合わせが面白い。
金物屋さんの奮闘ぶりがうかがえる。

この商店街を抜けると、寺町である。
右手に進むとすぐに黄檗山萬福寺。
かの隠元禅師が開いた禅寺である。

この萬福寺が、素晴らしい。
黄檗宗の大本山。禅宗伽藍の寺院。
最初に道を訊いたときの
「黄檗山に行きはるの?」
の<黄檗山>は、萬福寺のことだったのだ。

山門前に句碑。

山門を出れば日本ぞ茶摘み唄  菊舎尼

山門の前に、敷物を敷き、すりこぎ、独楽などを売る人がいた。
広げた商品の端にバケツがあり、なにかの枝葉が漬けられている。

「なんですか、これは?」
「これがオウバク。キハダ」
「陀羅尼助の」
「そう。今朝の台風で枝ごと落ちてたんや」
 バケツに黄檗が枝ごと水に漬けてある。
「境内に、黄檗の木があるから。それを見て帰らないと、ここに来たことにならへんで。見んと帰る人も多いけど、黄檗見て帰らんと値打ちない」

この日は、八日。毎月八日は、<ほていまつり>で、寺への入場料五百円が要らない。ラッキーなことである。

ここは穴場である。
穴場というのも失礼かもしれないが、穴場である。
洛中の寺は、観光客でごったがえすし、洛外でも宇治の平等院は列を成す。

ここは、1661年創建当初の姿をそのままに伝えている。
商店街を放浪して、萬福寺とも出会えた。ありがたいことである。
今回の商店街は、句会で知り合った吟さんという方に教えられたのだが、吟さんにも合掌である。

帰り道、新生市場に近づいた時だ。
巾着袋を持った年配の女性が近寄ってきた。
「わたし、役所の仕事している者なんですけれど、どちらから来られました?」
とっさに、宗教関連のお誘いかと身構えたが、役所関連の人が、観光客の少ない街へ訪れたよそ者をリサーチしているのだと理解し、わたしの住む町を答えた。

わたしはわたしで、商店街の取材したかったところだ。飛んで火に入るなんとやら。
「そこに商店街がありますよね?」
「はぁ、新生市場」
「昔は賑わっていたんですよね」
「わたしも、あそこの果物屋でよう買い物してたんですよ。りんご、箱で買うと重いでしょ。それで家まで届けてもろてたの。でも、やめはって。いま、家のガレージでやったりしてはるけれど」
「昼間でも女性歩きにくいでしょう」
「そやから、わたしぐるっとまわっていきます。夜になると、飲み屋さんが流行ってますねん。そやから夜の方が明るいくらい」
「いつからですか、ああいう風になったのは」
「イトーヨーカー堂とか、イズミヤできてから。すぐそばやないけど、最近の人は車持ってはるでしょ。そやから、そっちに流れますわね」
定番のスーパー建設後の荒廃。
「花屋さんと薬屋さんが頑張ってはりますけどね。花屋と薬屋だけでは毎日のことが間にあわんでしょう。つまりね。女性が欲しいもん、いま、あそこにないんですよ」

一瞬で商店街の歴史を教わったような感じだ。
商店街は賑わい、廃れた。
しかし、飲み屋は流行っている。
まだまだ飲み屋が増える可能性がなくはない。
最近の黄金パターンとして、廃れたスペースを若者が再利用し、活性化させるという現実がある。廃れた場所は安いのだ。廃れた場所には自由がある。先住者が威張らない、排他的にならないという自由がある。

萬福寺で忘れられない瞬間があった。
本堂に入ったときだ。
昏くなりかけた時間帯に、御本尊に手を合わし挨拶をし願いごとをし、そのあと、少し横にずれて、御本尊を見上げていた。
そのときだ。じわーっと日が差してきた。光りのフェードインである。
御本尊の表情が見えてくる。明るくなったと思った途端、こんどはフェードアウトがはじまった。ゆっくり、くらーくなったのだ。そして、すぐさままだ明るくなり、また、暗くなった。それが三度繰り返された。なんとも不思議な気持ちに包まれた。誰かが、太陽のレバーをゆっくり動かしているような光りの動きだった。

これを商店街に結びつけると教訓めいて臭くてしかたないが、その明かりが強弱に動くさなか、廃墟のような商店街が頭を掠めたていた。
繁栄も荒廃も動きの一瞬である。
この商店街がどうなるかは、まだまだ分からない。
あー臭い。しかし、そう思ったのだから仕方がない。
あの本堂へ差し込む光りの動きがそう感じさせたのだ。

わたしは、また、萬福寺に行く。
黄檗新生市場にも行く。
あなたも行ってみればいい。

敗荷や仔細に見れば流れ水  野村喜舟
                              (以上)

4 comments:

Unknown さんのコメント...

小池康生さま。よくぞよくぞ黄檗新生市場(おおまけで商店街としてください)をたずねてくださいました。この連載がはじまったときに、ぜったい黄檗新生市場に行って貰うぞ、とこころにきめて、さりげなく効果的なコメントの機会をねらっていたのですが、いつかの芦屋高級住宅街の高尚な文学記念館でも句会の機会があり、この偶然には合掌モノでございました。あなたを引き合わせてくださった、直訴の機会をつくてくださったエンピツさんでしたか?この方にも合掌です。

いいでしょう!? この界隈、そこを通って、隠元禅師開祖のお寺に行って、山門を出れ場日本ぞ茶摘み唄、の山門をまずは入らねば出ることが出来ませんから・・。この雰囲気をじゅうぶん味わってくだささったのですね。
穴場といえば、ぼんとうに穴場です。皆素通りして宇治の方にいってしましまいますけど。
黄檗新生市場の活気は、もはやかえりませんし、私もべつのところに住んでいますが、ここで過ごした若き日、忘れがたい思い出があります。週刊俳句の記事で、これがいちばんうれしかったなあ。感情溢れる魅力的な文章で探婦して下さってそのことも、どうもありがとうございました。
 そうそうおもいだした。エンピツさんではなく筆ペンさんでしたね。吟

Unknown さんのコメント...


光のフェードインのところと最後の〆にいたる放浪者の感情のながれの文の送りに感動しました。
黄檗山万福寺にゆくたびに溢れてくる私の思いと同じ質のものです。生活史と個人の感情の波がゆきあう、内的風景の活写、というか。

敗荷や仔細に見れば流れ水  野村喜舟 

この句が効いています。
名エッセイですよ。ほんと。

● 先のわがコメント、ミス訂正、

正しくは。
  山門を出れば日本ぞ茶摘み唄  菊舎尼


  探婦 → 探訪 
です、失礼しました(笑)

小池康生 さんのコメント...

吟様

重要な”物件”をご紹介いただき、ありがとうございます。

さらには過分なお言葉まで。
今後の励みとし、ウロウロし続けます。

小池康生

Unknown さんのコメント...

小池康生様、
わざわざ再コメントをいただき、恐縮です。

穴場をお教えした甲斐がありました。
この異界は、宇治の平等院の浄土という観念風景とはちがう、人心の闇に触れるものがあるとはおもいませんか?
夜がそんなに賑やかだとは、ますますあやかしの場所、といわざるをえません。

銀化10月号の貴文《赤尾兜子を読む・蠕動》を拝見しました。これにも共鳴するところが多々ありました。兜子の闇をくぐってゆく途中にきかの内部に生じたその、貴下自身の観念の蠕動状態が、あの暗い黄檗新生市場のとおりをくぐっているうちに、生じたのでしょう。だから、あの場所が一個の「風景」として、みごとな表現をもったのだとおもいます。