2009-11-01

『俳句界』2009年11月号を読む さいばら天気

【俳誌を読む】
政治と文学性 結社と俳句世間のジレンマ
『俳句界』2009年11月号を読む


さいばら天気


特集 20年後、30年後、あなたの結社はどうなっている? p41-

このところの『俳句界』でおなじみのテーマを、座談会1本と論考6本で構成。

座談会:結社の可能性、結社の多様性

齋藤愼爾、辻桃子、対馬康子、五島高資4氏による座談。

本旨とは別にまず、「私淑」の語がこの座談会の場全体で誤用(拡大解釈)されていると思しい点、触れておきます。

【私淑】〔私(ひそ)かに淑(よ)しとする意〕直接教えを受けたわけではないが、著作などを通じて傾倒して師と仰ぐこと。「大辞林 第二版」
俳句世間で最近よく話題にのぼるプライヴェートな師弟関係に、いちいち「私淑」の語が宛てられます。そのいちいちに誤用を指摘するのもいいかげんイヤなので(ぼやき漫才の人生幸朗ならまだしも、些末主義と言われるはヤだ)、どなたかエラい人、何かのタイミングで、この件に触れていただけないものでしょうか。

さて、座談会の内容ですが、かいつまむと、20~30年後に結社は、タイトル通り「多様化している」という流れです。しかしながら未来予測全般、「多様性が減少する」という読みはついぞ見たことがない。物事はたいてい「多様化」へと向かうもののようです。だから問題は多様化の内容です。そこで登場するのが、インターネット、そして先ほどの「私淑」という要素。両者について、どんな話の流れなのかは実際に読んでいただくのがいいのでしょう。残念ながら、それほどの掘り下げや目新しい指摘は少ないかもしれませんが、それでも興味深い文言はいくつかあります。
対馬 (…)確固たる美意識のもとに、文学運動をしている、するものが結社であって、結社というものが文学運動を起こしている原動力だと思っています。(…)総合誌は、文学運動を引っぱっていくというより、結社が創造するいろいろな営みを取り上げて、ジャーナリズムとして知らせ共有させる基盤を作る。(…)
「天為」という有力結社誌の編集長である対馬氏の心意気を感じる部分ですが、一方、私などは逆に、かつて「運動体」だった結社も、いまや「機能」の側面が強いという見方をしています。機能とはつまり、俳句愛好者・俳人がみずからの俳句活動のために結社をなんらかの機能として使用する、その側面が強まっているということ。なんらかとは、学習、機会、舞台、インキュベーター(才能の孵化器)機能等々。結社のいくつもある美点・アドバテージを、個人が(複数)選択して、利用する傾向が強まっていると把握しています。これはどちらが正しいかという問題ではありません。本来的な意義を見つめる対馬氏とは、別に、現状、そう見えてしまう部分もあるのではないかということです。

ただ、文学運動としての結社の存在意義を認めるにしても、運動のテーマが不在、あるいは見えにくいという状況(俳句に限らず文芸全般の事情かも)が問題となるはずです。

この問題は、次の齋藤氏の指摘にも関連するようです。
齋藤 石田波郷とか加藤楸邨とか、若くして結社を立ち上げた人は、独自のエコールを持っていた。結社を持つという主義・主張がちゃんとあった。
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五島 インターネットコミュニティのさきがけとして「俳句スクエア」を始めたのですが、ネットをやっていますと匿名性の問題が出てきます。そうすると、句の鑑賞や評価などで過激な論争になったりします。(…)ネットの弊害というのは充分感じていまして、ですから、やはり、僕は今、きちんとした結社が必要だと実感しています。
「結社が必要」という部分は「ご自分にとって」という意味が大きいらしく、別のところで「海程」に入られたことが述べられています。それはともかく、「俳句スクエア」は、五島氏を主宰とし「ネット上の結社」として稀有な存在でした。匿名性の問題、インターネットの弊害について、別の機会にでも、もっと詳しく知りたいところです。

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齋藤 結社というのは結局、主宰者の問題になる。結社の主宰者は、自分の結社を大きくして、俳壇のなかで、政治力学的に発言権を増大させるなんて非文学的なことを考えないで、とにかく、俳句文学、それを一ミリでもいい方向に持っていくことだけをこころざすべきです。
そのとおりの正論です。しかし、結社とはすでに政治であるという側面もあります。また、何をやってもどこにいても政治をやりたがる人はいます(成員が数人でも数万人でも事情は同じ)。「政治好き」は性分ですから、なかなか直りません。一方、その手の政治にまったく興味のない人が主宰の座につくことはひじょうに稀ではないでしょうか。んんん、ジレンマ。

結社における政治力学と文学性。なかなか困難なテーマです。なお、結社を俳句世間にまで広げても同様でしょう。

さて、この座談会「20年後、30年後、あなたの結社はどうなっている?」は、せっかく「あなたの」とあるののだから、一般論からさらに、個別の結社に話題が及んでもよかった気がします。ちなみに、20年後の2029年、齋藤愼爾氏は90歳、 辻桃子氏は84歳、対馬康子氏は76歳、五島高資氏は61歳、30年後はそれぞれに10歳を足した年齢になります。

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座談会のページに続く6論考では、江里昭彦「分水嶺のこちら側 結社の盛衰と社会情勢」が、結社の変質(師弟間の厳格主義から仲良しクラブへ)を1990年代前半に見て、さらに80年代の「俳句ブーム」を「中流層」の形成と関連づけて含蓄。

また、岡田耕治「読者を選び、届ける」は、「ネット社会の構築」にともない、読者を選ばず、読者が選んでアクセスする俳句情報が増大していることを指摘。俳句とインターネットに関して、新しい視点といえます。


特別作品33句 筑紫磐井「婆娑羅」  p32-

  植木屋がつぎつぎ抜いてまた植ゑて

  誤つてゐる評論を我も推す

  ぴんく着てあべかんいちの世界かな

磐井句の大ファンとしては、「満足」と「もうちょっとサービスして」のあいだくらいの33句。


俳句の未来人 p190-

コーナー名が凄いですが、人選は、なかなかです(「なかなか」はいろんな意味)。一句ずつ挙げさせてください。

  芋洗ふ流しに泥の渦吸はれ  相子智恵

  萩の風碧梧桐の字すぐわかる  如月真菜

  延々とCMピザの上の海老  神野紗希

  降る雪と降(くだ)る立体駐車場  冨田拓也

  十六夜の月のトンネル芭蕉呼ぶ  豊里友行

  秋の声土から月へのぼりけり  山口優夢


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