2009-11-29

商店街放浪記23 東京 神田界隈① すずらん通り商店街 小池康生

商店街放浪記23
東京 神田界隈① すずらん通り商店街

小池康生


見過ごすようなニュースに時代を感じることがある。
 
先日、小学館の『小学5年生』『小学6年生』が、平成21年内で終刊を迎えるというニュースが流れた。
 
かつて読者だったひとりとして、また、昭和的なものがひとつ終わるんだという感概を持つ(大正時代にスタートした雑誌だが)。
すでに芳しくない売上げだったのだろうが、小学館という会社を生みだした象徴的な雑誌だから、その終刊は、活字世界の子供文化、子供ビジネスの大きな区切りだ。
 
系列の雑誌『小学1年生』から『小学4年生』は続くらしいので、5年6年という世代のニーズが大きく変わったのだろう。

そもそも11歳12歳で男女兼用の雑誌が難しい。
女の子はおしゃれな下着特集でも読みたいくらいにませているし、大人の女性雑誌を覗きみるほうが、時代に関わっている気がするのではないか。
男子は男子で、兄貴や父の買ってくる青年コミック誌を読み、井上雄彦や浦沢直樹の凄さを理解しているかもしれない。

いまや、どんな年齢層を狙う雑誌のなかにも“悪場所”が必要だ。
健康的であることは大事だが、健全だけでは生きていけない。
今の時代の少年少女は、壮絶な世相の中に生き、免疫力もついているだろうし、ついていない子供は急ぎ免疫力をつけなければ大変な目に遭う。

小学5年生6年生も単純に<子供>とは限定できないのではないだろうか。

<学習雑誌>、その響きにわたしは甘酸っぱい郷愁を感じる。
しかし、それは、おっさんの感概でしかないのだろう。

基(もとい)。
商店街放浪記である。
雑誌放浪記ではない。
しかし、これでいいのだ。

小学5年生6年生終刊→その学習雑誌の誕生した記念碑的ビルの存在→すずらん通り商店街→洋食『キッチン南海』の“ひらめフライと生姜焼きセット”と展開していく予定なのである。

先日、神田のすずらん通りを歩いてきた。
その商店街のそばに、小学館の学習雑誌を生みだしたビルがあるのだ。
今は小学館の本社ビルのなかに学習雑誌の編集をしているが、創業時には、すずらん通りを少し逸れたところにあるちいさなビルで作られていたのである。今は、青く塗られたなんでもないビル。それがこの大出版社のおおきな一歩を踏み出したところだ。
 
わたしの東京時代、縁あって、この記念碑的なビルに通っていた。
だから、当時、昼食は、すずらん通りで摂ることが多かった。

すずらん通りが、どんな謂れなのか、どんな歴史を持つのかは知らないが、東西に延びる<すずらん通り>と、南北に延びる<白山通り>は、界隈でも愛着のある商店街である。

神田界隈では、靖国通りがもっとも重要な商店街かもしれないが、わたしにとっては、<すずらん通り>と<白山通り>が、神田界隈なのだ。

なぜ、この連載23回目になるまで書かなかったのだろう。

すずらん通りの、思いだせる店を羅列すると、
<揚子江彩館>、<ロシアレストラン ろしあ亭>、餃子の<スヰートポーヅ>、<和菓子の文銭堂>、<キッチン南海>、<小諸そば>、<牛めしたつ屋>、<書肆アクセス>、<東京堂書店>、<三省堂書店>等など。

わたしにとって、この通りのひとつの中心点は、<東京堂書店>である。
ここの二階が特にいい。30分は居たい。『嗚呼、本屋だ』と思わせる空気がある。デパートの人いきれが苦手という男が多いが、わたしもそのひとりで、デパートの空気に似た書店は長居できないのだが、なぜかここは大丈夫なのだ。
そして、もうひとつは、<キッチン南海>である。

開店早々に行列のできるお店である。
安くてボリュームがある。
真っ黒なカレーが500円。そこにカツが載り650円。
ひらめフライと生姜焼の定食が750円。
ひらめフライというのは、インパクトが強い。

白身魚のフライと、ひらめフライは、具体的にどう味が違うのだと言われれば答えに窮するが、白身魚にひらめを選び、生姜焼とごはんもついて、750円というのはすごいではないか。
ひらめフライ、聞いても読んでも凄い。テーブルについて注文するとどきどきする。このメニューは、商店街を盛り上げる。
 
その並びに立ち食いそばの(ちゃんと綺麗な椅子があるが)小諸そばや、これまた特別安い牛丼屋があるのも面白い。

このすずらん通りが、神田界隈のシンボリックな存在だと、どこかで読んだ記憶があるが、どこで読んだのか、ちゃんと覚えていない。
この商店街が、神田界隈の一つのシンボルということに異論はない。
ある確かな空気感がある。

この商店街の一本北に並行する路地に、有名な喫茶店<さぼうる>があるし、その路地にとんでもない盛り付けの中華料理店<徳萬殿>がある。
チャーハンも焼そばも相当な盛りなのだが、そこで大盛チャーハンを目撃すると、連れだっている人間は、隣の人を肘で突いて、『おい、あれを見ろよ』と合図を送ることになる。

兜をさかさまにしたようなチャーハンを目撃することになる。
それを注文した人には、『男やなぁ』という視線を向けることになる。健康がなんだ。メタボがなんだ。大盛りは結構カッコイイ。

時々、ここの焼そばが食べたくなる。
わたしは、焼そばが大好きで、それも一度にがばっと食べたくなる。
ここの焼きそばなら、並みでその欲求が充たされる。
味のことは、味のことである。今はそんな話をしていない。
食っても食っても減らない焼そばが欲しい日があるのだ。

この店の、ショーウィンドゥに、ミニチュアの蝋細工が置いてあることがなんとも可笑しいし、いいセンスだ。

商店街は血管のようなものだ。
神田という大きな町に色々な血管が走り、それぞれの地域に、ある温度を生みだす。

神田の交差点がある。
その四分割された南東のブロックにすずらん通りの話をしている。
靖国通りに並行して伸びる260メートルの商店街である。

昔、その商店街の<書肆 アクセス>のワゴン販売で、虚子の「五百句」復刻版を500円で手に入れた。

  挿話めく小春日和と云ふがあり  相生垣瓜人

 (つづく)

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