2009-12-27

商店街放浪記25 大阪九条 ナインモール商店街、キララ九条商店街 〔前篇〕 小池康生

商店街放浪記25
大阪九条 ナインモール商店街、キララ九条商店街 〔前篇〕

小池康生


今年の大きな収穫は、大阪のかつての四大商店街を教えられたことだ。

知らないことが色々ある。
知らないことは恥ずかしいが、それ以上に知った喜びは大きい。

かつての、大阪四大商店街はどこ?と訊ねられれば、心斎橋と天神橋筋商店街(当時は十丁目筋)は答えられる。しかし、残りふたつは意外であった。
福島聖天通り。
九条新道商店街。

福島聖天通りは以前に書いた。
ならば、もうひとつの商店街を年内に書いておきたい。

そこへ差して、今年最期の<路地裏荒縄会>である。
今回はわたしが幹事なので、九条散策と決めた。
早めに九条に行き、下調べをする。

<九条新道商店街>がどこにあったのか、今もあるのか、確認しておきたかったのだ。

地下鉄<九条>で下車。
地下鉄だが、地上、しかも高架の駅だ。
中央大通りという、大阪の町を東西に貫く幹線道路の上に駅がある。
この駅を起点に、ふたつの大きな商店街が広がる。

駅から大阪ドーム側に進む<ナインモール商店街>。
安治川に向かう<キララ九条商店街>。

まずは、挨拶代わりに、<ナインモール商店街>を歩く。
道幅もひろく、アーケードもある。
このアーケードを抜けたところで、思わず声を上げる。
交差点の地名表示に<九条新道>とある。おおっ!
交差点の四方向を眺める。
九条新道商店街が、ここから伸びていた確率はかなり高い。

ナインモールを背にして、交差点の向こう側に渡る。
アーケードは切れるが、別の商店街が続く。
雨がぱらぱらしてきた。ビールでも飲んで休めというお告げだろうか。

交差点を渡ってすぐの所にたこ焼き店を発見。
たこ焼きでビールを飲めと言うお告げだろうか。

「やっこ蛸」。
夕方早い時間なので、空いている。
たこ焼きとビールを注文する。
町のたこ焼き屋は、細かな単位で注文できるのがいい。
6個(300円)と、ビールを頼む。
食事前だから軽くがいい。

この店は、おじさんが一人でやっている。
昔、たこ焼き店と言えば、どこでも土地のおばさんやおじさんがやっていたものだが、その人たちも高齢化し、たこ焼き店も減り、そこへチェーン展開の店が浸食し、おじさんおばさんが経営する店も減ってきた。

おじさんに話しかけてみる。
「昔、この辺は、大阪の四大商店街やったそうですねぇ」
「西の心斎橋いうて、えらい賑わってたそうやねぇ」
「当時の九条新道商店街って、今もあるんですか?」
「そこのナインモールと、中央大通りの、向こうの、あの・・・」
「キララ九条商店街」
「そう、キララ。ナインモールとキララが、昔の九条新道商店街」
「あっ、ふたつで、九条新道商店街」
「そう!」
「へーっ。昔はひとつ・・・」
「キララが食品関係に特化してて、ナインモールが物に特化してて、いつからか、ふたつが別々の名前になったんやわ」
「あー、そうなんですか?あー、すっきりしました」

このあと、当時の大阪湾近くの町の賑わいを聞いた。
大阪の港湾の労働、小さな造船所も結構あり、労働者がたくさんいたのだ。
「大正の方に沖縄の人が多いでしょう」
「あぁ、そうですね」
「この辺は、四国四県の人間が多い。愛媛の人とかも」
「へーっ、それは知りませんでした」
「造船の仕事なんかしてたなぁ」

労働者の町として九条は賑わい、商店街も賑わったのだ。
大阪のかつての四大商店街のひとつに、九条新道商店街があると聞かされて、それをほとんどの大阪人が知らないのは、この港に近い町の仕事面での賑わいを、もう誰も知らないからだ。

大阪のビジネス街の中心地、本町からそう遠くはない町なのに、遠い感じがする。本町と九条の間にある<阿波座>という町は、マンションに<西本町>という名前を付けて、海の近くにあった歴史よりも、本町に隣り合う存在感を売り物にしている。それだけ、大阪の<西>は、大阪人にも忘れられているのだ。

おじさんとの話は、盛り上がる。かつてこの町で石を投げれば、労働者と893に当たるほどだったいう話を聞き、さらには、<名門九条OS>というストリップ劇場や、松島遊郭にまで話が及んだが、荒縄会の待ち合わせの時間が来た。いけない。幹事が遅刻だ。早々九条に来ていながら・・・。

おじさんに礼を言い、駅に走る。
駅舎に上がると、筆ペンさんがいる。
すっかりレギュラー化した赤レンガさんもいる。
それに筆ペンさんの後輩さんも参加。この人、ガタイがいい。九条向きだ。
ペーパーさんからは、遅刻の報せ。

ペーパーさんと赤レンガさんが、とりあえずどこかでビールをやりたいと言う。
相当喉が渇き、腹も減っている様子。
「あれ?いい匂いする。気のせい?」
赤レンガさんが、鼻をクンクンしだす。
「小池さん、もうすでに・・・」
まさか、幹事が、遅刻して、ビールとたこ焼きなんて・・・ハハハ。
夕方の18時30分。いつもみんなは、腹ぺコで集合するのだ。さぁ。歩きましょう。

まずは、<キララ九条商店街>に案内する。
案内とはおこがましい。
荒縄会のメンバーは、大阪の歴史文化の基礎知識はもちろんのこと、各街の相当な深みを足でも頭でも知っている。
案内など必要ないのだ。幹事は、ただ、自分の興味を晒せばいい。
誰かが晒せば、誰かも晒す。そして盛り上がる。

<キララ九条商店街>を安治川に進む。
安治川は、泥の河である。
この河の下に隧道があるのだ。
歩くたびにぞくぞくするし、この隧道のことを考えるだけである種の興奮を覚える。こんな場所が大阪にあることを皆さんは御存知だろうか。

キララ商店街は、ナインモールより道幅は狭いが、アーケードがあり、レトロながらも、色々な店が楽しませてくれる。
商店街の途中には、市場もあり、商店街を逸れて奥まったところに、スーパーもあり、まだまだこの町は枯れていないと思わせる。

そう言えば、たこ焼き屋のおやじさんが言っていた。
キララが、食べ物に特化し、ナインモールが物に特化していたと・・・。

確かに<キララ>側は、食べ物屋が多い。商店街に入ってすぐの立ち食いうどん屋は、モーニングセットの看板を上げている。喫茶店のモーニングセットはあちらこちらにあるが、立ち食いうどんのモーニングセットは衝撃的でさえある。

アーケードのあるこの商店街は長い。昔歩いた時はそれほどに感じなかったが、長い。たこ焼き屋のおやじさんは、寂れていると言っていたが、今の日本全体の商店街に比べ、シャッターを下ろす店は実に少なく、現代でもこれほど頑張れるのかと感心した。荒縄の他のメンバーも活気を感じると言っている。

長い商店街を抜ける。
アーケードの切れたところに憧れの酒場、<白雪温酒場>がある。

労働者の酒場である。
一度も入ったことはないが、昔は透明なガラスで店の中が見えた。
カウンターだけの店内、熱燗が、アルミのチロリで出ていた。
いかつい、肩の分厚い、労働者たちが飲んでいた。

硬派な居酒屋。呑み屋と言った方が似合いそうな雰囲気。
わたしの憧れの場所だ。

かつて、町には、男が背伸びする店があり、その背伸びがとても大事だった。
今、背伸びする場所はそうない。
金銭的な背伸びはあっても、雰囲気に対する背伸びは、そうは存在しない。
白雪温酒場にはそれがある。

しかし、一度も入ったことがないのだ。
二三度訪れ、いつも満杯。今回も扉を開けたが・・・ぎっしり満員であった。
扉を開けて中を見たときの高揚感。・・・入りたい。男の聖地を見るような目でわたしは店内をみていたことだろう。

地団駄を踏み、店を出て、すぐそこにある安治川に向かう。
白雪温酒場を過ぎればすぐに、安治川をくぐる隧道があるのだ。

ここに橋はない。
隧道だけがある。

河に向きあうところに、エレベーターがある。
河の前にエレベーターなのである。

興奮するのはわたしだけであろうか?
どこか、高いところに昇るのではない。エレベータ―で河の下におり、河底のさらに底を歩くのだ。そして、泥の河の向こう側に辿りつく。
そして、また、エレベーターに乗り、浮上する。
話しているだけで、ぞくぞくする。

小雨のなか、ペーパーさんがエレベーターの外観を撮影している。
デジカメの画面を見せてくれる。
エレベーターの上に、掠れた文字、数字もある。<昭和十七年>と読める。
右から左に流れる表記だ。 
<日五一月九年七十和昭>と読める。
その上には、<道隧川治安>。
エレベーターが開く。歩行者だけでなく、自転車もエレベーターに乗りこむ。

隣りには、さらに大きなエレベーターがあるが、封鎖されている。
エレベーターの釦のまわりの金属が剥がれている。
封鎖された大型貨物のエレベーターの中はどうなっているのだろう。
あぁ、ぞくぞくする。

昭和十七年、大洋戦争開戦の翌年の開通ではないか。
その時代より、今まで、この泥の河のこちらとあちらに人を運んできたのだ。
川底と言う神秘と、時代の変遷という神秘、そのエレベーターと川底の隧道が都市のなかに今も存在するということに感動する。

エレベーターの横に階段もある。
行きはエレベーター、帰りは階段と提案し、赤レンガさんには拒否される。

エレベーターから、小学生や中学生が自転車に乗って降りてくる。
入れ違いにOLさんや主婦が乗りこむ。
町の生活者のエレベーターだ。
わたしたちも乗りこむ。
エレベーターは川の底の底へ向かう。
そして、河の底の通路を歩き、河の向こう側に移動する。

河底の通路は、わたしの足で百十二歩。階段を上ったが、階段は、九十五段。
安治川の向こう側に出ると、堤防によじのぼり、河を覗く。
闇の中に泥の河。何も見えない。宮本輝の描いた主のような巨大鯉が泳いでいて欲しいがなにも見えない。
寒い。温かいものが欲しい。わたしの他は腹ぺコである。
幹事だけが、たこ焼きとビールを腹に入れている、
早く、食事の場を設けないことには。

この連載は、年を越し2010年を跨ぐ。わたしたちは、すぐまた安治川を渡り、商店街に戻る。時雨で冷えてきた。なにか温かいものが食べたい。白雪温酒場よ、今度は開いていてくれ。

風呂吹のなかの炎にゆきあたる   康生

(次回に続く)

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