2010-01-10

〔新撰21の一句〕関悦史 の一句 野口裕

〔新撰21の一句〕関悦史の一句
「ダア!」と叫ぶのみ ……野口裕


口閉じてアントニオ猪木盆梅へ 関悦史

体験と経験が違うというのは、ちょくちょく聞く話である。和田悟朗によると、鈴木六林男もよくそれを引き合いに出していたらしい。誰が言うにしろ、体験は自分自身が直接関わった出来事、経験は直接関わらない見聞も含めての総体ということは変わらないだろう。

「新撰21」を読んでゆくと、年齢順(ほぼ?詳しくは不明)に並んでいるせいもあるが、これから体験や経験を積んで行こうとする年代と、一応体験や経験を積み、そこから得たものを俳句に活かそうとする年代とに分かれるようだ。また、それぞれの年代の中で体験を活かそうとする派と、体験はひとまず置 き経験を重視してゆく派とに、これも分かれる。

いずれにしろ、かつての戦争のように、否応なく関わってしまう体験というのは、沖縄を除いての日本、いわゆる本土では考えにくい。日本語を母語と する人々に共通する体験がない分、体験を核とした句を成立させるためには工夫がいる。また、歳時記の体系も農耕体験を核として成立していたところがあるの で、季語だけでは体験を核とした句として成立しにくい。経験も同様に、万人が共有すべき知見というものが存在しないため、個別に蓄積してきた経験を他者に 共有させるための工夫が必要になる。体験を核とするにせよ、経験を核とするにせよ、他者の目から見た俳句として成立するためには、一苦労しなければならな い。

この句の場合はどうだろうか。アントニオ猪木は、日本語を母語とする人々の中で、最も体験豊富な人に属するだろう。力道山没後のジャイアント馬 場・アントニオ猪木時代を経て、異種格闘技の走りであったモハメッド・アリとの闘いあり、タバスコの輸入での失敗あり、結婚あり、離婚あり(句に合わせて 駄洒落を入れてみた)、参議院議員となってからの中東・ロシア外交とその行動は華々しい。佐藤優が、ソビエト連邦の外交官当時に関わったアントニオ猪木に ついてのエピソードを書いているのを読み、へえ、と思ったこともある。

だが、アントニオ猪木は個々の体験を核にして何かを語りえているか。寡黙に徹し、一声、「ダア!」と叫ぶのみ、というのが句頭の「口閉じて」なの だろう。盆梅は、へたすると百年は優に越える寿命を有する(また駄洒落になったが、これは文章の勢い)が、猪木以上に寡黙である。

体験から何を引きだし、句として定着させるか。これは作者自身にも跳ね返ってくる問題意識なのだろう。



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筑紫磐井・対馬康子・高山れおな(編)・邑書林

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