〔新撰21の一句〕佐藤文香の一句
ヒット率は低くとも ……仲 寒蝉
知らない町の吹雪のなかは知っている 佐藤文香
『海藻標本』以後の文香の様々な試みを『里』誌上で見守っているが、彼女はいま幸運なスタートを切った自分の作られつつあるイメージ(伝説と言ってもいい)を崩すことに躍起になっているといった感がある。新しい境地を模索していると言ってもいい。あの端正で大人びた詠み振りから一転して破調、口語、シュールと何でもありの暴れ方だ。ピカソが10歳代でベラスケス以来のあらゆる伝統的な技法を習得し尽くし、キュビズムへと身を転じていったのと似ている。
文香の場合、今のところそれが成功しているかと言えばヒットの率は低いと言わざるを得ない。ただ彼女はまだ24歳、俳句の歴史は400年、ものすごい勢いで過去の俳句のやってきたことをなぞるとしても自分にぴったりのスタイルを見つけるのにはまだ暫くかかるだろう。
この句は口語調で表記も新仮名遣いだから『海藻標本』の句とは見た目はかなり違っている。でありながら我々が知っている文香の俳句だなと思わせるところがある。彼女の句はどんなに抽象的なものや心象風景的なものを詠んでいても必ず一点現実と繋がっているのだ。単に頭の中で言葉をひねっている訳でなく実感というか体感がベースにあると思わせる。そこが彼女の俳句の強みであろう。
松山生まれの彼女がどこまで吹雪を経験しているのかは知らないがこの句の「知っている」には(はったりかもしれないが)確かな実感に裏打ちされているとの印象がある。
知らない町、例えば稚内とか鶴岡とか、そこの吹雪は経験したことないが吹雪の中の町がどんな様子なのかは「知っている」と言うのだ。
単に想像できるというのでなく「知っている」。町は知らないがその町の吹雪の中は知っている、との論理的に辻褄の合わぬ物言いが、却って読む者の心を直接に掴む。
吹雪の中はどこも同じようなもの、といったありきたりの納得ではない。吹雪を通して日本中、いや世界中の吹雪の町と自分とが繋がっているとの感覚。これは論理や想像を超えたもっと奥深くの、例えば原始以来人類が持っていて普段は眠っている心の動きと関わっているような気がする。
ヒット率は低くともがむしゃらに作っていると、このような人智を超えたような句に突き当たるのだ。勿論そのベースには『海藻標本』をまとめ上げた佐藤文香がいるのであって、そこを乗り越えこれまでの境地を捨て去ったからこそ得られたものと言える。今後の文香の変容振りに注目したい。
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2010-01-17
〔新撰21の一句〕佐藤文香の一句 仲寒蝉
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