2010-01-10

〔新撰21の一句〕村上鞆彦の一句 広渡敬雄

〔新撰21の一句〕村上鞆彦の一句 
若きもののふ ……広渡敬雄


あをぞらをしづかにながす冬木かな 村上鞆彦

村上鞆彦と初めて会ったのは、3年弱前。超結社の早春の「井の頭公園吟行」だった。

『新撰21』の高柳克弘や神野紗希も一緒だった。
その時の彼の端倪すべからぬ視線の厳しさにふと思うことがあった。剣道をやっていた自分の直感みたいなものだった。
後に確認すると案の定、剣道の有段者ということだった。
写生の的確性、沈着冷静な彼の作風はそこに根ざしているのかも知れない。

その吟行で今でも記憶に残っていることがもうひとつある。
水辺近くに蕗の薹が繁茂していたが、彼は、「蕗の花」として、句会に出句した。「蕗の薹」の傍題「蕗の花」は角川の大歳時記にも、ホトトギスの新歳時記にも採用句が見当たらない。
だが、「蕗の薹」と言うかなり手垢のついた季語を避けて、あえて「蕗の花」を使う彼の矜持みたいなものは、その後「豈」特集「青年の主張」で「私 はただ、先人達が大切にしてきたものをそのまま大切に受け継いで、伝統的な有季定型論を墨守してゆきたい」述べていることに通じるのかもしれない。
但し、その伝統的なものも彼なりに咀嚼し、彼自身の世界を展開しているともいえる。

次に思うのは、彼の「俳号」のことである。
「俳号」は歴史的には、句座で俳人達の身分的制約を廃し、対等の立場で句作をするために使用されたのであろうが、最近の俳壇でそれを使用する俳人は少ない。
「鞆彦」が本名でなく、俳号ではないかと感じたのは、「鞆」と言う言葉であった。「鞆」は、国字で弓を射る時、左の手首につける丸い鹿皮の道具、つまり、武具であり、彼の剣道の経歴から見ても、「鞆彦」は彼なりの覚悟(信念)の俳号であろう。
ごく最近「鞆彦」は、故郷大分県宇佐から近い早鞆の瀬戸(開門海峡)の「鞆」から引用した俳号であり、本名は勝彦であることを、彼が話してくれた。
「早鞆の瀬戸」は、源平の最期の合戦の場であり、双方の「もののふ」が死力を尽くして雌雄を決した場所でもある。

彼の作風は、大上段から一刀両断に「面」を打ち込むものとは異なる。
「新撰21」百句中にも繊細な感性、的確な写生、青年のアンニュイ、静謐で清冽な世界等々と驚くほど範疇が広い。
彼なりに、行くべき道を伝統的な有季定型と決した段階から色々と勉強を重ねているのだろう。
確かに三十歳そこそこでのある意味での彼の句の老成は、「新撰21」の他のメンバーの句とは、明らかに趣きを異にする。
「季語のない俳句」の存在の否定は、作家としての自分自身への戒めと言う彼の俳句も、今後は、幾分の軌道修正があるのかも知れない。
但し、その潔癖な信念は、集中句〈芒原百年のちの風と思ふ〉から見ても、当面不変であるようにも思う。

掲題の句は集中百句の最後の句。
最近句境が凄みを増したとは、「南風」の先輩同人津川絵里子の指摘だが、この句にはその「凄み」までは、見ることはできない。
しかし彼の言う通り「百年」たったとしても陳腐になる句でもなさそうである。
晴れ上がった冬の青空を泰然と行かしめる裸木は、勿論村上自身と読んで良いだろう。
孤高と言えばそうだが、他の木々から独立して、屹然と伸びるポプラか欅の大木には存在感がある。青空を流すという大胆な表現も潔く、静謐感も捨てがたい。

昨夏、彼と共にした句会で印象に残ったが、「新撰21」百句に掲載されていない句があった。出版時期の問題で収録にならなかったのであろう。

日盛りのぴしと地を打つ鳥の糞

現時点の彼の俳句を代表するものであろう。
この句も含め、彼の句は、剣道で例えれば大上段から打ち込んだ面ではなく、切れ味の良い籠手(小手)と思う。
的確に打ち込めば相手の竹刀を払い落とすほどの威力の籠手。
勿論、一本!その籠手が決まった時の鮮やかな音と、この鳥の糞が地に落ちたときの音を同じように感じたのは、筆者の空耳かも知れないが、佳句だと思う。



『新撰21 21世紀に出現した21人の新人たち』
筑紫磐井・対馬康子・高山れおな(編)・邑書林

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