2010-01-31

夜の形式 田中裕明(シンポジウム資料)

夜の形式 (シンポジウム資料)

田中裕明
   

 以前(ほんとうにずいぶん昔のことになってしまった)、夜の形式ということを考えていたときがある。芸術における形式と内容について思いをこらしていたある夜に、ふと夜の形式という言葉が浮かんでしばらくのあいだ頭を離れなかった。夜の形式に対して昼の形式という言葉もあり、こちらのほうはわかりやすくて、たとえば何人かの印象派の絵を思いうかべればよい。あるいはバロックと呼ばれる音楽のあるものは聞いていて森の中にぽっかりと日向があってそこに座りこんでいるような気がする。では夜の形式とはいったいどのようなものであろうか。

 地図を眺めていると自分が何を見ているのかわからなくなることがあって、そういうときには海岸線をたどるためにおろした指がもう動かない。音楽をそういうふうに聴くこともある。部屋を暗くしてレコードをかけて座っているといつのまにか雨の音を聴いていて、それでカーテンからのぞくと日が暮れていたりするから、そんな夜は眠れない。夜はしだいに明けてゆくのだけれども、時間がそちらの方向にだけ流れていると思うのはおかしなことで、今日見た朝の空と昔見た空が寸分かわらぬ顔をしているのは時間が逆流していることの証にほかならない。こう言えば夜の形式というのはかなり複雑なもので、それは時間と非常にふかい関わりをもっている。だからさっき昼の形式としてあげたバロック音楽も、深夜ひとり机にむかって目瞑る男が書いたと考えることができる。床の間がつくりだす薄暗い闇を、またそのほかの日本間における陰翳を賛えていたのはさて誰だったか。とにかくこのように言われる日本の座敷は午すぎの外の光を障子からとりいれてはじめて、その明暗のあいまいさを時間の久しさに転化させるのだけれども、夜の形式と言ってよいかもしれない。

 ほんとうにずいぶん前にも考えていたことなのだが、いま手にしているのは夜の形式ではないようだ。 

(『俳句』1982年6月号・角川俳句賞「受賞の言葉」)

4 コメント:

Haiku Weekly さんのコメント...

参考≫BBSへの書き込み(猫髭さん)
ぜひお読みください。興味深い短文です。

猫髭 さんのコメント...

天気さんのチェックはつぶやきまで拾ってしまう(驚き)。

2年ほど前、対中いずみさんの「氷柱」の鑑賞を彼女に酒席でおねだりされた時に、「週俳」で爽波と裕明と彼女の全句を読み比べた事があり、そのとき「裕明の句には、懐かしさに触れようとしてそのまま黄泉の国に手が柔らかく突き抜けてしまうような幻想的な美しさすらある」と書いたのですが、彼女がそうなんですと賛同してくれました。実は裕明さんの文章と句を読んでいて、頭に浮かんだのは吉田健一のことでした。例えば吉田健一の小説『金沢』などは、「渚にて金澤のこと菊のこと 裕明」など、わたくしは吉田健一の世界を念頭に読んでいるとしか思えませんでした。わたくしの裕明句の印象を語った評など、実は吉田健一の小説に出て来る大酒呑み(実は大亀の化身)の描写を念頭に書いたものです。文体からひよっとしたらと想定して書いたので、まさか、裕明さんが集英社だけではなく原書房の吉田健一の全集まで持っているほど、かぶれているとは知りませんでしたが。あと『夜の客人』などはもろ折口信夫ですね。吉田健一と折口信夫に裕明さんはかなりインスパイアされる部分があったと間違いなく思いますよ。そういえば裕明さんは「折口信夫全集」も持っていましたね。
対中いずみさんの鑑賞文では「全集にことごとくあり衣被」をわたくしは爽波全集と読み違えましたが(まだこの句を読んだ時には爽波全集は出ていなかったとのこと)、わたくしはこの全集とは吉田健一だと思っています。ま、衣被に合うのは日本酒だから、それだけで吉田健一の世界ですが、まだ見つけてないのですが、どこかに吉田健一の酒と食い物の話に「衣被」が載っていたような。こういうの調べるの楽しみでねえ(笑)。

tenki さんのコメント...

猫髭さんの「つぶやき」は、どなたにも増して声高なので、すぐに聞こえていますw(掲示板で、おひとりボリュームが違うので、すぐに目に止まります)。

ま、それはどうでもよくて、ほんと、ひじょうに興味深い書き込み、ありがとうございます。

猫髭 さんのコメント...

地声がでかいというのはよく言われます。「掲示板の昇圧剤」とも。

部屋を暗くしてレコードをかけて座っているといつのまにか雨の音を聴いていて、それでカーテンからのぞくと日が暮れていたりするから、そんな夜は眠れないことにもなり、夜はしだいに明けてゆくのだけれども、時間がそちらの方向にだけ流れていると思うのはおかしなことで、今日見た朝の空と昔見た空が寸分かわらぬ顔をしているのは時間が逆流していることの証にほかならないわけであり、こう言えば夜の形式というのはかなり複雑なもので、それは時間と非常にふかい関わりをもっている。

というように、句点を省いて、例えば吉田健一の随想『時間』に放り込んでやれば、吉田健一の、思考の流れをそのままだらだら書き流したような独特な発想の文体と見分けがつかないほどよく似ていることがわかります。

俳句からインスパイアされたもので俳句を詠む人はいかにも俳句的な俳句を詠みますが、裕明さんは俳句以外のものからもインスパイアされることが多いタイプなので、「ふしぎな句」と思われやすいのではないでしょうか。

何にしても「静かな場所」や今回のシンポジウムはじめ、裕明句の魅力がいろいろな角度から照射されるのは喜ばしいことだと、裕明句の一ファンとしては歓迎しています。

前出「衣被」の引用句は「悉く全集にあり衣被」の間違いでした。訂正。