2010-01-17

赤尾兜子を読む 蠕動 小池康生

赤尾兜子を読む
蠕動


小池康生

『銀化』2009年10月号より転載

赤尾兜子を読むということは、ただ〈読む〉と書いただけではこと足りない行為のように思える。

慣れない運動のあとに、『いつもと違う筋肉を使った』と感じるように、兜子の句を読む時、己の不可視などこかが反応しているのを感じる。

赤尾兜子、大正十四年(一九二五)年、兵庫県揖保郡網干町生まれ。昭和十七年大阪外語学校中国語科入学。同級の蒙古語科に司馬遼太郎、一年上級の印度語科に陳舜臣がいた。昭和二十二年京都大学文学部中国文学科に入学。「馬酔木」「火星」に投句。卒論に中唐の詩人、李賀を選ぶ。昭和二十二年「太陽系」同人となり、昭和二十五年毎日新聞編集局に入社。昭和三十三年「俳句評論」創刊に高柳重信らと発起。昭和三十四年第一句集「蛇」を発刊。昭和三十五年「渦」を創刊。以後、「渦」主宰として、東の重信、西の兜子と言われる前衛の旗手として活躍する。しかし、難解な句ばかりではない。

  歸り花鶴折るうちに折り殺す  

  數々のものに離れて額の花   

  鐵階にいる蜘蛛智恵をかがやかす

  大雷雨鬱王と會ふあさの夢

これらの句を読むのに特別な反射神経はいらない。大方の読者が同じような読後感を持つことだろう。しかし、

  音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢  

を前にした時、それまでの俳句の読み方ではまったく対処できなくなる。対処はできないが、とても魅力的なのだ。

掲句を含む兜子の五十句は、現代俳句協会賞を受賞した。

この選考がもめにもめた。そして、これを期に協会は分裂。草田男らは俳人協会設立に至った。兜子の弟子で『季流』主宰の小泉八重子に取材したところ、
賞の選考をめぐって協会が分裂したように言われていますけど、それ以前に、前衛俳句に反対する立場の人たちは独立に向けて動いていたようです。ですから兜子受賞の直後、早かったんですよ、独立が」。

“原因”ではなく“きっかけ”だとしても、独立した俳人たちにとって兜子の存在が強烈な違和感であったことは確かだろうし、この俳壇の歴史的“事件”は、兜子の個性や立場を象徴しているのかもしれない。

兜子は大学の卒論に選んだ詩人〈李賀〉に似ていると言われる。二十七歳で夭折し二百四十編の作品しか残していない李賀は、鬼才と呼ばれ、幻想的な世界や、死の世界を描き、既成の詩人の誰とも似ない作風を貫き、毀誉褒貶を受けた。

浅学なわたしはそこに踏み込めないが、李賀と兜子は、感情の烈しい性質から語彙まで似ているとの指摘が、永田耕衣や和田悟朗によってなされていることを付記しておく。

句に戻ろう。〈音樂漂う岸侵しゆく蛇の飢〉、一句のことばの組み立てが不思議だ。なめらかでありながら異物感があり、それでいて言葉は強固に噛み合い、唯一無二の美しい調べがある。句の意味を探ることよりも、音楽を聴いたり、絵を見たりする行為として、兜子の句を読む。

そうするうちに、わたしの内部のどことは知れぬところが、蠕動をはじめ、わたしはわたしの未知なる領域を少なからず意識することになる。自己変革の萌芽、そう言えるかもしれない。

観念的なことを書いているようだが、それは兜子を読むためにとても大事なことだ。

平時、「観念的」という言い草は非難に使われるが、それは具象で語れることを抽象的に語ることを指し、〈観念〉自体は卑下されるものではなく、兜子の観念に向かう試みに、観念的であることは当たり前である。

〈音樂漂う〉の句に戻ると、ここには、侘び寂びではない、ぎざぎざした、内部を引っ掻くような表現がある。自己を追い詰めることを避けず、内部のややこしいところと向き合い、身を削るような音楽を生み出しているように思える。内なる異物のこすれ合う音が聞こえるようだ。

司馬遼太郎は、兜子のことを、こう書いている。
文藝としての傳統からいえば、およそ異なった科學成分のものを兜子は、押しこんで破裂したり感電したりするのもかまわずに。それを押しこんだ』。

  廣場に裂けた木鹽のまわりに鹽軋み

これも意味はわからないが、魅力的だ。〈廣場に裂けた木〉には強い吸引力がある。そこへ差して〈鹽のまわりに鹽軋み〉。このフレーズにとても魅かれる。どうすればこういうフレーズが生まれるのか。わたしは、このフレーズにうっとりし、〈廣場に裂けた木〉との組み合わせに摩訶不思議なところへ連れていかれる。どこへ連れて行かれているのかは、相変わらず分からないのだが。

兜子は、四十九歳を過ぎたころから烈しい鬱病にさいなまれる。

  大雷雨鬱王と會ふあさの夢 

五十六歳の春の朝、兜子は自宅近くの踏み切りで亡くなる。非業の死とも書かれるが、自死であるようだ。そういう人が、四十九歳の折り、「鬱王」と題された句群のなかに掲句を入れている。鬱王が目の前に現われ、作家を長年苦しめていたのだろう。造語〈鬱王〉といい、大雷雨といい、見事な一句である。

  盲母いま盲児を産(う)めり春の暮

初見のとき、これは俳句ではないと思った。しかし、先人から、この句は〈春の暮〉を描いているという説があると教えられ、衝撃を受けた。上五の季語をその下に説明するのは最悪だが、下五に据えた季語を、こういう風に描いているとしたら……。

抄出三十句のなかから、印象的な言葉の組み合わせを抜き出すと――、うすうすと人逝けり。脂肪なき桃。油でくびれた石。白く笑いだす鉄道員。花束もまれる。白さに病む鴎。すこしずつ死ぬ。瀕死の白鳥。心弱りのパセリ。狡きローマ。そらまめ色の埃。折り殺す。空鬱々。気儘鯉。荒宅……。

永田耕衣が、こんなことを書いている。
兜子は或るとき自作を示し、「コレでは手応えがウスい。どうしてもモウ一発何かを加えねばダメなのです」と、いかにも実践的に己を責めたのであった。カレの前衛的俳句の発端が、多くの句的要素で混み合った字余り作品で多々迫ってくるのは、その志の痛さで、悲愴なまでの実践の跡を証すものである

わたしの中にフックのかかる兜子のフレーズと、耕衣の言わんとするところの〈句的要素で混み合った字余りの〉に、共通性があるのかどうか分からないが、一つの言葉の直後に違和感のある言葉を接着させ、そのことが兜子独得の言語世界を作り出す。

ドラマや小説の作劇法として、〈どんでん返し〉というものがある。大方は、劇のラスト、ストーリー上の意外な裏切りを指すが、常々、わたしは、あらゆる創作物に、大・中・小さまざまなどんでん返しが存在し、その重層的な組み合わせが作品に変化と角度、深みを与えるものと考えている。

散文、韻文とて同じである。作品終盤の裏切り。一行の中の裏切り。最少単位の一語と一語の裏切り――。

〈歸り花鶴折るうちに折り殺す〉を例にとれば、〈折り殺す〉が一句のどんでん返しだが、この〈折り殺す〉というフレーズ自体にも、どんでん返しのような接着がある。〈折り〉の直後に〈殺す〉。短いフレーズのなかでの裏切りであり、この言葉の組み合わせが、一句の驚きを強め、読者は折り紙という極めて日本的な祈りのさなか、突如、奈落の底に落とされるような感覚を味わうことになる。

それは〈折り〉と〈殺す〉が隣接し、一語の直後で一語が裏切るという技法が、一句全体の狙いを細部に宿らせているのだ。

何故、どんでん返しが必要なのか。それは、どんでん返しが、読者のみならず、作者をも遠くに連れて行くエネルギーを生み出す技法だからだろう。 

兜子を読むことは、決して兜子のような作品を生み出すことには繫がらない。ただ、自分という人間の不可視の部分と向き合うことになるのかもしれない。伝統、前衛を問わず、表現に関わる人間には不可欠な営みを兜子は促す。

(了)

兜子三十句抄
※兜子の句は、旧かなと現代かな使いの両方が散見され、表記には迷いましたが、基本的には全集にしたがいました。

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