林田紀音夫全句集拾読 104
野口 裕
どうも、年譜の昭和三十七年現代俳句協会賞受賞が誤っている可能性が高いようだ。現代俳句協会が作成した現代俳句協会賞の受賞者一覧を見ると、 林田紀音夫の受賞は、昭和三十八年になっている。また、受賞者一覧による昭和三十七年の受賞者は、堀葦男だが、昭和三十七年未発表句に、
あるだけの椅子に人寄り祝いの夜(二六八頁)
という句があり、「葦男記念会」とある前書ともつじつまが合う。また、平井照敏編の『現代の俳句』(講談社学術文庫)にある、林田紀音夫の略歴も昭和三十八年現代俳句協会賞受賞としている。
人に資料を貸し出しているところなので、今手元にある資料で確認できるのはこれだけなのだが、年譜の方があやまっていると見た方がよさそうだ。福田基氏のあとがきも昭和三十七年受賞としている(四七五頁)が、これも間違いだろう。
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カーテンの壁に日ごと飢え映る
昭和三十八年、未発表句。壁は襞ではなかろうか。未発表句ゆえの書き損じか。
渋滞のこころを流れ冬くる運河
昭和三十八年、未発表句。この時期に、渋滞の句は珍しいのではないだろうか。後年の酸性雨と同様、その時期の新語を意識的に句に取り入れる姿勢はこの頃からあった。陸橋の句もこの頃からになる。
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2010-02-14
林田紀音夫全句集拾読 104 野口裕
Posted by wh at 0:06
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2 comments:
カーテンの壁に日ごと飢え映る
昭和三十八年、未発表句。壁は襞ではなかろうか。未発表句ゆえの書き損じか。」
私がここにコメントすると、「やらせ」とか「さくら」みたいになりそうなので控えていましたが・・(!)、えんえんたる読み通しにかける時間とその意志に敬意を表します。大阪(神戸)の読書会にも、みなさんご注目下さい。
で、しかしながら、この句の意味が私にはつかめないのです。「襞」にしても「壁」にしても。
「飢えが映る」という言い方は紀音夫らしい思いこみの強い言い方ですからまあきもちはわかりますが、「映る」というのはどこにどのような像をむすんでいるのか、壁も襞も、何かが「映る」というような質感ではないようなきがします。ポリエステルのぴかぴかのカーテンと考えることにも無理がありますから。
この句はだから、失敗作だと思いますが、
何を言いたくてこういうそじになったのでしょうね。(吟)
田辺聖子が若かりし頃、先輩に目指すべき文学のテーマを尋ねたところ、明日食う物がないことだと言われて、非常に違和感を持ったと、どこかに書いていました。時期的に、紀音夫がこの句を書いた頃ではないかと思います。
意地悪く言えば、昭和二十年代の貧困を象徴するものとしての「飢え」は、すでに我が身に内在するものではなく、物体に「映る」ことでしかない。それを、認識しなければならないという義務感だけが先走る。そんな状態だったのでしょう。
紀音夫の正直なところは、「飢え」をありありと書くわけには行かないことを承知した上で、なんとか書こうとしているところにあると思います。その正直さ故になんとか最後まで付き合おうか。私自身はそんな気分かもしれません。
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