2010-02-14

【週俳1月の俳句を読む】中山宙虫 馬が消えた日

【週俳1月の俳句を読む】
中山宙虫

馬が消えた日


馬小屋を丸太に戻す冬の雨  三木基史

家に車がやってくるまで、馬車があった。
馬車があればそれを曳く馬がいた。
馬がいて、牛がいて。
農家にとって牛馬は、働き手だった。
まだ、周辺の道路はどこも舗装などされていなくて、でこぼこ道だった。
そのでこぼこ道は、大きくえぐれて馬車の轍だらけだったのだ。
道路の真ん中はこんもり盛り上がっていた。
轍はまるで、レールのように馬車の車輪を導いてゆく。
冬。
その馬車には椎茸の原木にするためのクヌギの丸太が積まれていた。
馬はその原木を山の斜面から引き出して。
適当な長さに切られたクヌギを積まれた馬車を曳く。
馬は文句を言うことなく働いていた。
昭和30年代のことだ。
馬の立場は、車の登場であっという間に変わってしまった。
僕の家は、周辺の農家からみれば最後まで馬がいた家。
父は馬を連れて近くの農作業や山の仕事を手伝っていた。
馬に乗ることもあった。
父に抱きかかえられるように乗る。
その高さはちょっとした優越感を僕にもたらした。
しかし、その記憶も小学生の間。
いつだったのだろう?
忽然と馬が我が家から消えた。
馬がいなくなった日の記憶がない。
馬のいた馬小屋はぽっかりと空いて。
牛だけが残っていた。
馬の毛並みを整えたり。
餌をやったり。
時々あの優しい目と会話をしてみたり。
僕の想い出は、そんな触れ合いの記憶ばかり。
時代は確実に流れていった。
働く馬たちはもうどこにもいない。
人間を含めて生き物たちがたずさわっていた農業は、確実に機械化が進んだ。
父は軽自動車をでこぼこ道に走らせた。
馬車が作った轍に今度は自動車の車輪がとられる。
馬が消えた日。
我が家の農業は確実に変わっていったのだ。


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