2010-02-28

『俳句界』2010年3月号を読む さいばら天気

〔俳句総合誌を読む〕
写生という流行  『俳句界』2010年3月号を読む

さいばら天気



雑誌一般そうなのですが、最後まで読める記事が3本もあれば充分というところがあります。「3本なら立ち読みでいい」、あるいは「買うこともない」とおっしゃるかもしれませんが、そのへんは個人の判断なわけです。

特集は、正岡子規。NHK「坂の上の雲」の放映(昨年11月~12月)に間に合わせたかったところでしょうが…。

マブソン青眼・「写生説」再検証 p56-

子規の唱えた「写生」を、西欧・写実主義という「過渡的な流行」から「過剰な影響」を受けたその時代固有のアイデアと捉えます。また、蕪村には、子規が着目した「景気の句」はむしろ少数で、蕪村の本質は和漢混淆にあると説きます。併せて、子規の蕉風理解を疑問視。簡単にいえば、子規の評価を見直すべきとの提言です。

芭蕉の雅俗混交、蕪村の和漢混交、一茶の雅鄙混交を吟味すれば、俳味の真髄が「混交性」という美学にあると思えるのではないでしょうか。 (月並調を批判し近代俳句を改革した)子規の功績は偉大です。偉大だからこそ、われわれ現代俳人にとって、子規は「超えなければならない父」であります。写生唯一主義を超え、俳句の醍醐味である「取合せ」の精神を手掛かりに、「混交の美」を追求する俳論が待たれます。
簡単にいえば、〔子規〕〔写生〕といったスタート地点からして見直すべき、とも読めます。


復本一郎・『七草集』あれこれ p65-

若き日の子規の才華が遺憾無く発揮」された『七草集』(1888-1889に執筆)を紹介。俳句・短歌に仕事がフォーカスされる以前、ほうぼうへと興味・関心の手を伸ばそうとする子規の姿が垣間見られ、おもしろい記事でした。

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ピックアップ話題の新鋭 冨田拓也 インタビュアー栗林浩 p184-

よほどの人選や趣向がないかぎり俳人の「自分語り」など面白いはずがなく読めた代物ではないのですが、この記事はけっこう楽しく読みました。

第一句集を「今では少しペシミステックに偏りすぎている」と反省するなど、自己客観視が効いているせいでしょうか、作品論・文学論にほぼ徹底しているせいでしょうか。いわゆる師系・所属のない冨田氏ですから、ダレソレ先生にどうしたこうしたという、どうしようもない世間話が出てきません。ここ、美点です。

私の作品には、この世界におけるあらゆる存在やそれらを統べている絶対的な法則性といったものを捉えようとしたものが少なくありません」といった、大仰で、作者がこのように直截的・説明的に語らないほうがいい部分も、むしろ爽やかに読めてしまいまいした。


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