2010-02-07

商店街放浪記28 東京 赤坂通り中央会 〔前篇〕

商店街放浪記28
東京 赤坂通り中央会 〔前篇〕

小池康生


東京の八年ほどの生活で何が嬉しかったかと言えば、銀化の句会に出続けたことと、東京の日本蕎麦を食べたことだ。

なかでも、赤坂の蕎麦店<砂場>は、わたしの生涯でも、特筆すべき味である。
香り、のどごし、腰、色合い風味、店の雰囲気・・・・あぁ、東京にいるんだなぁと思えた。

赤坂の<砂場>へ行こう。
乃木坂のホテルで目覚めたときにそう思ったのだ。
宿泊先の乃木坂から赤坂通りに向かう。

<砂場>を教えてくれたのは、赤坂の芸者、吟子姐さんだ。
江戸六花街でも踊りの名手と聞こえた人である。
車の運転をすれば紅葉マークの必要な年齢だが、御座敷にでれば、そりゃ見事な踊りっぷり。日ごろとは別のお姿となり、その踊りには、素人のわたしたちにも、
『この人は違う…』
と感心も得心もさせたものだ。

砂場というだけで、吟子姐さんを思い出す。

ここまで来たら、吟子姐さんに連絡しなければ人の道に外れるだろうか。
でもなぁ、姐さんの体調はいかがなものだろうか。
会えば、気を遣わすことになるし。
しかし、やっぱり、顔を見て、話がしたいなぁ。
どうしたもんかねぇ。

乃木坂の坂を下り、赤坂通りに入ると、ビジネスホテルマロウドインが見える。
ここは、一泊6千円程度で泊まれる。東京のど真ん中でこの値段は驚きである。乃木坂の手ごろなホテルに二泊したが、ここはさらに安い。ざるそば数杯分の節約ができたはずだ。あー、ずるずると後悔する。

ホテルの前を通過し、お姐さんの家に向かう。
なんだが、落語の人情噺の登場人物になった気分。
これもお姐さんのキャラがそうさせる。

頭の中にお姐さんの家が浮かびあがる。その前にいるわたしが見える。
突然チャイムを鳴らすと、扉が開き、お姐さんが顔を出す、すこし後にのけぞり、
「なに?あんた、大阪じゃなかったの?」

目ん玉と口をおっぴろげて、びっくりしたような顔をして、それから大声で笑い、こちらの肩をぽーんと叩くのである。
「よく来たわね。ま、上がんなさいよ」
そんな会話が想像できる。

どうしたもんかねぇ。
訪ねてみようか。
顔見て挨拶するだけでいいじゃないか。
近頃は、なんでもかでも電話電話。
昔は、いきなり訪ねて、顔をみて、言葉交わしてご機嫌をうかがうのが常識だった。それが人の道である。訪ねよう。そうしよう。
赤坂通りを逸れて、お姐さんの家に向かう。

この角を曲がり、あの角を曲がり・・・覚えている。覚えている。長屋じゃないが、こぢんまりした一軒家が軒を連ねるあたり・・・ここだ。

あー、ここ。ここなんだ。
しかし、表札がない。
カーテンもない。人の住んでいる気配がない・・・。

・・・・・・・。

そうか、そうだった。
引っ越しだ。
住みこみのお手伝いさんが辞めた。着物の着付けを手伝う人だった。
あの人が辞めたあと、近所のマンションに引っ越したのだ。
そのマンションにもわたしは一度行っている。ボケてきたのかもしれない。
しかしなぁ、マンションはなにか訪ねにくい。
それにマンションの場所は覚えてないなぁ。
都会なんてマンションだらけだ。たどりつく自信もない。

まずは、蕎麦だ。
それから考えよう。

通りに戻る。
赤坂通りは、<赤坂通り中央会>という名の商店街なのだ。
ホームページを見ると、<(株)東京放送ホールディングス>も加盟店。
つまりTBSも商店街の会員なのだ。

この商店街、お姐さんにいろいろ教えてもらった。
お姐さんのパーティの台本を書いたことがきっかけで、何かと江戸の芸能や商店街を教えていただき、この界隈のお店へも連れて行ってもらった。

<一福>の料理が素晴らしかった。
家庭料理のようで、レベルの高い日本料理。
なんとも上品な雰囲気で、わたしには、それが赤坂の一つの印象になった。
<砂場>といい、この店といい、空気感がある。
昔ながらの上品な東京人が、家族ぐるみでおいしいものを作っている。そんな感じがした。お姐さんを通じて、赤坂というコミュニティが見えてくる感じだった。

赤坂=高級イメージはその通りだが、都会の中の“山の手の空気”を感じたものだ。外国人に浸食される現実もある一面、昔ながらの江戸の空気が漂い、外部の者をも気持ちよくさせてくれる。
姐さんがいるから気持ちよさを味わえるのだろうが。

<喫茶パンジー>も教えてもらった。
「ここに来たら、のり巻きトーストを注文しなきゃいけないの」
トーストに海苔が巻いてあるのである。これが赤坂である。
老舗なのだ。店の空気が違う。

赤坂には五つの商店街があるが、この赤坂通りが最も昔ながらの空気を残しているような気がする。昔の東京を知らない大阪人が言うのだから、いい加減なものであるが。

しかし、赤坂見附の近く、坂に並行するように三段重ねになる<一ツ木通り><みすじ通り><エスプラナード商店街>とは、ちと違う空気であることは確かだ。

砂場に行く。
まだ早い。準備中だ。しかし、すでに黒塗りの車。
この店の前には始終黒塗りの車が止まっている。永田町が近いからである。
「ここはね、いつも混んでるから2時過ぎたぐらいがいいのよ」
そう教えられたが、今日は、早めに攻めてみたが、早すぎた。

砂場に初めて連れて行ってもらった時、店に入ると、店の電話が鳴っていた。
店の人は忙しくしていて、電話を取れない。
姐さんは、当たり前のようにその電話を取った。しかも、
「もしもし、砂場でございます」
なんて、店の人のように応対している。
赤坂中が自分の家のようだ。
電話の主と知り合いらしく、話が弾んでいる。
わたしはお店の人に、小上がりに案内される。

姐さんは電話口で、相手と話が弾んでいる。ひとしきりしゃべり、店の人に受話器を渡した。

それから姐さんは、小上がりにやってきて、あさりや、出し巻きとビールを注文する。
そばの前に一杯。しかも、一応は・・・いや一応なんていっちゃ、失礼である。
赤坂で鳴らした芸者さんである。その人が着物姿で、前に居て、蕎麦屋で、そばの前に一杯である。

なんて贅沢なのだ。
姐さんが言う。今の電話の主はカメラマンの篠山紀信だったと。
たまたま電話をとった姐さんの声に聞き覚えがあるらしく
「吟子ちゃんだろ?」
と向こうに言い当てられ、話が弾んだらしい。

昔、海外の雑誌のグラビアを篠山紀信に撮ってもらったらしい。
なんという雑誌だったか、うかがったのだが、忘れてしまった。

偶然取った電話の相手が有名なカメラマンで、しかもお姐さんの知り合い。
自宅ではなく、たまたま訪れた蕎麦屋の電話で、名前を言い当てられているのだから驚きである。

赤坂通りを歩くと、お姐さんのエピソードを色々思い出す。
やっぱり電話しようか。いや、歩き倒してからにしよう。

赤坂駅に潜り、コインロッカーを探す。
荷物を預けてから、歩きたい。
商店街を歩き倒してやろうというエネルギーが沸々と湧いてくる。
調子が出てきた。体が目覚めてきたのだろう。これからだ。

コインロッカーを見つける。
なんかヘンだ。赤坂サカスの前だからだろうか。コインロッカーが、普通とは、ちと違う。
鍵がない。コインの投入口もない。
こんなことはもう常識なのだろうか。誰もが知っていることだろうか。
わたしだけが原始人のように遅れているのだろうか。
鍵もコインの投入口もないコインロッカー、さて、どう使うのだろう。
                       
行かぬ道あまりに多し春の国  三橋敏雄

                             (続く)

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