2010-02-21

商店街放浪記29 東京 赤坂通り中央会 〔後篇〕

商店街放浪記28
東京 赤坂通り中央会 〔後篇〕

小池康生


東京メトロ<赤坂駅>のロッカーには鍵がない。
正確に言うと、鍵のある従来のものと、鍵のないロッカーがあった。

鍵がないというのも、正確な言い方ではない。鍵がかかるのだから、鍵はある。
けれど、鍵はないのだ。つまり暗号式で、鍵を閉めると、鍵番号の印字された紙が出てくる。この紙切れが鍵代わりである。

従来の金属製の鍵だと、
「誰かが合鍵を作ってたら、アウトだよなぁ」
と、ロッカーを使う度にそういうことを考えた。
確か安部譲二の小説にそういう犯罪者を扱った作品があったのだ。

このキーレスのロッカーは、よくできたシステムだ。
たぶん、同じBOXでも鍵番号は利用するたびに変更するのだろう。
些細なことだが、ロッカーの進化を喜びながら、荷物を預け、地上に出る。

とりあえず、目の前のサカスへ行くが、ショッピングモールというものにあまり興味がないのだ。できたての時、話の種に行くには行くが、それだけ。ほとんど話の種にも使わない。今回も一応歩くだけ。店にはあまり魅かれない。トイレを借りたので、感謝はしている。美しいトイレは、それだけで世のため人のためになる。

次に、見附方面に出て、赤坂みすじ通りを三本ともくまなく歩く。

三本の商店街のなかで最も印象に残ったのは、<浅田>という料亭であった。佇まいが違う。初めて見た店で、格式を感じるが、過去の遺物ではなく、いま流行っているというオーラを出していた。前を歩いただけだけれど、この店だけ特別な空気を感じた。

さて次にどこを歩くか。
もう一度、赤坂通りを歩こう。
赤坂通りは、ざっくり言えば、赤坂サカスと六本木ミッドタウンを繋ぐ道である。赤坂と六本木は近いのだ。

この道を行きながら、適当に横道にそれるのが楽しい。
特に坂道に面したところが面白い。
丘から縦横に伸びる坂をうろうろしていると方角がわからなくなる。
そんな時、サカスとミッドタウンはいい目印になる。
まさにランドマークである。これで常に自分の位置を確かめながら、歩き倒せる。

道を逸れるなら、まずは氷川神社がいい。都会のなかの森。生き馬の目を抜く都会の喧騒のすぐそばにこれほど閑静な神社があることが嬉しい。

この界隈は、独特の上品さがある。
知人がこの近くに事務所を構えていたのだが、こういう場所で、古くてしかし今も豪華と感じられるマンションで仕事のできることがなんとも羨ましかった。

氷川神社にお参りし、辺りを散策し、それから坂を下り、<砂場>に辿りつくというのは、なんとも気が利いている。
今回はわざとそういうコースをたどり、店に入った。

「いらっしゃいませ」
11時半頃だったが、テーブルはすべて埋まり、小上がりに案内される。
今日は呑まない。午後から打ち合わせがあるのだから。
メニューを出される。
色々と迷う。大盛りのざるそばを注文する。

初めてこの店に来た時、<ざるそば>と<もりそば>の違いのなんたるかに気付いた。
大阪に<もりそば>というのはない。
海苔がのっているかどうかの違いなのだろうが、その海苔のありなしに区別をつけ、わざわざメニューに記す意味がよく分からなかったのだが、初めて<砂場>に来た時、つくづく分かったーーー気になった。

香りだ。
海苔の香りが要るかどうかだ。
それが、分かるのはここの蕎麦であり、ここの海苔である。
つまり、風味のない安物の海苔を使っている店では、もりそばもざるそばも大して違いがない。色合いのアクセントとして、黒いものが載っているなぁと感じる程度のことだ。

本意本情は、香りだ。
香りのいい海苔がのると、その香りに感動しつつ、
「邪魔かもしれない」
と思うのだ。

逆にいえば、ほのかだがよろしき風味のそばを食べながら、
「海苔に邪魔されたくない。蕎麦の風味だけを味わいたい」
と考えるのだ。

さらには、蕎麦の風味を味わった上で、海苔がプラスされるバージョンも楽しみたいと考える。

だから、この世に<もりそば>と<ざるそば>があるのだと、わたしは勝手に解釈した。そういうことを考えさせる蕎麦と海苔が<砂場>にはあるのだ。

その蕎麦をすする。
大阪では、ズリッと音を立てにくいが、江戸なら遠慮はいらない。
音を立て素早く啜る。
そこに風味が立つ。
たぶん、作る側は、そうやって食べるものとして、蕎麦を打っているのだろうから、そうやって食べないと、打ち手の提供したい味が受け取れないのだ。ホンマカイナ。

ズリッズリッ、シュツシュツズリッズリッと吸い込む。
あぁ、東京だ。東京が香る。

帰り際、
「ありがとう存じます」
と送られる。
「ありがとう」の後に「存じます」だ。参ったか。たいしたもんだよカエルのションベン。見上げたもんだよ、屋根屋のふんどしときたもんだ。なんのこっちゃろ。

砂場を出て、やっと決心が固まる。あぁ、やっぱりぎん子姐さんに電話しなきゃ。不義理はいけない。(前回吟子さんと書いたが、ぎん子さんだ。エライしくじりをしてしまった。内緒ナイショ)

電話を入れる。
「もしもし・・・」
「あーら、えっ?小池さん?」
「小池でございます」
「今どこ?来てんの、こっちに?」
「はい。お時間があればお茶でもどうですか」
「今ね、サカスの郵便局にいるのよ。ちょっと待って。近く?」
「はい」
「じゃ、サカスの前の石の椅子に座ってて、すぐに行くから」

サカスに郵便局があったのか。観光地かと思っていたら、生活者の利用する場所でもあったのだ。町内の人だなぁと感じる。
サカスに向かう。サカスに来るとトイレに行きたくなる。だから、また行く。
きれいなトイレは世のため私のためだ。

お姐さんと会い、近所のカフェでコーヒーを飲む。
「目の手術をしたとこなの。手術をすると吹き出物がいっぱいでてくるの。
 ね、前より凄いでしょ?」
「いえ・・・ぜんぜん」
 申し訳ないが、人生の先輩の肌をじろじろ観察したことはない。今も女性として、人目を気にしているところが凄い。

「今もお座敷に出られるんですか?」
「ぜんぜん。もう体が、無理。ひとの踊り見て、いいの悪いの勝手なこと言うだけ」
「あっ、思い出した。赤坂踊りのパンレット。返す返すといいながら、まだ送ってません」
「いい。持ってて。あれは持っててくれていいの」
ぎん子さんは、花街という文化を教えようとしてくれているのだ。借りたパンフも一冊や二冊ではない。

珈琲を飲みながら、それから赤坂の料亭がどうなっているか、検番が今は賃貸に変わったこと、料亭で閉店した店、流行っている料亭の話など聞かせてくれる。
「みすじの<浅田>が頑張っているのよ」
へーっ、さっき通ったあの店だ。

ぎん子さんのパーティや会の世話をボランティアでしながら、今まで、花柳界に関する色々な場所に案内してもらって、芸も見せていただいたが、それはここに書ききれない。

ただ、ぎん子さんになんども話を聞き、赤坂のイメージがずいぶん変わった。
結果、街というのは、一つの街の色々な時代の歴史が重なり重層的に塗りこめられているものだとつくづく感じいった。

赤坂の飲み屋やホテルや料理屋、居酒屋、BARは知られていても、日本の芸事を身に付けた芸者さんの存在や、その文化の花咲く料亭文化は一般人にはほとんど知る由がない。
ニュース番組で、黒塗りの車が乗り付ける料亭の門や黒壁が映されるだけで、なにかダーティな政治の舞台というイメージばかりが膨らまされ、しかし、その料亭が実際どこにあるのかも知られていない。

ぎん子さんは、一部のひとたちにだけしか知られず、知っている人たちが高齢化し、廃れていく文化を憂いている。

相槌をうつ暇もなく、話が続く。
今までにも聞いたし、今日も聞いた。
これまで教えてもらったことをどう生かせばいいのやら。
とにかく、まだまだ話はうかがわねばならない。

時間だ。打ち合わせに行く。
赤坂駅まで送ってくださる。
「次はどこ行くの?」
一瞬考えていると、鞄からメトロの路線図を取り出し、
「これ、持ってないの?」
指を舐め、二枚に重なっているらしい一枚を剥がしてくれる。
「持ってって。これ持ってないとだめよ」

いや、東京のことはよく知っているのだ。
ただ、話を聞きながら色々なことを考えていたから返事に淀んだだけなのだが。
でも、ありがたい。
礼を言い、ロッカーに向かう。
「約束、約束よ。なにか作ろうね。また夢ひとつね」

ぎん子さんは昔から雑誌を作りたがっている。
しかし、簡単なことではない。このご時世、一層大変なことだ。生半可な返事ができない。話は話として、相槌を打てばいいものを・・・吾ながら、融通がきかない自分に困る。会釈を繰り返し、去る。

ロッカーだ。ポケットを探る。
「・・・鍵は?・・・あっ、鍵のないロッカーだ。紙だ、あの紙、捨ててないだろうな・・・捨てたら終わりだな」
不安が一瞬頭をよぎり、他の領収書と一緒にポケットからでてくる。

モニター画面は、番号を打ち込めと指示する。
ロッカーの番号を打ち込むが、やり直しの指示がでる。
また番号を入れるが、やり直しの指示がでる。
三度同じことを繰り返し、自分の間違いに気づく。
紙きれに書いてある鍵番号を打ち込むのだ。
ロッカーの番号を打ち込むのではない。

やり直し、開いた。
こういう最新のものを見る度、お年寄りには使えないだろうと思うし、若人には便利な代物だなと思う。
自分は便利だとも思うが、同時に年配の人が困り果てる姿をリアルに想像してしまう。ロッカーだけでなく、券売機ひとつとっても同じことを思う。
わたしは若く見られるが若くはないので、年配の人の感覚がリアルに分かるし、自分の立ち位置を感じる。

また、赤坂を歩かねば。なにもできないかもしれないのだが、ぎん子姐さんの話を聞かねば。赤坂に来れば、その時はまたきっと連絡をしたものかどうか、何度も迷うのだろう。


春浅き耳洗ふとき音聴こゆ    林 桂


                             (以上)

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