2010-02-07

〔俳句つながり〕信頼のトラピスト系 土肥あき子

〔俳句つながり〕
雪我狂流→村田篠→茅根知子→仁平勝→細谷喨々→中西夕紀→岩淵喜代子→麻里伊→ふけとしこ→榎本享→対中いずみ→川島葵→境野大波→菊田一平→山田真砂年→土肥あき子→今井肖子


信頼のトラピスト系~今井肖子さんのこと

土肥あき子


今井肖子さんとは、2005年春に総合誌が企画する超結社句会でご一緒したのが初対面で、現在は「新増殖する俳句歳時記」のメンバーとしてお付き合いが続いている。これは清水哲男さんが10年を満期に続けていた「増殖する俳句歳時記」が2006年で終了するにあたって、各曜日持ち回りで鑑賞してもう10年続けてみようという企画がたったとき、身の回りの詩人や俳人だけでは物足りず、本格的なホトトギス作家に参加してもらえないか、という熱い要望にあって、断られるのを覚悟でお願いしたありがたい結果である。

伝統俳句協会HPのプロフィールでは「1954年、神奈川生まれ。自分らしい俳句を求めて修行中です。私立中高で数学講師をしていますが、仕事とはまた違った感動や人との出会いがあり、俳句を始めて良かったと思っています。第十四回日本伝統俳句協会賞新人賞受賞。第十六回日本伝統俳句協会賞受賞。」と順風満帆。祖母つる女、母千鶴子という鉄板の俳句血統であるから、さぞ幼少の頃から定型に親しんで…と思っていたが、俳句を始めたのは40歳を過ぎてからという。

個人的な意見ではあるが、俳句はどんなに若い頃から始めても、やはり大人の文学であると思っている。ひとつの対象に、10や20の形容詞を見つけることができなければ到底共感も感動も、オリジナリティーも生み出すことはできないだろう。自分の語り口を確立させたうえで、もっとも適切な表現様式を見つけられることが文芸との幸せな出会いなのだと思う。その点、肖子さんは充分考えられたのち、もしかしたら身近にありすぎて、ずっと避けていたのかもしれない俳句の道に足を踏み入れたのだから、覚悟の選択といっても間違いないだろう。俳句を始めると決めたとき、母君である今井千鶴子氏は「虚子編歳時記と虚子の『五百句』だけを読むこと」と課したそうである。磐石の基礎体力を作り続けた1年ほどしたある日、「そろそろ吟行に…」と許可がおりたのだというから、これほどはっきりしたスタートラインを持つ俳人も少ないかと思う。そして、この話しを聞いたとき、季語も分からず、歳時記も持たず、ひとまず五七五と言葉を並べたことを俳句を始めた年などと指折っている我が身の覚束なさに赤面したものだ。

それにしても、10年を越す経験にも関わらず、多くのホトトギス作家がそうであるように肖子さんはまだ句集を持たない(「角川21世紀俳句叢書」に名前があるので、少なくとも21世紀中には刊行の予定だと思うが……)。
そこで、第十六回日本伝統俳句協会賞受賞作と、野分会合同句集に掲載された俳句それぞれ30句から作品を紹介したい。
「花一日(ひとひ)」と題された日本伝統俳句協会賞受賞作は、桜だけを見つめ30句を詠んだ力作である。桜はむずかしい、というセオリーに真っ向から挑戦し、それを成功させているのだから、実力とともに相当な度胸も持ち合わせている。

 昨夜の雨花の匂ひのまた新た
 花の影花に映りて揺るヽかな
 花の風花より生れ花に消え


などの端正な作品のなかで、時折

 月光の青満開の花の紅
 満開の桜の色の褪せしとも

に見られる独特なアプローチに目をひく。わけても、

 その幹に溜めし力がすべて花

の断定の迫力は、今までの桜句にないものと確信する。そういえば、詩人が中心の余白句会の兼題「狸」で出された肖子句の

 紙芝居狸は今日も不幸せ

という、胸騒ぎを覚えさせる作品と似通う凄みがある。
一方、「野分会合同句集」に掲載されている30句は、春から冬まで移り変わる季節をゆっくりと詠んでいる。

 東京に野原の匂ひ三月菜
 てのひらをこぼれてゆきし子猫かな

に見られる健やかな写生。

 芽柳や今日のあなたはよく笑ふ
 きのふまで筍だつたかもしれぬ
 森に棲めば森の言葉で寒鴉


これらの作品には、協会賞受賞作でほの見えた迫力が穏やかな力となって、肖子句の特徴として自在に充溢してきたように思える。
そして、伝統俳句協会賞、野分会合同句集に共通するのは、どちらもひとかたまりの連作として大いなる景を保っていることである。これは肖子さんの数学教師という一面が、組み合わせや整列の美を意識させているのかもしれない。
と思うと、心待ちにする第一句集も、もしかしたら1冊まるごと書き下ろし350句、なんて偉業を楽々とやってのけてしまうかも、と期待はふくらむばかりである。

ところで、タイトルの「信頼のトラピスト系」とは、ベルギービールのことである。数年前に肖子さんが出かけたベルギー旅行で描かれたというイラストに付けられていた言葉のひとつだ。1週間の滞在で徹底的にベルギービールを飲みつくそうという雄大かつ羨望の旅で、毎日スーパーに出かけてはビールを買い込んだという。見せていただいたビール瓶の林立する写真はみごとなもので、20本を超えたところで数えることを諦めた。それらをさらさらっとイラストに仕立て、それぞれの特徴をコメントしているなかで、「JOHN MARTIN'S」というビールの脇に「信頼のトラビスト系」と書かれている。要はトラピスト系のビールは間違いなく旨い、という結論に達したのである。実際に数十本を飲み比べたうえで引き出した正真正銘、体当たりの事実。
このゆるぎなさこそ、肖子さんの俳句や文章、会話の随所に感じられる信頼や安心感に通じているのだなぁと、あらためて思いいたり、タイトルにした次第である。

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