2010-02-14

【俳句関連書を読む】西村睦子『「正月」のない歳時記』 ……上田信治

【俳句関連書を読む】
ひとりのおっさんが好きに決めた部分
西村睦子『「正月」のない歳時記』

……上田信治



ちょっと以前、古典文法に照らして、俳句における慣用表現を文法的に間違っていると、あげつらうような議論がありました。

そういうとき、慣用表現の攻撃派も擁護派も、学校で使うような古語辞典の記述をもとに、自説を展開されるので、「そんな中高レベルの話じゃなくて、その辞書作った人呼んできてよ」と思ったものです。



歳時記と季語を巡る議論についても、そんなもん「作った人呼んできてよ」ーーと、著者が思われたかどうかわかりませんが、西村睦子著『「正月」のない歳時記』は、副題に「虚子が作った近代季語の枠組み」とあるように、「季語」「歳時記」を論じるにあたって、まず「作った人=虚子」を呼んで、その考えをただそうという、たいへんラディカルな一書です。



「季語」および「歳時記」は、海底にプランクトンの死骸がふりつもるように「歴史の中でじょじょに蓄積された」というイメージ(それを「伝統」といってもいいでしょう)に、その正統性を負っていると思われます。

多くの歳時記編者が、「季語」「歳時記」について「幾時代もかけて日本人が総がかりではぐくみ育ててきたもの」(河出文庫『新歳時記』1989)「日本という風土の自然現象と生活と美意識とを長い歳月のあいだに選択し、分類し、そして集成、体系づけた」(ハルキ文庫『現代俳句歳時記』1997)「日本人の生活感情の総索引」(角川書店『角川俳句大歳時記』2006)「日本文化のエッセンス」(角川文庫『俳句歳時記第四版』2007)と、書いていることを見ても、それは、そうはずれてはいないでしょう。

しかし、はたして本当に、「歳時記」の総体というものは、「編著者」イコール「日本文化」のようなかたちで成立したものなのか。

調べてみたら……やっぱりな事実が現れます。



著者は、近代的歳時記の成立を明治後半とし、そこから昭和初期に至る代表的な歳時記の収録語彙の変遷を、季語単位で調べてゆきます。

すると、たとえば、こういうことが分かる。

「障子洗ふ」「障子貼る」
江戸期は嘉永1「季寄新題集」に「障子出し」があるのみで、例句なし。
明41年12月刊柏浦編[新撰歳事記] 「障子洗ふ」(障子干す・障子張る) 例句なし
明43[明治新題句集] 冬に例句2。
  張りかへし窓の障子や機織場  三川
  海晴れて船の障子を貼る日かな 四沢
他の例句集には例句なし
[ホトトギス雑詠]大正4年に登場。以来、昭和9年までに「障子張」(「障子洗ふ」ふくむ)の項に224句。
昭8 改造社版「俳諧歳時記」 例句1
昭9 虚子編「新歳時記」 「障子洗ふ」例句5 「障子貼る」 例句7
冬の部首題に「障子」加わる。

(同書p.322より抜粋)

つまり、それまで、ほとんど使われていなかった季語が、ある時「ホトトギス」雑詠に入選することで、爆発的に流行し、季語として定着するということが起こる。

加えて「障子」の冬への立項にいたっては(障子を貼るのが秋なら、障子は冬でいいんじゃないか、ということなのでしょうか)、もう「新歳時記」を一人で書いた虚子の恣意によるものだとしか、言いようがない。

そして現在「障子貼る」「障子洗ふ」「障子」が立項されていない歳時記というのは、おそらくないか、よほどの例外に属する(いい句がたくさん出来ちゃってますからね)。



著者は、500あまりの季語について検討を加え、次のようなことを指摘していきます。

・現在流通する「歳時記」の収録季語のかなりの部分は、虚子の雑誌運営上の戦略と、恣意によって定められた。

・大正8年のホトトギス付録「季寄せ」から、唐突かつ強引に太陽暦に移行したため、多くの矛盾や不具合が生じている。

・「薄氷」を春の氷に限定したのは、あきらかに虚子の一存(和歌では冬春両説、連歌では冬十月とされていた)。

・「虹」「夕焼」「瀧」を夏の題にしたのは、もちろん虚子。

・「春の泥」→「春泥」「春の炬燵」→「春炬燵」など「の」を縮めて四音五音にして、使いやすくするのは虚子好み。ほかにも「春眠」「春潮」など「シュン」大流行。

他にも、多くの季語についてのトピックがあり、読み物としても実に面白い。季語と歳時記を考えるにあたっての、必読書と言っていいでしょう。一読をお勧めします。

虚子の季題に対する考え方はまことに合理的で自由閥達であり、恣意的に無季の句も選んでいるし自らも作句しており、季題に縛られていない。時代や社会の変化に対応して古臭い実際に使われない題はバッサリ捨て去り、"実際に身の回りにある題材を見たままに客観写生して詠みなさい" と奨め、結果的にはこの花島諷詠・客観写生路線が開拓した多くの題の中から、季題と認めた句を選んで雑詠欄に載せた。さらにその中から独断で選択を行い、歳時記を編んだのである。

季題とするかどうかは虚子の胸三寸にあった。虚子編序文の結びの言葉、《作句本位の最も便利な歳時記を作るのを目的としたものである。》ーーまさにその通りである。作句者である誌友のニーズを最優先し、"詠みたい題、詠める題=使える題" を集めたそのことが結果的には季語を再編し近代における季語の枠組みを作り、現在我々が使っている季語のベースを作り、客観写生と相挨って俳句の大衆化を一気に推し進めたことが分かった。

(同書p.455-456)



ところで昨年12月刊の「俳句」1月号から、片山由美子「伝えたい季語 変化する歳時記」という連載が始まっていて、本書の刊行(昨年12月)とまさに同時スタートで、歳時記に見る季語の変遷という、同じテーマを取り扱っています。

一見、合理的に思える現実に即した歳時記という発想は、季語が負ってきた季節感を奪うものであり、季語の働きを否定するものである。(片山「歳時記を考える」2009「俳句年鑑」角川書店)

と書くように、「プロ歳時記(歳時記優先主義)」的立場をとる片山氏が、季語・歳時記の変遷をたどってゆけば突き当たるにちがいない「ひとりのおっさんが、好きに決めた」部分を、どう呑み込んでいくのか、興味深いです。

とりあえず連載2回目で、片山氏は「薄氷」について、ある意味より伝統的と言える「残る氷」や「春の氷」を、虚子が「薄氷」の傍題にしてしまったことに驚きつつ、「虚子の意図は「うすらい」という美しい言葉を前面に出すことにあったのではないか」(「俳句」2月号)と、しています。

プロ歳時記≒プロ美意識である、ということに、なっていくのかもしれません。



もともと自分としては「歳時記」「季語」について「作品に即して、ゆるく」と考えていましたが、それって意外と、虚子の考えに近かったかな、と。



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