2010-03-28

オーロラ吟行 第1日 フェアバンクス行最終便〔後篇〕猫髭

オーロラ吟行
第1日 フェアバンクス行最終便 〔後篇 ……猫髭 (文・写真*)

承前

シアトルは坂の多い港町で、わたくしが訪れた町ではサンフランシスコに次いで坂が多い。鴎が飛び交い、彼方にスポーツ・ドームが見える。寒さはそれほどでもない。東京と変わらない気温だろう。


レストランの名前は「エリオット・オイスター・バー」。全米でベスト・スリーに入る牡蠣料理専門レストランとある。丁度11:00でランチ開店のドアを開けたところだったので、ラッキー♪と入る。入口に氷の上に敷き詰めた牡蠣殼付の剥いた牡蠣が種類ごとに並べられ、壁にはシェクスピアはじめ、牡蠣を称賛する古今のセリフが書かれている。ディズニーのアニメ映画『不思議の国のアリス』で、セイウチにみんな食べられてしまう牡蠣の子ども達のように、可愛らしい牡蠣がずらりと並ぶ様は壮観。

前菜にカラマリ(小烏賊のフライで、これはどこで食べてもおいしい)、スープは牡蠣シチューを皿で、メインで生牡蠣をダースで頼んだ。アメリカの港町で外れが無いのはクラム・チャウダーで、殊に冬は暖まっておいしいが、この店は牡蠣シチューという初めて見るメニューがあったのでカップではなくボウルで頼んだ。姫たちが白ワインがいいというので、白ワインはシャブリと生牡蠣の相性がいいと言われるが、わたくしは苦手で、ウェイトレスに聞くと、だったら、ピノ・グリジオ種の白は合うというので任せる。たまたま仕事でドイツを回って黒猫ラベルのモーゼルワイン「シュバルツェ・カッツ」に最初に馴染んだせいか、シャルドネ種は酸味が強過ぎて海鮮料理には合わないと思っていたが、ウェイトレスの言うように、この白ワインは見事に合った(後で調べたらピノ・グリジオはドイツを代表する品種だった。道理で)。特筆すべきは、ここの牡蠣と、ちょっとピンクがかったシャンパン・シャーベットの取り合わせが絶妙だったこと。実に牡蠣と合う。もう、牡蠣には絶対シャンパン・シャーベット♪姫たちもぺこちゃん顔になってぺろりぺろりである。


牡蠣シチューがまた実に濃厚で、香辛料で牡蠣を包んで火を入れているのだろうか、かすかにスパイシーで、クリーミーなシチューと絶妙のハーモニー、これは大人の味と言っていいだろう。カラマリも柔かくて期待に違わず。

パンもバターもおいしかった。アメリカは大味だと言われるが、常食しているものは皆おいしい。日本のパンは菓子パンばかりで、しっかりとした粉の味がするパンらしいパンは滅多に食べられない。小麦粉が違うのだろうか。こちらではフラワーと言うのだが、パンやクッキーを焼くと実に香ばしい。オーブンがでかいのも味をおいしくしているのだろう。七面鳥を丸ごとローストするので、プロ用かと思うほどオーブンは大きくて奥行きがある。


出る時は満員だったから、グッドタイミングで入ったわけだ。
お腹がくちくなると眠くなるのは人間の性で、約束の時間までまだ間があるので、どこか休憩できるところを探そうと、海から大学通りまで上がってゆくと、満開の桜が植えられた階段があり、それが大学通りを海へと上り下りする道だった。桜をバックにお祖父ちゃんを中心に息子娘孫たちが肩を組んで記念写真を撮っていた。家族の記念写真は写真の原点でもある。小津安二郎や木下恵介の映画には記念写真のシーンが能く出て来る。

三世の移民つどへる桜かな 猫髭

階段を上がりきると、SAM:シアトル美術館があった。ロビーが格好の休憩所。天上には車が何台も吊り下げられ、ジャンプして一回転して着地するまでイリュミネーションで彩られている。アメリカはヨーロッパと違って歴史が浅いので、こういうポップ・アートが似合う建物が多い。早速姫たちはこっくりさん。


美術館のロビーは二階になるのだが、下に見える真向かいの建物はこれまたストリップ劇場である。覗きはただよとある。見ていると10分に一回くらい人の出入りがある。20代から30代だろうか。店の名前は「Lusty Lady」。訳すと「むらむら姐ちゃん」。マンハッタンのミュージカルの切符売場のど真ん前にも「Runaway69」(訳すと「暴走二つ巴」)というストリップ劇場があったが、こちらは9.11同時多発テロ以降、グラウンド・ゼロからも近いので不謹慎ということだろう、無くなった。

SAMを出て、隣接するギフト・ショップをひやかしてから(マンハッタンのMOMAやもそうだが、アーチストたちがデザインした装飾品やバッグなどクールなものが並ぶ)、約束のスタインブルックパークでカム君と落ち合う。

青年に母のおもざし桜咲く 薫子

ダウンタウンの繁華街へと坂道を上り、シアトルで一番高くていいものが置いてある店へ連れて行ってくれると言う。文房具や設計用具を置いてある店だった。どれがシアトルで一番高くていいものなんだと聞くと、自分は建築学科に属していて、ここは教わっている教授が経営している店で、シアトルでも売れっ子の建築家なので、いい品物が多いと言う。わしらにシアトルで一番高くていい分度器見せてどうすんのよ。

それもそうですね、と、Tシャツで面白い店はないかい、お土産を頼まれてるんでね、と言うと、繁華街の服屋さんへ案内してくれた。スニーカーがカラフルでクールだったが、Tシャツは子猫がぶらさがって、あたちもう限界よとロゴが入っているのが可愛らしかったが、サイズがでか過ぎて孫にはぶかぶか。以前、フェニックスへ仕事で行った時、リゾート地のモールに「レッドペッパー」とかいうパンクロック御用達のTシャツ屋があり、中でも、白いトレーナーが血まみれで、そこに「Don’t worry. This is not my blood.(心配すんな。俺の血じゃねえから)」と書いてあるデザインが面白かったが、シアトルはそういう飛んでるやつはないらしい。赤い紙コップがでっかくプリントしてある奴が流行りだそうで、パーティではみんな着て来るという。なんか一昔前のウォーホールのリバイバルみたいだねと言うと、今シアトルではビンテージのTシャツを100$以上出して買って着るのが流行ってるんですよと言う。アロハシャツやジーパンのビンテージは聞いたことがあるが、Tシャツに20$以上出す気は無いなあ。姫君たちはお土産ではなく自分たちのお気に入りのTシャツを買ったとか。「子供より親が大事、と思いたい。」(太宰治「桜桃」)である。

スタバの馬鹿でかいコーヒーをがぼがぼ飲んで、濃厚な牡蠣シチューを食ったせいか胸焼がするので、何か軽い飲物を置いてある店はないかいと聞くと、ワシントン大学の学生街にチャイの美味しい店があるというので、そこへ行こうとバスへ乗る。2$。しかも一時間以内だと、この切符で空港までそのまま行けるという。実にサービスよろし。バスに乗って、どこで降りるんだと聞くと、適当に外の風景見て見覚えがあるところで降りると言う。りんママもアバウトだが、息子もアバウト。しかし、行き先案内も何も無くても乗客はそれぞれ降りたいバス停で静かに降り、運転手もちゃんと止まる。停止ボタンは見当たらない。何でみなちゃんと降りるしバスも止まるんだと聞くと、紐を引くんですと言う。見ると確かに窓に沿って、横にコードが張り巡らされていて、引くと乗降ランプが点いて、運転手にわかるようになっている。鳴子かよ。


ドームのそばを通ったので、カム君にイチローがいる野球場はどれと聞くと、さあと首を捻っている。御一同誰もイチローの所属球団を知らず、勿論背番号も知らない。全国民がイチローの一挙一動に注目していると思ったら大間違い。

大学は、大学通りにあると思ったら、手狭になったんで引っ越したのだと言う。バスで20分以上走ったのでダウンタウンからは離れているが、着くと、実に広大な学生街で、生徒だけで4万人居るという。教授や関係者を入れると7万人が暮らしているそうで、ために夏休みになるとゴースト・タウンのようにお店もクローズするそうな。これから行くフェアバンクス一帯より学生街の方が人が多いことになる。

残念ながら、チャイの店は日曜だったせいか満員だったので、ワシントン大学を案内してもらうことに。大学は、ちょっと日本の大学の規模を考えると、とてつもなく広大である。280ヘクタールに200近い建物があり、ノーベル賞教授が6人も現役で教鞭を取っている。キャンパスには驚いた事に染井吉野がまさに満開で、まだ散る気配すら無いほど咲き満ちている。まさか、シアトルでお花見するとは思っても見なかった。


紫木蓮もちょっと日本ではこれほど大きな木は見当たらないほどのやつがほぼ満開。

マグノリア咲いて散る街シアトルは 猫髭

桜は植えられて60年近く経つという染井吉野で、一般の家族連れも花見を楽しんでいた。和服のアメリカ人が腰に傘を差していたので、侍かと聞くと、笑いながら、傘を手に持つのが面倒なだけですと流暢な日本語で答えた。


図書館も大聖堂のようにでかい。まさに万巻の書を収める偉容である。それぞれの学部が、学生の数が全世界から来るので多いせいもあるだろうが、とにかく見上げるようにでかい。


カム君は、木を使った建築に取り組みたいと言っていた。日本人の木と紙を使った陰翳を取り入れた建築はアメリカでも受けるかもしれない。西洋人は瞼が目の玉が透けるくらい薄いので、アイシャドーをべったり塗りたくるし、目の虹彩も薄いので、サングラスも周りから光が入らないようにフルカバーする。だからレストランや家の中が蹴躓くほど暗い方が寛げるという。外光を雪見障子を通して和らげるような工夫はアメリカでは受けるかもね。

そろそろ空港へ戻る時間になったので、桜のキャンパスを後にする。

栗鼠さりて夕べのいろの桜かな 薫子

ハンドメイド・チーズの店で買ったチェダー・チーズを案内してくれたお礼に渡すと、2歳の時からアンカレッジ暮しのカム君は、うわあ僕チーズ大好きなんです、ワインを飲みながら食べますと満面の笑みで見送ってくれた。バスに乗って、また途中で電車に乗り換えて、空港へ戻る。電車とバスは同じホームから交代で入ってくる。チンチン電車ではなく、普通の電車なのでちょっと不思議な感じがする。

デルタ航空のカウンターでフェアバンクス行チケットを買おうと予約表を見せると、デルタ便はアラスカへは飛ばないので、アラスカ航空へ行けと言う。そうか、格安券の混載便だからかとアラスカ航空のカウンターへ行くと、搭載荷物は無いのかと聞く。乗継カウンターで朝デルタに渡したと言うと、クリスという係員が来て、チケットに付いている荷物のタグを見てくれと言う。老眼をしばたたかせて見ると、げろげろ、シアトルまでとなっている。普通は成田から乗るときに荷物は最終地のフェアバンクスまで行くはずだが、日通の担当者が新人で、混載便のフライト便をデルタのままにしていたので、成田のデルタのカウンターはシアトルまでしか荷物の行き先を手配しなかったのだ。しかし、こちらは予約表に書いてあるデルタ便をそのまま信じてデルタに預け、デルタの係員も、フェアバンクスまでと言うと二つ返事で鞄をベルトコンベアに載せた。黒人の調子のいい兄ちゃんだったが、デルタはアラスカには行かないよと一言言ってくれたらと怨んでも、もう遅かりし由良助。我々の鞄は行方不明と相成った。

クリス氏は実に親切で、デルタ航空まで出向き、荷物を調べてくれたが見当たらなかったので、フェアバンクスまで確認してくれたが、フェアバンクスにも荷物は着いていないということだった。クリス氏の話では、再度シアトル空港の中を確認してみるが、フェアバンクス行最終便に変えて、それでとりあえず現地まで飛び、フェアバンクスのアラスカ航空のバッゲージ室で確認し、それで見つからなければアラスカ航空にクレームを入れて欲しいということだった。デルタに預けたのだからデルタへクレームを言うべきではないかと聞くと、責任は荷物の最終行先地の管轄なので我々アラスカ航空側にあると、責任分担が明確。

レストランと同じ。テーブルの担当責任は決まっていて、時給は低くても、そのテーブルのチップは自分の働いたサービスへのチップとして自分の物になるので、日本のように誰彼構わず声をかけて催促するスタイルとは違う。違うウェイトレスに声をかけても、ここの担当は私ではないと断られるか、その担当に繋いでくれるかだ。チップをフロアーでシェアするスタイルもあるらしいが、普通はテーブルごとである。「リーガル・シーフード」など時給は安くても、大勢でロブスターを食らうからチップの額も大きくなり、ウェイトレスの応募が殺到すると聞いた。日本のようにチップが無い方が気楽だが、ここは日本ではないのでdo as the Americans doであるよ。

アラスカのオーロラハウスで待機しているりんさんに電話して事情を話し、最終便で夜の23:30に着く事を告げる。結局、我々の荷物はどこにも無かった。姫たちは不安そうに、このまま一週間着の身着のままで暮らすのかという顔をしてこっちを見ている。しかし、猫さんが悪いんじゃなくて日本の手配が悪いんだからしょうがないわよと鷹揚である。

海外でトラブルが起こった時は、海外のやり方に頭を切り替える必要がある。車の運転と同じで、頭で運転しないと、体の記憶に任せて左折したら、向うから自分目掛けて車が逆走して来る恐怖と出くわす。逆走しているのはおめえだ。

さて、ワトソン君、もう一度考えてみよう。アメリカはバーコードのタグ番号でトレースするから、タグでトレース出来ないということは、答は一つ、確認出来ない場所にあるからである。それはどこかというと空の上である。つまり、我々が乗る予定の便に鞄だけ乗って先に今空の上を飛んでいるから確認出来ない。間違いない。自慢ではないが、ニューヨークでタクシーの中に財布を置き忘れて、搭乗30分前にタクシーが届けてくれたことがあり、ニューヨークの奇跡と呼ばれた事があるくらい、失せ物に関しては引きの強さを猫は持っている。タクシーの運転手の名前を覚えていたので、無線を借りてわたくしが彼に呼びかけたのだ。勿論、財布の現金はみなチップとして運ちゃんにあげた。旦那、また落としてね。やだよ。

国内便に乗るときは、セキュリティ・チェックがより厳しい。靴を脱いで、ベルト外して、パソコン鞄から出して、上着も脱いで、帽子も脱いで、小銭も出してと、ひとしきり着せ替え人形をやってから、フェアバンクス行最終便20:25発に搭乗。深夜の空港で待つりんさんはいかにいますや。

  無音てふ空港ロビー冬銀河 りん

3時間ほど飛んだあと、時差を1時間戻して23:30に変えて、バッゲージ・クレイムへゆくと、懐かしのりんさんが待っていてくれた。お約束のハグで再会し、早速、荷物のカウンターへ向かう。係員を呼び出す前に、カウンターに、我々の鞄が三個並んでいた。思わず、I’ve got it!とジェームス・ブラウンのようにシャウトして踊ってしまった。いやはや。

  復活祭失せしバゲッジ戻りけり 千鶴羽

りんさんが借りたフォードの四駆で、エアポートからダウンタウンへ向い、チェナ川を渡って、雪道を登り、オーロラハウスに着いたのが夜中の0時過ぎ。

オーロラハウスは、ホテルのようなものだと思っていたが、オーロラを観光に来る観光客用の観測ベランダを一階に供えて、二階がツインのベッドルームが三つあり、キッチンや洗濯機・乾燥機から、大型テレビとステレオセットがある客間付きの豪華なロッジで、ホテルマンは誰もおらず、まるまる1週間我々だけしかいないので、自由に使っていいという豪儀さだった。

つまり、わざわざオーロラを見に、通常の観光客は夜の22:00から2:00までダウンタウンのホテルから、この山荘までエスキモーのように防寒具を着て観光に来るのだが、我々は居ながらにして普段着でオーロラが見られるというわけで、オーロラ観光ガイド10年のNさんがいなければこういう便宜には与れなかったことになる。

それぞれの部屋に荷物を置き、くつろいでHさん手作りのどぶろくとりんさんの御主人が吊り上げたキング・サーモンで乾杯したあと、粉雪を敷き詰めたベランダに出てみると、満天の星空が広がり、北斗七星が手で掴めるかのようにすぐそこに出ていた。山の端を縁取るように少し緑色がかった雲が出ていて、オーロラは今日は出ていないねと言ったら、りんさんがこれがオーロラよと言う。およよ。慌ててカメラを持って来て写そうと思ったが、撮っても撮っても真っ黒け。オーロラは三脚を立てて、バルブを開け放して10秒以上露光させないと撮れないということで、一眼レフでないと映らないことが判明。あじゃぱ。でも、いいや。最初の夜からオーロラが見られたのだから。



オーロラの生るるところに再会す 猫髭

オーロラの底を四輪駆動かな りん

オーロラの上にオーロラただよへる 薫子

稜線の移らふ如くオーロラは 千鶴羽


(2日目に続く)

【予告】
2日目(月)フレッド・マイヤーに嵌まる。
3日目(火)チェナ温泉マイナス30℃で温泉に入る。
4日日(水)チェナ湖でアイス・フィッシング。
5日目(木)犬橇。
6日目(金)オーロラ宴会。

(写真*)猫髭のカメラは旧式の廉価版デジカメなので、 オーロラをバルブ開放で撮ることが出来ず、オーロラの写真のみ観光に来た旅の人の御厚意に寄る。

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