【週俳2月の俳句を読む】
人工心臓の美しさ……浜いぶき
金属の揺れているしずかな臓器だ 裏悪水
掲句を読んだとき、脳裏をかすめた歌があった。岡井隆の短歌で、自分が中学生くらいの頃、朝日新聞の《折々のうた》で取り上げられていたもの。切り抜いたはずの記事は本棚の奥だったので、インターネットで調べてみる。記憶にリンクしたキーワードは「臓器」と「しずか」だったのだが、ほどなく見つかった。
使ひふるされし臓器が他者といふ敵地のなかに灯るしづけさ 岡井隆
(歌集『臓器(オルガン)』、2000)
90年代後半から2000年頃は、ちょうど「脳死はヒトの死」と臓器移植の問題が世間をにぎわせていた時期で、岡井隆もこの問題に対する一歌人の態度として、この歌を詠んだのだと思う。初めて読んだ時、「他者といふ敵地のなかに灯るしづけさ」というフレーズに強く惹かれた。改めて読んでも、同じように惹かれる。そして、自分のものであるはずの臓器が、あるいは他者のものとして、そっと自分の体内に灯っているという錯覚を起こしてみる。そこにあるのは、善も悪も介入する余地のない、まさに「しづけさ」だろう。
若き妻のいやがることをすこし言ふ草いきれする臓器のことを 岡井隆
(歌集『E/T』、2001)
岡井隆は臓器というモチーフに関心が深かった人とみえ(歌集名にも『臓器(オルガン)』とある)、「臓器論」を書いたこともあるという(未確認)。「草いきれする」とは描かれながらも、彼の詠む「臓器」はなぜか生臭さをまとわず、どこか静謐なものとして「灯」る。海の底ふかくに息づく貝のようなその臓器は、読むものを敬虔な気持ちにさせる。その理由は、岡井隆が、臓器というものの本質を、時間との関係性のなかで見据えていたからではないだろうか。生命の時間と最も深くかかわりながら、肉体の内側で粛々と働きを全うする臓器。
掲句もまた、臓器を「しずかな」ものと捉える。そしてそこに、さらに「金属が揺れている」という。機械と遠からず、精密に時間を刻み続ける臓器に対して、無機的機械的なつめたさ、すなわち金属のイメージが重ねられているのだろうか。それとも、実際に身体に埋め込まれた「異物」としての金属が示されているのだろうか。
ところで、裏悪水氏は山田露結さんの作られた「俳句自動生成ロボット」である(私は10句を読んで感想を抱いたあと、その事実を知った)。作者は、奇しくも《ロボット》だったのだ。愉しく混乱する。
ロボットから連想して、たとえば人工臓器であったら、岡井隆はどう詠むのだろう、と考えてみる。それは、どのように「灯る」のだろうか。以前ドキュメンタリー番組で視た、川崎和男デザインの人工心臓が、(しづか、という言葉を越えて)息を呑むほど美しかったことを思い出した。
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2010-03-21
【週俳2月の俳句を読む】 浜いぶき
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