2010-03-28

〔新撰21の一句〕冨田拓也の一句 関悦史

〔新撰21の一句〕冨田拓也の一句
この世への不時着のために……関悦史



秋風やここはこの世のどこなのか 冨田拓也

冨田拓也は少なくとも現在までのところ天空と地底、つまりは形而上と暗黒に思念を凝らす俳人である。

空には鳥や蝶が飛び、月や天の川がわれわれを見下ろす。冨田句に頻出する鳥のイメージは、死後に白鳥となって大和へ帰ったヤマトタケルを持ち出すまでもなく、もとより他界性を担っている。蝶や月もまた同様、単なる季語としてよりも、よりシンボリックな、他界冀求のための通路として現れ、思念の結晶化を促す。さしあたり地上を離れて飛ぶものが重要なのだ。

  鳥渡る我等が灰に帰するとも
  日の銅(あかがね)月の鋼(はがね)と雁渡る
  炎帝をつらぬく猛き嘴欲し

の鳥のイメージ、

  死を越えて火と化す烏揚羽かな
  蝶交る虚空に虚空襲ねつつ

の蝶のイメージ、

  月の夜や心に貝の渦見えて
  天の川ここには何もなかりけり

の月や天の川等々、みな(宮澤賢治的にいえば)「ほんたう」の世界とこの世との境を行き交うものなのである。

その行き交うものたちのイメージがトポロジカルに変換されたのが、頻出する交差路のイメージである。即ち

  やちまたにこゑなきこゑや大月夜
  十字路に咒のこだませり大夕燒
  蜘蛛手なす道に身一つ春の暮

といった句の「やちまた」「十字路」「蜘蛛手なす道」。

「ほんたう」の世界を冀求するグノーシス的精神とは、逆に言えば俗世たる地上を峻拒する精神であって《影の世のさすらひ人に風光る》の影の世も、冥府や幻影を指しているわけではなく、端的にこの地上をさまよう生身の主体と、そこにほんの一瞬天の消息を伝えて光る「風」との交錯を捉えたものであろう。

地上の拒否は天空にのみ向かうものではない。地の底へも向かう。無論こちらも水平に広がる単なる地下街や地底世界といったものではない。身体の内界感覚に根ざし、その底へと潜行することによって得られる逆方向の他界である。

  気絶して千年氷る鯨かな
  眼底の曼荼羅赤し大雪野

そして他界への通路たる己の身が、これまたトポロジカルに変換変換されたものが《魂匣(たまばこ)の流れ着くなり実朝忌》《(ざわ)めくは筐底に秘す薄原》に現れる「箱」のイメージなのだ。これらに《(まなじり)はふかき裂目(クレヴァス)薄暑光》を加えれば心身と地底性の相関は隠すべくもあるまい。

冨田拓也にとっては天上か地の底か、天翔ける者か深く潜行する者か、いずれかの道を経て真の世界(と言って言いすぎならば、ここではないどこか)へ向かうことだけが重要であったのだ。水平に取りとめもなく延長される俗界としての地上に、求めるべきものは何もない。他者、対人関係の句がほとんど見当たらないのもそうした事情による(「空海」「道元」「イエス」といった固有名詞すら現れたのを見たことがないし、象徴性の強い限られた幾つかの季語を別にすれば動植物もさほど現れず、ついでに言えば味覚・聴覚・触覚など五感を経由した具体的身体性の句もほとんどない。ある意味驚くべきことかもしれない)。

そうした主体がふと未だ地上にある己を見出し、その寄る辺なさを吐息のように漏らしたのが掲出句《秋風やここはこの世のどこなのか》なのである。地上においては途方に暮れる以外に身の処しようがないのだ。

しかし天上と地底への道は、句の実作に於いては自己模倣へと収斂していく危機をつねに孕む。

それを打開するための模索が後半に現れる《ガソリンは暗きへ雪のふる日かな》《取り出だすディスク虹なす昼の雪》といった、さしたる象徴性の磁力を帯びることのない事物による都市叙景的な句なのだろうし、《十七の石をならべぬ冬の暮》となると、句を作ること自体に対してやや距離が生じており、己の営為への阻隔と内省自体が句を成している(つまり《秋風やここはこの世のどこなのか》と似通った境地が詠まれている)。

この模索の難行は、冨田拓也の激しい形而上への冀求が、己に関わる(場合によっては一見卑俗些細な)地上的事象・物象をも全て取り込み、包含した上で、「ほんたう」の世界の一部をなすものとしてこの世を再組織化し得たとき、別のステージからの見晴らしを得るといった経過をたどることになるのかもしれない(恐縮ながら私自身の例で言ってしまえば、祖母の介護と死別を経てからそれ以前の句はあらかた己の興じられる対象ではなくなった)。冨田拓也の他界は他者切り捨ての自閉の産物では必ずしもなく、他界の高みを窺知し得る先人や同時代者に対しては充分に開かれてもいるのだ。

天上と地底のみから成る垂直性の世界、そこから地上への定位を目指し始めた(少なくとも意識し始めた)不時着時のためらいと戸惑い、それが《秋風やここはこの世のどこなのか》なのである。






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