2010-03-14

〔新撰21の一句〕藤田哲史の一句 小川楓子

〔新撰21の一句〕藤田哲史の一句
再び会い、また失われること……小川楓子


邂逅にあをき氷菓を食らひしのみ  藤田哲史

作者が思いがけなく出会ったものはなんだったのだろう。めぐりあったものは謎めいているが、それほど重要ではない。作者が再び出会った時には、そのものの手触りは失われていて、かつて抱いていた気持ちを思い出せないことが「食らひしのみ」で静かに訴えかけられる。失われることはある程度予期していたが、再び出会ったこと、そして以前とは違う自分であることに軽い違和感を覚えているようだ。その違和感もまた消えていくことを予期しながら。

私たちの世代は、物心ついたころから明日には消えているかもしれないものに囲まれて過ごしている。次々にモデルチェンジする電化製品、ブログやツイッターで更新され続ける日常生活、不安定な雇用等々のなかにあって、昨日あったものが今日はもう無いことが、それほど不思議ではない。明日にはもう何かが失われていることが普通。それを日常として繰り返す。

食べているのがあをき氷菓であるからだろうか、(私は、ガリガリ君というロングセラーのアイスを思い出した。主な購買者は作者より上の30代から40代らしい。)少しのやるせなさを感じつつも、失われたこと、そして再びめぐりあったこと自体への感慨はそれほど強くはないように思う。再び失われていくことを作者は知っているからだ。懐かしくどこかユーモラスな氷菓を食べることが、逆説的に失われたはずのものに再び出会った現在の主体の存在の危うさ、はかなさを際立たせる。






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