2010-03-14

【週俳2月の俳句を読む】青島玄武

【週俳2月の俳句を読む】
青島玄武
悲しさとも、おかしさとも



俳句を作っていると、横から句帳を覗き見た人が句を指して、「これ、どういう意味?」と訊かれることがある。

そういう質問が本当に困る。

こちらしては、何かを伝えようとして書いているわけでないから、でも、それをうまく説明できないことが多い。花鳥諷詠だからって、美しいものを美しく描こうとは思わないし、だからといって醜いものは書きたくない。別段、悲しいから悲しみを表現しようとはしないし、うれしいからうれしさを表現しようとも思わない。「伝えよう、訴えよう」とすると、一句から「俳句のうまみ」がとたんになくなってしまうのではないか、と考えているからだ。

そのうまみとは、もう何が何だかジェスチャーでも表現できないような事象や感情のことではないかと考えている。それは実に淡々しいもので、五七五という俳句の短さに封じ込めておくには丁度いい小ささなのではないか。その美しさとも醜さともつかない、悲しさともおかしさともつかない、ヘンテコな事象、微妙な感情に、読んだ人が眉毛をゆがめてくれればいいのである。

そういう俳句が大好きだし、そういう俳句を作りたいと思っている。



灯ともして雪の高速道路かな    田中英花「おほかたは」   

ねんねこをおろせばその子歩きをり

燃えあとのまた燃えだしぬ寒四郎

大勢でうすらひの辺に立ちてをり

一句目。雪が降る景色は美しいものというのは伝統なのだろうが、高速道路に降る雪はディストピア的で怖さも二句目。ある。雪国の日常であれば、どこにでもありそうなものだが、ありふれているだけにおぞましい。
三句目。ねんねこの子供が歩き出したというのも思わぬ出来事。お笑い芸人ばりにずっこけたくなる。
四句目。消えたはずの炎が再燃するありさまは、寒中の極限の寒さの中では切なくも美しく照りだされている。
どうして薄氷のそばにそんなに人が固まっているのか。理由はわからないが、どことなしかおかしみがある。
「氷張ってるよ~」「寒いはずだよな……」とかいう会話が聞こえてきそう。



春雪のざらざら残る医院かな   古谷空色「春夕焼」

「医院」というから、大きな病院じゃないし、かといって、都会にあるわけでもない。評判がいいというわけでもないし、見栄えもあまりよろしくない。残雪ならば「残雪のある医院」と言えばいいのに、わざわざ「春雪のざらざら残る」と迂遠な描写をしたことによって、かえってはっきりと医院の様子を映し出したように感じた。



かの人の賀状もう来ずもう出さず   伊藤伊那男「華甲の頭」

一読して絶対にわかる句。また、パソコンの作成ソフトに任せず、手書きで書いてらっしゃるというのもよくわかる。一句は怒っているに、読んでいるこっちは思わず吹き出してしまう。「ガジョーモーコズ モーダサズ」の韻律も楽しい。
  


別の貌してをり夜のふらここは  三浦 郁「きさらぎ」

顔のないブランコに顔を見る。公園の向こう側の路地を照らす街頭に、わずかに照らし出されるブランコ。人にあらぬものに人の顔を見出す俳人独特の繊細さが、写真や映像に匹敵する描写力で読者に迫ってくる。



雛あられ釣人みんな眠ってる  小倉喜郎「春の宵」

こんなとこから水漏れている蓬餅

豚のような兎のような春の宵

一句目。雛あられを家族とではなく、外に出て一人で食べている。人恋しさで外に出ているわけではないのに、つい、釣り人のこぞっている川岸か池の畔にやってきた。水際に腰をおろして様子を見てみると、釣り人はみんな眠っている……。「雛あられ」から「釣人」へと言葉を転換する勇気が、自分にはまだない。思わぬ取り合わせが一句の世界に広がりを見せている。
二句目。「こんなとこ」とはどこからか。おやつか、またはつまみ食いにせよ、蓬餅を食べる一時のくつろぎに、ちょっとした亀裂を与えている。
三句目。「春の宵」がどの生き物ともつかぬとはキメラのようであるが、豚と兎では火を吐くほどの怪物にはならないだろう。むしろサンリオの新しいキャラクターにでもいそうなくらいだ。「春宵一刻値千金」というが、現代の春の宵は、もしかしたらゴルフコンペでブービー賞でも取ったら無理やり付いてくる景品レベルの価値しかないのかもしれない。例えの引き合いに出してきた動物が秀逸。



自分の所属している『握手』の最新号(2010年3月号)が届いた。
冒頭に書いたようなことを、主宰の磯貝碧蹄館に送っていたのだが、この号で、その返信として「あなたの句は詩的表現に至ってないことが多い」と書かれていた。

「詩的表現」とは何なのだろうか? 俳句も短詩なので、詩なのだろうが、一篇の詩にしようとして句を作ったことがトンとない。
すごくいい句を読んで、そのなかに「詩情的ななにか」を感じることはあっても、それを詩情と断定することができないでいる。

―そもそも「俳句は詩なのだろうか?」とさえ思っている。



降りしきる雨がやまず、昼間から闇夜のような一日だ。


田中英花 おほ かたは 10句 ≫読む
古谷空色 春夕焼 10句 ≫ 読む
伊藤伊那男 華甲の頭 10句  ≫読む
西村我尼吾 アセアン   10句  ≫読む
三浦 郁 きさらぎ  10句  ≫読む
守屋明俊 浅川マキ追悼  10句  ≫読む
小倉喜郎 春の宵  10句  ≫読む
裏 悪水 悲しい大蛇  10句  ≫読む

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