商店街放浪記31
鶴橋本通り商店街 〔中篇〕
小池康生
<鶴橋本通り商店街>は、観光地化されていないコリアンタウンである。
つまり、何があるわけでもなく・・・いや、色々あるのだが、・・・それでもテレビ的な、雑誌的なインパクトはなく、界隈の生活者のための商店街だ。
自然なのだ。
フツウ加減がいい。
鶴橋駅界隈の甲子園二つ分はあろうかという商店街群のなかで、このひと筋は、わたしのなかで、鶴橋の臍の緒のように感じられた。
一番西側の焼肉タウンから大きく離れ、南へ伸びる。
それは、もうひとつのコリアンタウン<御幸通り商店街>に続く臍の緒でもある。
いにしえの建築物を愛する路地裏荒縄会のメンバーは、閉鎖している韓国アパートの壁に顔を近づけ、戦中の衛生に関する告知版に目ん玉を近づけ、ゆるゆると南下する。
アーケードが切れ、道路が見えたところで、
『あっ、終わりか』
と思った瞬間、赤レンガさんが言う。
「もう少し先に、御幸通商店街があるけど行きますか?」
雨が降っている。アーケードが切れている。寒いし、腹も減っているが、筆ペンさんも、九条DXも、わたしも同じ返事。「行きましょう」。
赤レンガさんは、きっと仕込んでいるのだ。なにをどう調べ、どんなコースをアレンジしたのか、存分に楽しませていただきたい。
以下、駆け足でそのコースを紹介すると・・・・
<鶴橋本通り商店街>➩<彌榮神社>➩<御幸森天神宮>➩<御幸通り商店街>である。
アーケードを抜け、民家の並ぶ道を桃谷方面に向かいながら“桃谷”の地名について語りあいながら、鶴の訪れた橋の“鶴橋”そして、“桃谷”という地名の連続性に感動し、それがコリアンタウンということも面白い。
いつもながら横道に逸れ、赤レンガさんは、この界隈の大きな日本家屋を紹介してくれる。色々調べ、歩き、この込み入った街のなかの立派な日本家屋も見つけていたのだ。
「桃谷の桃なりし頃はどんな風だったんだろう」
男女混淆中高年4人がそんな話をしながら、もうひとつのコリアンタウンに向かう。
<御幸通り商店街>は、テレビで全国的にも映像ではおなじみだろう。
商店街の入り口に「百済門」や「御幸通中央門」を持つ。
300mほどの通りに150ほどの韓国食材を中心にした店が並ぶ。
「この前、土曜の昼間にきたけれど、店の前で買い食いできるものを出していて、お祭の出店みたいで楽しかった」
と赤レンガさんが言う。
今日は平日の夜。多くの店が閉まっているが、時間によっては、ちぢみや、串に刺した焼肉や、韓国のり巻き、韓国風のおやきなどを、手ごろな値段で買って歩けるのだ。
ここは観光地であり、韓国料理に関わる人が仕入れに来る専門店も多々ある。鶴橋の駅はすでに遠く、環状線鶴橋駅と桃谷駅の中間地点だ。
実のところ、わたしもこの御幸通り商店街を映像でしか知らなかったのだ。
長年の謎が解けた。ここにあったのか・・・・。
さて、腹が減った。めしだ。
どこで食べるか。皆が嗅覚を全開にする。
物色しつつ、<鶴橋本通り商店街>に戻る。
フツウ加減の商店街の中ほどである。
<アリラン食堂>の看板を見える。なかを 覗くと満席、20時だったか、21時だったか、商店街を歩いているのはわたしたちとあと数名。そんななかで、この店は空席がない。若くてガタイのいい人たちやら、通行人とは別の年齢層で埋まっている。入りたいなぁ。こちらの意思を感じたのか、オーナーらしき男性が店から出てくる。
「何人?」
「4人。あとで一人来て5人」
「そこの店、名前違うけど、同じ店だから」
オーナーらしき人が歩きだし、わたしたちもついていく。ほんにおんなじ店かいな。名前が違うのは、別の店と違うの?商売上手と違うの?しかし、腹を減らしたわたしたちは、返事もせずに付いていく。
春雨のあがるともなき明るさに 星野立子
(続く)
2010-03-28
商店街放浪記31 鶴橋本通り商店街 〔中篇〕 小池康生
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