商店街放浪記32
鶴橋本通り商店街 〔後篇〕
小池康生
鶴橋本通り商店街、韓国料理『トラジ』の店内―――。
先客のひと組が、ハングルで語りあっている。
その横では、日本人の老夫妻が、メニューを開いたまま何を注文していのか悩んでいる様子。ハングルの女性が、日本語で語りかける。
「これ、おいしい・・・ここ来たら、これ食べないと」
どれを指さしたのだろう。メニューを覗きに行きたい。
老夫婦はそれで納得したよう。
他に女性同志のふたり連れがふた組。
地元というよりは、観光ミーハーという感じ。
メニューの見かたや、店内の見回し方が、わたしたちにそっくりだ。
そういえば、今日歩いた商店街にも、どれだけ女性がいたことだろう。
韓国俳優のブロマイドを売る店が結構あった。
在日で繁栄し、その味に興味を持った日本の食通のオヤジで鶴橋は繁栄し、さらには韓流好きの女性たちが、街の間口を広げたのだ。
基(もとい)。トラジの話だ。
わたしたちは、取りあえずのビールと、キムチ盛り合わせ、ナムル盛り合わせ、豚肉のプルゴギ、チヂミを注文する。
その時、ビールを頼んでいなかった筆ペンさんが、店員さんにハングルで語りかける。流暢である。物識りだ物識りだとは思っていたが、ハングルまでいけるとは・・・。
「チルロガアニラ、チャミスリエヨ」
大阪弁に翻訳してもらうと、
「真露やのうてチャミスルやで」
ということらしい。ハングルだけでなく、あちらの焼酎も熟知しているようだ。
さらに、店名「トラジ」についても説明してくれる。
トラジは、桔梗のこと。しかし、韓国朝鮮では桔梗の根が薬用として珍重され、これを掘ることが大切だったので、この店の名前はそういう漢方的効能の方からきているのではとのこと。
筆ぺんさんが、大阪のエエとこの大学で国文学を専攻し、俳句や禅に詳しい人だと認識していたが、韓国の寺でも修行を積んでいようだ。叩けば・・・、いや、突つけば、なんなりと出てくる人だ。街歩きが、彼を突ついてくれる。
「アジュモニ、センメッチュ、トハンジャンジュセヨ」
「おばちゃん、生ビールもう一杯頂戴」。わたしのお代わりを注文(たのんで)くれたようだ。
今回のコーディネートをした赤レンガさんが言う。
子供のころから奈良に住み、大阪への通勤で何千、何万回鶴橋の駅を通過しているのに、最近まで鶴橋を知らずにいた。
その理由は、難波から帰りの電車に乗ると座れる、上本町からでも座れる、しかし、鶴橋から乗ると座れなくなるので、ここで途中下車しなかったというのだ。
些細なことだが、こういうことは日常レベルの判断でありそうだ。
街になじんだり、逆に近くの街に疎遠になるのはそんな生活の動線が関係していたりする。商店街活性化のチェック項目として大事なことだ。
充分大人な年齢になり、赤レンガさんは遅すぎた鶴橋デビューを悔いている。
そんな興味深い話をしている時、九条DXがぜんぜん違う話に切り替える。
どんな話かさえ忘れてしまったが、話の腰をぽきぽき折っていく。
なぜか同じ話ばかりをする。彼とは二度目であるが、わたしと仕事がらみで接近遭遇をしていたようで、やたらその話を繰り返す。いまそんな話のタイミングじゃないのに。ハイピッチで飲んでいる韓国のストレート焼酎が相当に効いているようだ。ごっつい体をしているのになぁ・・・。
まぁ、いい。小雨の中を長時間歩いた。皆、体が冷え体調が悪いのだ。飲もう。食おう。話の腰を折っちゃいけない。今日の筆ペンさんの話、赤レンガさんの話は幾らでも掘れるぞ。そっちを攻めろよ、九条DX。
九条DX氏は、焼酎に移っている。ピッチが早い。大きな硝子のぐい飲みを、その名通りにぐいぐいイク。グイ飲みを設計した人も満足だろう。わたしも韓国焼酎に参戦する。
ペーパーさんはまだだろうか。
ここが分かるかなぁと皆が心配した後、筆ペンさんが突っ込みをいれる。
「あの人は説明なしで辿りつきますよ」
その通り、噂をすると扉が開き、ペーパーさんが長身を折り曲げ入ってくる。
「この商店街なら、ここやないかなぁと思てたから・・」
お見通しであったよう。焼酎をどんどん追加し、ハングルがさく裂させ、どんどんできあがっていく。
さて、次の店だ。
表にでると、ペーパーさんが少し逸れたところの銭湯を教えてくれる。
これまた歴史的建造物なのだ。朽ちかけ、かつ尊敬を集める建築物である。
雨の勢いが増してきたのに、傘もささず建築物としての銭湯をためつすがめつ味わう。雨の、休日の銭湯に貼りつく大人五人は変態的チックでもある。
赤レンガさんが、次の店へ案内してくれる。
「行ったことないんですけど、先に歩いた迷路みたいな商店街に<海の家>っていうバーがあるから行きたい。いいですか?」
行きましょうよ。市場のような販売店の並ぶなかのBar、興味がある。
そういえば、夕方、商店街の細い通路にテーブルを並べている居酒屋を見つけた。正直、ちら見した客には相当な酒飲み度を感じた。
市場とも商店街とも呼べるカオスで飲もうじゃないか。
あっちに行き「ごめん、こっちじゃない」。
こっちに来て「ごめん、こっちじゃない」。
そんなことを何度か繰り返し<海の家>に到着する。
閉店の店舗のなか、ぽつんと、Barが存在する。
しかし、満席。店の前には床几とテーブル。待とうじゃないか。待ってやる。いや、ここで飲もう。雨脚が強くなる。アーケードが激しく音を立てる。寒い。サムニダ。雨がアーケードから落ちて来るニダ。それでも待つニダ。いいや、ここで飲む、ここで注文しよう。燗の二本酒をたのむ。
複雑に入り組んだ迷宮のような商店街の一角で、アーケードの通路で飲み始めたが、あまりの雨の激しさに、アーケードから、雨が落ちてくる。ついには傘をさしながら飲み始める。からだは冷え、時々雨がかかり、すでにほとんどの店が閉まった商店街の中で、観光焼酎に強烈に酔わされ、九条DX氏はまた同じことを言い出し、筆ぺンさんとわたしは俳句を作りだし、ペーパーさんは酔い遅れたのかあくまで冷静に。赤レンガさんは鶴橋の街に恋焦がれ、商店街の夜は更けて行ったのであります。
構へたる吾が内角に春の風 康生
(以上)
2010-04-11
商店街放浪記32 鶴橋本通り商店街 〔後篇〕 小池康生
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